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16/7/23

第9話:インドへの旅立ち

Image by Olia Gozha

人生の方向修正

大学院生の時に始めたヨガの奥深さに、私はのめり込んでいた。

同時に、コーチングの世界で、ビジネスの世界に進んでいた私は、少しずつ、自分の中に違和感を覚え始めていた。


世界を放浪していた時に感じていた、将来も、こんな風に自由に世界を飛び回ることや、自然の中で暮らしたいという思いが、いつの間にか段々忘れられていたことに、気がついた。


元々、自分が将来何をしたいのかを探しに行って、見つけた大切な宝物の答えを、いつの間にか置き去りにしていたようだ。


そのころ、自分のヨガスタジオを持ち、そこでコーチングのワークショップもしたり、他のスクールで講師として働いていた。


自分の城のようなヨガスタジオを持ったにも関わらず、内心、あまり幸せではなかった。

なぜかというと、途中から、家賃の支払いが気になり、純粋にヨガを教えることを楽しめなくなってしまったのだ。



コーチングもヨガも両方仕事をしていたが、そのころ、気持ちはすでに、コーチングよりもヨガにどんどん傾いていった。



コーチングのテクニックは、とても整理されていて、画期的で、集まる人々も素敵で、それはそれで魅力的だったが、ヨガの叡智、その奥深さの魅力にはかなわなかった。


それで、せっかく築いたいろんな仕事の契約もやめて、インドに旅たつことにした。


たくさんの洋服、本、家財道具もあげたり、捨てたりした。



そして、肩書きもなくなり、所有物もスーツケース1個となった。



しかし、仕事の契約も、所有物も、失うことに、何ら恐怖や後悔などは感じなかった。



ただ前だけを見ていた。


自分の生き方の方向性に違いがあることに気づいたから、方向修正をしに、インドに行くことに迷いがなかったのだ。



そして、2007年、南インドのタミルナドゥ州へ降り立った。



それから、気がつけば、あっという間に5年が経っていた。



まるで浦島太郎状態。



自分ではそんなに時間が経った気がしないのに、5年も過ぎていたなんて。



インドと日本の時間の感覚はだいぶ違う。



私たちにとっての1ヶ月が、インド人にとって1時間くらいのようなものだ。



それで私もどうも時間の感覚が狂ってしまったのかもしれない。



東京のヨガの先生の所で、哲学を学んだ時、20世紀最大の聖者・ラマナマハリシのことを紹介された。


その時、本を読んでも、全くちんぷんかんぷんだった。


哲学に触れたのは、その時が始めてだった。しかし、なぜか、ラマナマハリシのお顔を見ていると惹かれるものがあった。



そして、最初に降り立った、南インドのタミルナドゥで、その聖者・ラマナマハリシのアシュラムに向かった。


なぜかというと、他に特にあてもなかったからだ。



そんな軽い気持ちでいったが、アシュラムのお寺で、お坊さんの勉強をしている子供達が、夕方、お経を唱えているのを聞いて、涙が止まらなくなった。



自分がなぜ泣いているのか、全くわからなかった。


でも、とても懐かしい気がしていた。



1週間の滞在で、ケララ州にアーユルヴェーダのマッサージを学びに、そこを出たのだが、バスに乗る時、涙が溢れて止まらなかった。



バスで隣になった人に、「なんで泣いてるの?」と身振り手振りで聞かれていたが、タミル語も話せないし、何も言えなかった。



ケララでアーユルヴェーダのマッサージを学んだ後、もっといろんな場所を旅するつもりでいたが、結局、ラマナマハリシのアシュラムが恋しくなり、すぐに戻ってきた。



アシュラムが好きで、ここに数十年住んでいるという年配の日本人女性に、

「やっぱり、あなた帰ってくると思ってた」と言われた。

私が去る時に、泣いていたのを見ていて「また戻って来ればいいじゃない」と声がけしてくれていたのだ。



私も、ここからは去り難くなり、アシュラムの近くにアパートを借りて住み始めた。


毎日していたことは、近隣の聖者から、インド哲学の教えを受けながら、瞑想修行。


ラマナマハリシご自身は亡くなってしまっているが、彼のアシュラムで瞑想をするのが好きだった。


そして、インド国内や、世界各国から、聖者が集まり、サットサンと言われる、一緒に瞑想をしたりお話を聞いたり、質問に答えてくれたりする集会に行くのが、とても有意義に感じていた。



そして気がつけば、約4年間が過ぎていたのだ。



私が聖者達から聞いていた哲学は、「アドヴァイタ・ヴェーダンタ」というもので、英語では「ノンデュアリティ」と言われている。



その教えをもっと学んでみたくなり、専門のアシュラムのコースに行き、1年間住み込みで学んだ。


そこの教え方は、伝統的な「グルックラシステム」といわれている。それは、師弟が共に暮らし、朝から晩まで学ぶスタイルだ。


70人のインド人と寝食を共にしながら、早朝5時半から夜8時まで毎日1年間、サンスクリット語で書かれた聖典を正式に学んだ。


外国人は、10名程度。とはいえ、外国生まれのインド人がほとんど。

インド人でない外国人は、オーストラリア人の女性、ブラジル人の女性、そして日本人の私ぐらいだった。


そこは、将来、お坊さんのような聖職者になるためのコースだと知ったのは、実はかなり後になってからだった。


そのコースを終えて、スワミという立場になれば、インドでは、最高の地位とされ、人々にとても尊敬される。


私は、それを目指してなかったし、そもそもそういうコースだとは知らなかったので、ただ純粋に哲学が学びたいと思って、そこにいた。



ヨガのレッスンで、最初にサンスクリットでお祈りをしたりするのを聞いたことがあるだろうか。あのお祈りは、ヴェーダ聖典から来ている。

最初にラマナマハリシのアシュラムで涙が止まらなかったのも、このヴェーダの響きだった。



そのヴェーダの中でも、最も重要な部分と言われるのが「ヴェーダンタ」。

その哲学を聞いていると、時々涙が出てしまうくらい、美しいと感じた。



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