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16/7/28

思い出の、ペンタックス

Image by Olia Gozha

  ここに一枚の写真がある。幼い日の自分と母が写っている。その後ろには、ミカン箱の上に戸板が置かれて、その上に靴が並べられている。私の父は、戦地から復員した後、靴屋を始めたのだ。

 しかし、それは店と言えるようなものではなくて地面にそこらの箱を並べただけのもの。ぼんやりと記憶に残っている。その後、高度経済成長期にガラスのショーウィンドウに変わっていったが、決して裕福な家庭ではなかったと思う。

 ところが、高校の時に修学旅行で九州に行くことになり、カメラを所持してもいいという話を両親にした。すると、父は何を思ったか当時テレビで宣伝していた最高級の「ペンタックス」を買ってきて、私に渡した。

 それは、ずっしりと重く高級品の雰囲気に満ちていた。私は、怖くて観光バスが揺れると壊れるのではないかと手の中でしっかり握りしめていた。それは、父の使っているカメラより高級品であることが分かっていたので、感謝より驚きだった。

 今思うと、父は本当に自分を大切にしてくれたと思う。そのカメラは、アメリカにもついてきたし、子供たちが小さい頃の写真も大半はペンタックスと、二代目のペンタックスで出来ている。

 今は壊れてしまったし、デジタルカメラの時代に変わってフィルムのカメラは修理しても仕方ない。でも、思い出が詰まっているので捨てられない。

 そんな父に、私は決して優しくなかった。なめた口をきいて怒らせたり、バツイチになって心配をかけたりした。それでも、父は周囲の人に私の自慢をしていたそうだ。

 よほど、息子が四日市高校、名古屋大学に合格して、塾をうまく経営しているのが嬉しかったらしい。それだけが、唯一の慰めだ。自分が、こういう育ちをしたものだから、A子ちゃんのような子の気持ちが痛いほどわかった。

 シングルマザーや、私のようなシングルファーザーが増えてきた。不況で経済的に厳しい家庭も多い。そういう環境の中で頑張っている生徒は、私の同志なのだ。心の底から手を貸してやりたくなる。

 私が京都大学を7回受けたり、英検1級に合格したことを知ると

「なんで、そこまで・・・」

 と言ってくれる人がいる。

 でも、自分の身を削って育ててくれた父の期待に応えるには、どこまでやっても十分ではないし、子供たちに同じような力を与えてやりたい。バツイチになった罪滅ぼしは、どれだけやっても足りない。

 もちろん、どれだけ頑張っても良い家庭環境を与えてやれなかった埋め合わせにはならないのだけれど、出来ることをやるしかない。

   私が死んだ後、娘たちに亡き父のような力を与えてやれるだろうか。頑張りたい。


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