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16/6/26

慶州ナザレ園

Image by Olia Gozha

慶州ナザレ園という言葉を聞いたことがあるだろうか。この言葉の重みに身が引き締まる思いがする。第二次世界大戦のとき、韓国に残らざるを得なかった在韓日本人女性の過酷な生きざまを知る人は少ないのではないかと思う。先日、早朝4時過ぎからのNHKラジオ深夜便で「韓国の同胞に寄り添って」と題して、松島啓昇氏の慶州ナザレ園の切実なお話を聞くことが出来た。大戦の最中、朝鮮人男性と結婚し、家庭を持っていた女性が、終戦となり、また、その後の朝鮮戦争で夫や家族と生き別れるなどし、日本に帰国することが困難な立場に立たされ、やむなく在韓日本人として異国の地でその生涯を送ることを余儀なくされた女性達である。慶州ナザレ園はそうした彼女たちを保護するために設立された施設である。日本に帰国できない様々な事情を抱えながら、当時は反日感情の高まる最中、日本人であることを隠して生きてきた。今、平均年齢を90歳を優に超え養老院としてのこの施設で暮らしている。忘れてはならないのは、「社会福祉法人ナザレ園」を経営する菊池政一氏と韓国老人施設協会の会長金龍成氏である。仏国寺中学校を買収して施設を開設した後も、献身的に支援してこられたことである。この早朝のラジオを通して知り得たことであった。

私の知る限りでは、さらに忘れてはならないのは、その逆もあったということである。軍関係の仕事に関わっていた私の父も、日本人男性と結婚した朝鮮人女性のために新たに日本戸籍を取得させていた。この悲劇の女性達の人生を考えるとき、決して二度と戦争はしてはならないと深く考えさせられる。まだ、終わらない戦争がここにもあった。

 

この日、沖縄では71年目の慰霊の日を迎えていた。20万人以上の人が亡くなった。その中には沖縄で戦死した叔父の名前も石碑に刻まれている。まさに、不条理と残酷と悲劇の歴史である。ああ許すまじ戦争を!! 合掌。

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