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16/7/20

第6話:コロンビアでラテン音楽の巨匠の家に行った話

Image by Olia Gozha

親切な国コロンビアで突然訪れたチャンス

東南アジア、メキシコ、グアテマラなどを旅していたら、あっという間に、大学休学の1年が過ぎてしまった。まだ旅を終えられない気持ちで、一旦日本に帰り、もう1年休学を延期した。


2年目の旅では、コロンビアに長く滞在した。

コロンビアに行った理由は、大したことはない。

当時、単にコロンビアのサルサバンド「グルーポ・ニーチェ」が好きだったという単純な理由。


コロンビアに滞在が長くなってしまったのは、恐ろしい世間のイメージに反して、人々がとっても親切で、人懐っこく、居心地がよかったからだ。



例えば、スーパーでお金を支払うときに、少しだけ持ち金が少ないときなんかは、後ろに並んでいる、見ず知らずの人が払ってくれたりする。これは日常茶飯事だ。


ある日、友達とスーパーで、お菓子が突然欲しくなったことがあった。

予定していなかったので、十分お金を持ってきていなかった。

二人の小銭を足して、手のひらで、「足りるかな〜」と数えていると、

全く見ず知らずの人が通りかかって、私たちのやりとりを見ていたのか、お金を渡して、笑顔でさわやかに去って行ったこともあった。



バスで立っていると、近くに座っている人が、無言で「自分の膝の上に荷物を載せていいよ、重いでしょ?」とサインを送り、持ってくれたりもする。それが、とても自然な感じなのだ。



ある日、友人に会うために、一人で道を歩いていたときのこと。


横断歩道で立ち止まっていたら、知らない人に声をかけられた。

「君、どこから来たの?」

「日本」


「コロンビアには何しに?」

「サルサが好きだから来たのよ」


「へ〜!そうなんだ。ねえ、この近くに、ラテンバンドの有名な人が住んでいるから、今から一緒に行かない?」

「いや、でも、これから友達と会う約束があって。遅れちゃうから行けないな」


「そんなこと言わず!ちょっとだけ、ちょっとだけ!」


かなり強引で、ただのナンパでもなさそうだったので、ついていくことにした。

わざわざ日本から、遠いコロンビアまで来たのなら、自分のできる範囲で何か貢献したい!という感じの親切な人のようだった。



なんのアポもなしに、いきなり行っても大丈夫なところが、コロンビアらしい。


ドアのベルを鳴らすと、恰幅のいい男性が出てきた。





「彼女は日本から、サルサが好きでコロンビアに来たそうです」

今、道で、知り合ったばかりの男性は、そう説明した。




「さあ、どうぞ、どうぞ、中に入って!」



今会ったばかりの、見知らぬ外国人に、嫌な顔ひとつせず、部屋に入れてくれた。


部屋には、かなり多くの、本格的な音楽機材が所狭しと並べられている。


どうやら、このアパートは、ご自宅というより、音楽を作るための作業スペースとして使われているらしい。





このラテンバンドの有名な方は、フルーコさんというお名前だそうだが、

残念ながら、存じ上げなかった。




フルーコさんは、私が初めて会った日本人だということで、とても興奮し、一緒にたくさん写真を撮ってくれた。


私は、あいにくカメラを持っておらず、一枚もとることができなかったが。





名刺をくださり「後日、私のレコード会社にいってください。あなたにプレゼントしたいものがある」


ということだった。




フルーコさんと、その男性に礼を言うと、


友達との約束に、すでに遅れていた私は、大急ぎで、そこを後にした。



その日の夜、宿泊先のコロンビア人の家族に、今日の出来事を話した。






「たまたま、フルーコさんという人に会ったんだけど、知ってる?家に行ったんだよ」


というと、





「えーーー!!あの、フルーコ!?

フルーコといえば、ラテン音楽の大御所だよ!」



と大興奮!!




ホストファミリーの驚愕に、逆に驚いた。



そんなにすごい人だったとは全く知らなかった。




日本の演歌でいえば、北島三郎みたいな存在だろうか。


それにしても、見知らぬ外国人を、あんなにも気軽に部屋にいれてくれたもんだ。





後で調べてみると、Fruko y sus tesos という名前で、たくさんのCDが出ていた。



そして後日、名刺をもらっていたフルーコさんの会社に行ってみた。





若い社員が、フルーコさんに言付けられたのか、フルーコさんや、そのレコード会社が出しているCDを大量にプレゼントしてくれた。




その社員は、


「あなたに、他に何かできることはありますか?」


と言った。




突然、そんなことを言われて、何を言っていいかわからなかったが、とりあえず口に出た言葉は、


「私、すごくサルサが好きなんですが、何か私にできることはありますか?」


だった。





「もっと、あなたのスペイン語が上手くなって、音楽の知識が増えたら」





そして、私はそのレコード会社を後にした。



たくさんのCDをもらったものの、嬉しさよりも、なんだか、とてもせつない気持ちだった。



チャンスは突然訪れる。




前、ジャッキーチェンと会った時みたいに。



このチャンスに対しても、結局、私は何もできなかった気がした。



何か、すごく大きなチャンスを逃してしまったような気がしてならなかった。



とはいえ、何をしたらよかったのかも、正直わからなかった。




コロンビアでサルサのダンスは学んでいた。



でも、音楽のこともよく知らず、ただ好きだ、好きだと言っているだけでは、



準備ができていなければ、突然チャンスが訪れても、何もできないことを痛感した。




今を生きるのが大事、とよく言われるが、未来を思い描くことも、それと同じくらい大事じゃないだろうか。



どうしていきたいのか?何を望んでいるのか?を、もっとはっきりさせるということ。




こんなことが起きたら嬉しいな、こんな人に出会ったらこんな話をしたり、こんな活動を一緒にするように提案してみるのはどうだろう?



など、いろんなことをイメージしておけば、いつチャンスが訪れても、後悔しないのではないかと思う。



せっかくの出会いを、その時だけのものに、終わらせないために。


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