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16/6/29

第5回 流産4回・・・そして離婚。いのちとは何かについて考え、看護師になるまで。

Image by Olia Gozha

月日は流れ、私は第一子を無事に出産した。



腕のなかで眠る我が子は暖かく、そしてずしりと重かった。ああ、これが命の重さなんだな・・と初めで実感した。



それから数年、我が子はすくすくと成長した。しかし、流産して亡くしてしまった命を忘れることはなかった。あの子たちが私に宿った意味、そして伝えたかったことは何だろう・・生まれたくても、生まれてこれなかったいのち・・本当に命とは奇跡の連続なのだと感じた。私は、空を見上げ「あの子たちの分も頑張ろう」そう誓うのだった。



女手一つの子育てという事情も手伝って、求人誌を眺めていたとき、ふとある病院の看護助手の応募に目が留まった「これだ!」と思った私は、直ぐに連絡、面接を受け採用の運びとなった。当時、婦長をていた方のすすめもあり、看護学校を受験することが決まった。


翌年の春、私は30代半ばにして看護学校の門をくぐった。それは働きながら学校へ通う生活の始まりだった。久しぶりの学校生活、椅子に座り授業を受けることでさえままならない。仕事、学校、テストにレポート・・・やらなければいけないことが次々にあり、投げ出したい衝動に駆られることも一度や二度ではなかった。その度に、我が子、そして空を見上げて誓ったあの日を思い出し、歯を食いしばった。


入学当初は、耳慣れない医療の専門用語に戸惑いを覚えた。そして、クラスの半数以上は20代という若さ。記憶力ではなかなかかなわない。私は、その分を睡眠時間を削り、少しの時間でも勉強にあてることにした。仕事の休憩時間もレポートやテスト勉強にあて、つねに参考書を持ち歩く生活を続けた。また、知識はアウトプットするとよいと聞き、友人とわからないところを教えあう方法で知識としていった。学校の日は皆より早く登校し、参考書に目を通した。



その甲斐もあって、看護学校を首席で卒業。40代で国家試験に合格し、晴れて看護師となった。







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