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16/6/25

週末の床屋の待合席で

Image by Olia Gozha

駅前から歩いて少しの所にある床屋。6席あるのだが今は4席しか使われていない。通い始めて10数年。今日も訪れたが。

この床屋、どうやら共同経営の様で元々は6人が「切り手」だった。

おばあさんが2人、おじいさんが2人、それよりは若干若い男性が2人。

値段が安いのと、切る人が沢山いて回転が早いので、常連を中心にいつも混んでいた。

しかし10数年も経つと皆んな年を取る。

髪を洗ってもらった後のちょっとしたマッサージ。ある頃から、おばあさん2人のマッサージが、

さっすっているの? という感じに。

それでも長時間立ったままでハサミで細かな作業を続けるのだからたいしたもの。


ある時いつもの様に散髪へと店に入るとおじいさんの1人がいない。

何かの用事かなとも思ったが数ヶ月居なかった。

そして、そのおじいさんは再び現れたのだが、その時はもはや「切り手」ではなかった。

散髪台は綺麗に片付けられて、床の掃除、タオルなんかの洗濯、料金の受け取りをやっていた。

腰を痛めたという噂も聞いたが、少しあしを引きずっている様で、本当の理由は定かでは無い。

この職種の変更は「共同経営」に少ない影響を与えた様だ。

そもそも6人が同じ仕事をする事が前提だった所に、一名別の職種、言って見れば「間接部門」が発生。

会社でも「営業部門」が「稼いでいるのは俺たちだ。間接部門は金だけ使って無駄だ。」なんて話は良く耳にする。それでも会社の場合、ある程度の規模になると、専門的に間接部門を持った方が効率が良くなる。

この床屋でも妙にヨソヨソしくトゲトゲしい雰囲気が蔓延していた。

別のおじいさんが間接部門に回ったおじいさんがいない時に常連客にこう言っていた。

「本人も切れなくなって辛いし、吹っ切れて無いで仕事をしてるから。」

しかし、人間とは不思議なもので、段々とその状況を受け入れて、平穏な状態に戻った様に見えた。


また数年が経過して「切り手」、「間接部門」そして「客」もその分年を取っていった。

家族に送り迎えして来店する客、椅子から立ち上がるのに悠久の時間が流れる客。

どこか日本の縮図を見る様なところがあった。このまま後10年経ったら?

そして、それは突然に起こった。

若い方の「切り手」の1人がいなくなった。

よくしゃべる男で、中学生位の娘があると言っていた。

この店の将来を悲観してどこかの店に移ったのだろう。

2つ目の空の散髪台が何か空虚な諦めの様相を映し出していた。


床屋に行くといつもラジオが流れている。

ラジオ? まだあったんだ、という発見。普段、ラジオを聞くことも、その存在を思い出すとこもほとんど無い。

聞いていると早口でしゃべるアナウンサーや芸能人が「リスナー」からの葉書やメールの内容を読み上げたり、リクエストされた曲を流したりしている。

そう言えば学生時代、勉強する時は必ずラジオを聴いていた。定期試験前などは早朝番組のスタートのテーマ曲が掛かると勉強を終了して短い睡眠についたものだった。

ある時はラジオ局のアナウンサーになりたいと大学の「アナウンス研究会」に入った事もある。

先輩には元フジテレビの山中秀樹アナがいて厳しく発生練習や滑舌練習をしたものだった。

そんな重要な地位を占めていたラジオを忘れてしまっていたなんて!


そう、床屋で自分の順番を待つマッタリとした時間は、忙しい日常を切り離して色々なことを思い起こせてくれるタイムマシンの様な機能を持っている。

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