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16/6/28

Image by Olia Gozha

 特攻隊と夏の記憶


私の実家は茨城のいなかにあって、まわりはぐるっと田んぼに囲まれたのどかなところだ。

近くには農林水産省の広大な養豚研究所があって、その辺りを地元の人は「飛行場」とよぶ。

戦時中に、陸軍だかの飛行場があったからだ。

子供のころから、まわりの大人たちは当たり前のようにそう呼ぶので、特に気にしたことはなかった。

戦争体験をした祖父が、18歳で招集された話をよくしていたがあんまりしょっちゅう話すもんだから、適当に聞き流していた。

幼すぎて戦争というものを理解できなかった。

小学校高学年ぐらいになって、やっとなんとなくわかったくらいだった。


去年夏休みに帰省したとき、90歳近くになる祖父が例のごとく戦争の話をし始めた。


私はなんとなしに、

「あそこの飛行場ってよんでる辺りは、一帯が全部軍のものだったんでしょう」

ときくと、

「そうだ。だから特攻隊の兵士をうちに泊めたりしたんだあ」

と、さらっと茨城弁で返してきた。


初めて聞く話だったから、一瞬驚いた。


なんでも、特攻隊に招集された人たちが訓練を受けている間、近所の農家に下宿していたんだそうだ。

我が家もそのうちの1件だったらしく、5人ほど預かっていたそうな。

「18~ハタチくらいだったろうなあ。若かったど」

そうこともなげに祖父は言った。


特攻隊なんて、本かテレビでみるちょっと遠い存在の人たちだったのに。

この場所で、同じ空をみて、同じ景色をみていたなんて。

我が家にいた人たちは、どんな思いで過ごしていたのだろうと考えると、自然と涙が出た。


彼らもみたであろう筑波山を、私も今同じようにみている。

70年前も今もその姿は変わっていない。

当時も空は碧く、田んぼは青く萌えていたに違いない。


ただ戦闘機はどこにもない。

滑走路は、道路と田畑と養豚場になっている。

爆弾を隠していた防空壕はうっそうとした林になり、影も形もない。


彼らはどこへ飛んで行ったのだろう。

どこの海で燃えていったのだろう。








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