top of page

16/6/28

大手志向の私が昔の自分を変えたくて、新卒向けの人材紹介ベンチャーに就職するまでの話

Image by Olia Gozha




「本心に妥協せず、此処という瞬間に自分の意志によって決断する人を増やす。」


が、小さな一人の人間である私の決意。




幼少期の私に自分に尋ねたとすれば、私は自身を自信満々に「いい子」と答えると思う。


私が母の言う通りにすれば、「麻友ちゃんはいい子」誰もが口を揃えてそう言うからだ。


アイサツさえすればいい。いい子いい子。私は誰よりもいい子なので、友達も沢山。


そんな“完璧な”いい子は小学四年生の時、突然仲のいい友達たちに口を聞いてもらえなくなった。私はいい子なので、問題ないはずなのに。


数週間に渡る孤独を経て私はすっかり「いい子」ではいられなくなった。


「嫌われたくない。はみでたくない。」


先生、友達、塾の先生、シンユウ、それぞれに“完璧に”同意する「イイコ」を演じきった。


嬉しくても、怒られても、悲しくても、友達の枠からはみ出ないように、本心がばれて傷つかないように笑顔を絶やさず、へらへら笑い続けた。





中学受験を終え、中高一貫校に入学。




精を入れた部活動では、同ポジションに親友も出来た。


誰もが思春期を経験するこの時期、もう一つ女社会で増えるのが「いじめ」だ。


私はイイコでいるためにこの女社会に迎合し、「ウザイ」という言葉を援用して親友と絶交した。


これでいいんだなんか思っちゃいない。親友が部活をやめたのだ。


自己嫌悪に苛まれ、誰のイイコでいればいいのかわからなくなった。


イイコイイコイイコ。中学3年生になる頃には、自分も人も信じることが出来なくなっていた。


自分のしてしまったことの大きさ/衝撃に気づいたが、


彼女に下げる頭など、怖くて持ち合わせていない。


「やめよう」自分のせいで部活を去った親友を尻目に、しゃあしゃあとプレーできるほど強くない。




そんな時に、無条件で私の退部を止めてくれた、チームメイトがいた。


最初は猜疑心だった。人数が足りていなかっただけかもしれない。


それでも嬉しかった。


こんな私にも必要とされる場所が創れるかもしれない。チームメイトにあやかり、ちょっと自分の事も信じてみようと思った。




16人いたメンバーが10人に減り、いよいよ部活動に取り組む、という時。


なにもない私に出来ることって何だろう。


スキルだけではなく、一人一人をありのまま尊重し合える仲間でありたい


夏合宿の夜、ミーティングの時間を頂いて


私たち10人は一人一人に対する本当の気持ちを泣きながら打ち明け合った。


自分がよく思われていないことを吐露されるのは苦しい。


でも同時に私たちは共通の目的である『勝つこと』に向けて一人一人が


真剣に方法論を模索し出した。


「なにもバットを振らなくても、勝ちに貢献できる」そしてマネージャーや


保健係ができた。


沢山ぶつかったが、芯を共有したものの喧嘩は有意義。


このチームで得た小さな大会での優勝は、私に


一人一人と本気で向き合うことの大切さを肌で感じさせた。





大学入学後入った、ネパールへの教育開発支援ボランティア団体では運営部に所属した。


一人一人と向き合うことが大事だと胸に刻んで、


部員一人一人と時間を設けて話す。


中には他の刺激を求め、辞めていく人もいた。


一人一人の目的ややりたい事がある中で、


「辞めないで」とは言えなかった。


「大学の学生団体なんて拘束性が強くてはいけない。」


今思えばそう言い聞かせていただけだ。


沢山の人と向き合う振りをして


世間のモノサシを盾に自分の意見をぶつけていなかっただけ。


学生団体を引退したときにもらった「ありがとう」に自信がなかった原因はここにあった。





そして留学で痛いほど気づいた、自分のモノサシのなさ。


“what will you have?” “umm. Same as yours.”


遊び人のjobertに言われた、


「この人生は誰の人生なんだ?お前もう子供じゃないんだ。自分の人生に責任を持てよ。


俺はお前みたいな生き方をしたら、絶対後悔する。」


という言葉に、普段感情を出さない私が初めて、

心からむかついた。

この苛立ちという感情がむき出しになった時にようやく気がついてしまった。

私なりの人生歩きながら、たまに人にも合わせていただけだと思っていたけど、

本当は自分で何かを決めたことがなかったこと。そんな自分が好きになれないんだということ。

習い事だって大学だって、セケンが好きなものを選んで

自分の居場所を確保したかっただけ。

そう思ってから、少しずつ私も変わり始めた。


アメリカでは自分初めて目標を決め、

それに向かってストイックに頑張った。そこには何のブレもなかった。

強い自分を持って主張したおかげで、今も連絡をこまめに取るような本当の友達たちも海外に出来た。


けど日本でそれが出来ていただろうか。

私が人生において提供したい価値は、

『他人に対して絶対に諦めず、彼(女)らの人生に向き合うこと。』

そのために出来てなかったけど必要なこと。

「本心に妥協せず、此処という瞬間に自分の意志によって決断する」


この価値を提供したいという気持ちに妥協しない。

絶交した親友に謝りたい気持ちにも妥協しない。

そんな気持ちで7年交流を断絶していた親友と勇気を出して話し、謝ることが出来た時

改めて人に対して本気でむき合う大切さと、そこに対して妥協することの後悔を知った。


だからこそ

本心から、私の提供したい価値は『他人に対して絶対に諦めず、彼らの人生に向き合うこと』

ということが出来る。

だから、ただの自分勝手だけど、自分のこの想いを通して今日も明日も明後日も、失敗ばかりの社会人生活を全力で楽しめるんだな、とおもう。


←前の物語
つづきの物語→

PODCAST

​あなたも物語を
話してみませんか?

Image by Jukka Aalho

急に旦那が死ぬことになった!その時の私の心情と行動のまとめ1(発生事実・前編)

暗い話ですいません。最初に謝っておきます。暗い話です。嫌な話です。ですが死は誰にでも訪れ、それはどのタイミングでやってくるのかわかりません。...

忘れられない授業の話(1)

概要小4の時に起こった授業の一場面の話です。自分が正しいと思ったとき、その自信を保つことの難しさと、重要さ、そして「正しい」事以外に人間はど...

~リストラの舞台裏~ 「私はこれで、部下を辞めさせました」 1

2008年秋。当時わたしは、部門のマネージャーという重責を担っていた。部門に在籍しているのは、正社員・契約社員を含めて約200名。全社員で1...

強烈なオヤジが高校も塾も通わせずに3人の息子を京都大学に放り込んだ話

学校よりもクリエイティブな1日にできるなら無理に行かなくても良い。その後、本当に学校に行かなくなり大検制度を使って京大に放り込まれた3兄弟は...

テック系ギークはデザイン女子と結婚すべき論

「40代の既婚率は20%以下です。これは問題だ。」というのが新卒で就職した大手SI屋さんの人事部長の言葉です。初めての事業報告会で、4000...

受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1

僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で...

bottom of page