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16/7/14

【第7話】離れて暮らしていた父の介護のこと、死んだときのこと、そしてお金のこと。

Image by Olia Gozha

父の入院

電話がかかってきたのは、確か3月の初旬だったと思う。

ケアマネさんからだった。

ケアマネさん「今日、デイサービスを利用してもらったんだけどね、送迎の時、ヘルパー一人では介助できないくらい足が動かなくて…いつもより反応もないから病院で診てもらうことになったの。これから病院に来られるかしら?」

「わかりました、すぐに行きます。」

父の身に何か起きてる。

上司に説明して、すぐに職場を飛び出した。

姉にもLINEをするものの、姉の職場は携帯電話の持ち込みが禁止だ。当然見るのは終業後。

(この規則があるため、連絡先の第一位は必ず私の携帯だった)


「(もっと早く電車動いてよ!)」


電車にしてみれば、予定通りに運行しているのに理不尽このうえない。

私は当時、東京23区西部に住んでいて、会社は渋谷。

かたや父は23区東部在住。

この微妙な遠さに、この先何度も電車は私に八つ当たりされる。

今なら素直に謝れる。ごめん、電車。君は何も悪くない。


父の病名

病院で先生から告げられた病名は

「ラクナ梗塞」「多発性脳梗塞」

というものだった。


この時初めて聞いた病名だったのだが

脳梗塞の一種で、小さい血管の梗塞のことをこう呼ぶらしい。

高齢になると、結構な割合でなるようなんだけれど

父の場合、そのラクナ梗塞が脳のあちこちで起きて

それが足を動きにくくした原因であろう、ということだった。

そして、この時に「認知症」とハッキリ言われた(のだと思う)。

正直なところ、訪問調査の時点で、もう父が認知症だということはわかっていた。

さらに、あの調査の後、父はどんどん色々なものを忘れていった。

何より、携帯を使えなくなった。

どのボタンを押せば通話ができるのか、がわからなくなっていた。


第1話で「この姉への電話が結果として、父の命を繋ぐことになった

と書いたのは、こういう意味だった。

恐らくあのタイミングで姉に電話してなければ、

きっと誰にもヘルプを出せずに、父はひとり部屋で死んでいたと思う。


入院

とりあえず父はそのまま入院することになった。

保険証、診察券(以前に来てた病院だった)、お金…色々準備しなければいけない。


父の部屋(汚部屋)のどこに保険証あるんだ?

っていうか、そもそも家の鍵は?


「んー?あれ、ないか?」


ないよー、父ちゃん。


その日は入院の手続きだけして会社に戻り、他のことは翌日に回した。


姉からも連絡があり、明日は自分も会社を休んで一緒に病院へ行く

とのことだったので、父の家で必要書類探すのも一緒にやろうということになった。


もし鍵閉まってても、まあ何とか開けられるべ。


なぜかそう思い込み、翌日、二人で父の家に向かったのだった。


つづく

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