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16/7/16

小倉良いとこ一度は

Image by Olia Gozha

社会人になって最初に行ったのが北九州の小倉。勤めることになった船会社の研修だった。同期7名で1ヶ月。

もう30年以上も前のことになるが小倉駅は新幹線も停車する立派な駅。会社の北九州出張所は小倉駅の南口を出てすぐの所にあった。

宿泊は戸畑の戸畑大橋の付け根あたりに位置していた船員会館という、この辺りの港に寄港している船員さんが宿泊する施設。橋の袂からは川の対岸の若松地区に渡る船が行ったり来たりしていた。

北九州の港の船舶代理店で実務に関する研修を受けた他は、当時の住友金属小倉製鉄所の構内で住金の人達から鉄がどの様にできるかや、原料の輸送についての座学。

勤務する会社の船が寄港すると岸壁に着岸した後に乗船。

最初こそ入社早々ということもあり緊張して研修を受けていたが、流石に毎日となると飽きてくる。

加えて後述する様に「夜遊び」が翌日の睡魔に変わっていく。


小倉に赴任した直後は出張所の皆さんが気を使って夕ご飯やその後にスナックに連れて行ってくれた。

生簀の中を泳ぐタイが活き造りになって現れた時には皆んなで息を飲んだ。

所長行きつけのスナックは幾つあるか数えられない程あった「丸源ビル」の内の一つにあった。

翌日の研修と船員会館の門限23時を考えて一旦全員で船員会館に戻る。

酒がそんなに強くない2名を残して再度先程のスナックに舞い戻り、また2時間程してから船員会館に戻り非常階段を登って屋上から待機している同期の部屋の窓をベルトでコンコンと叩いて非常ドアを開けて貰うということが多々あった。

今なら携帯電話があるのでそんな事もしないであろうが、若かったというかバカだったのでこんな無茶が出来たのだろう。

組合が強かったので給料の支給日は15日。その月の半分が後払い、あとの半分は前払いと言うのがその理由らしい。

船員会館で朝食と夕食が出て、昼食も研修がある時は弁当が出るので、もらった給料は使い放題。

パチンコが大好きな2名は休みともなると朝から駅前のパチンコ屋へ。今日は2万勝っただの、3万負けただの言っていたが格別金持ちになったわけでは無かったので、トータルではやはり負けていたのだろう。

他の連中は出張所の高校を卒業したばかりの事務員の女の子を誘って観光地やらハイキングまがいなことをやっていた。

夕方になると例の生簀の店へ今度はその子と我々だけで行きまたもや活き造り。

大変幸せな日々を過ごした。


戸畑の街は近くにあったその当時の新日本製鉄の製鉄所から出る煤煙のせいか街中がくすんでいる様に思われた。しかしそれは本当に空気が汚染されていると言うよりも街自体が朽ちてどこか時代遅れの感じを漂わせていたためではなかっだろうか。

労災の為か松葉杖をついて歩いている人を多く見かける。

また夕方にともなると通りに面した民家風の建物の引き戸が少し開けられて、その中から妖艶な赤い光が漏れてきていた。その赤い光は心を揺さぶり催眠術にかかった様に中に視線を這わすことになる。

すると年齢は不詳な女の人がぼーっと赤い光の中に座っている。

ふと我に返って悲壮感とも恐怖感とも言えない何か見てはいけないものを見てしまったとの思いが心の中に満ちた。


それに比べて小倉は同じ製鉄所を持つ街ながらアーケードの整備された商店街が広がり、若い人の溢れる街だった。

1ヶ月に渡る研修を終え、我々同期は小倉駅から二手に分かれ、一方は茨城県の鹿島へ、もう一方は和歌山へと旅立ったのだが、あれから30年以上経って7人の同期の内その会社に在籍しているのは1名だけだが、今でも会えば話が自然とこの頃の小倉の研修に及ぶのは、それだけこの時のハチャメチャな生活が心に残っているからだろう。


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