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16/7/11

【第0話】離れて暮らしていた父の介護のこと、死んだときのこと、そしてお金のこと。

Image by Olia Gozha

2016年6月3日、父が死んだ。

昨年の12月から入院していた父が、この日の朝8時に死んだ。

最期の最期、少し苦しそうな顔をした父は、大きく息を吐き出して、それから動くことはなかった。

自分の中では、最期に父に伝えたい事をもう一度言いたかったけれども、出てくるのは嗚咽しかなかった。

ものすごく澄んだ青空の下、白布に包まれた父が安置所に行くため、車に乗って病院を去っていく。

もう父と目を合わせることもできなくなってしまったことを受け入れられないまま、葬儀社やお寺さんへの手配をしなければならない。

そうだ、会社にも連絡を。ああ、親戚にも。

頭のなかは何もまとまらないまま、それでも進むしかないと覚悟をきめた日だった。

家庭環境

父はいわゆる「晩婚」というやつで、母と結婚したのは37歳。

その時母はまだ20歳で、その差はなんと17歳。

おやじさん、やりますなあw

父39歳で姉が、41歳で私が生まれた。

といっても、父はあまり家庭を省みるタイプではなく

いつもあちこちにでかけていて、たまーにしか帰ってこないこともよくあった。

それでも小さい頃は色々遊びに連れて行ってもらったことを覚えている。

特に冬のスキー旅行は定番で、これは姉が子供を産んでから3世代でもスキー旅行に行くほど。


ちょっと話がずれたけれども

そんな自由奔放な父と母の間に確定的に溝ができたのが

父の事業の失敗からの借金。もちろん家族に相談ゼロ。テンプレか!

そして両親は別居後離婚し、私と姉は母に引き取られることになった。

この時、私が中学生、姉が高校生のときだった。


この時から、最後まで父は他の人とは暮らさず

いわゆる「独居老人」として小さな風呂無しのアパートで生活をしていた。

この間でも、姉と父はよく連絡をとっていたが私は全くとっておらず、交流が戻ったのは姉に子供が産まれてからになる。

ずっと一人暮らしをしていた父に異変が起こったのは2014年の2月、大雪が降った次の日のことだった。


つづく





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