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16/6/24

ティーン時代の不思議な体験が、20年後に奇跡をおこす

Image by Olia Gozha

あれは高校2年の夏の夜のことだった。

期末に向けたテスト勉強に飽きた私は、散歩がてら実家裏に広がる丘の上に向かった。

明かりも何もない、殺風景な場所だったが、だれも居ない静かなその丘は私のお気に入りの場所だった。

丘の頂上に到着すると、地面に横たわり夜空を見上げる。これが夏夜の恒例行事だ。

この日は、月がとても明るく、夜空に浮かぶ雲が白く浮き上がって見えるほどだった。


しばらく夜空を眺めていると、いつもとは違う、不思議な空気が全身を包み始めた。

そしてある瞬間から自分自身が全く違った「何か」になったような錯覚を覚えた。

身体が平たい一枚の紙になったような感覚だ。

すると同時に、目の前の夜空にも異変が起こった。

明るく輝く月と、夜空に浮かぶ雲。そして点々と輝く無数の星々。

正に自分の目に映る全てが、落ちてきたのだ。

夜空はどんどんと落下しつづけ、私の目の前に押し迫った。

私はなすすべもなく、地面と空にピッタリと挟まれた。

何が起きているのか、とても理解できる状況ではない。

それはまるで、薄型の液晶画面に入り込んでしまったような感覚だ。

空と大地と自分が二次元の絵になったと言った方が正しいかもしれない。

夜空に浮かんでいた雲が私の鼻のあたりで漂っていた。

月は、正に目の前で輝き、手を伸ばせば直ぐにつかめるようだ。いや、舌を出せば舐められたかも知れない。

とにかく、それは不思議な体験だった。

その後、どのくらいその時間を体験していたか、その後、どのように家に帰ったのか、よく覚えていない。

覚えているのは、煙い雲の感触と、今でもありありと思い出す、そのリアルな映像と感覚だけだ。

親にも話してはみた。しかし、思春期の子どもの言うことだ。

「私にもそういう時あったかも」なんて笑い話にさえならない。

しかし、私はその一夜から物事の見え方が、ガラリと変わってしまった。

「世界は自分たちの考えるイメージとは、まったく違った姿をしている」

全ての現象がそう思えるようになっていた。


その出来事から、20年の月日が経っていた。

私は「あの出来事」を頭の隅にしまい込み、至って一般的な目線で、普段の生活を送るようにしていた。そのほうが世の中は生きやすいという事を学んだのだ。

そんなある日のこと、仕事で冊子に掲載するインタビュー記事を書くことになった。

しかし、当時の私は文章などほとんど書いたことがない。

仕事は知り合いのライターに協力してもらい、どうにか仕上げる事は出来たのだが、これからの事を考えると、書く事を学ぶ必要性は高いと考えた。

そこで私は、仕事の合間を利用し、練習がてら、ちょっとした小説的なものを書いてみることにした。

その小説の題材を考えていた時、ふとあの日の出来事が頭をよぎった。

あのSFじみた体験を文章に起こす事ができたら面白い。

早速私は、あの夜の事をテーマにしたストーリーを書くことにした。

当然、小説など書いた事などあるわけがない。半分は遊びのようなものだ。

私は、「真実の部屋」というタイトルをつけ、小さな部屋から始まる物語を書き始めた。


昼休みを使っての1日30分が私の執筆活動だった。

書き始めて一週間ほど経ったが、A4用紙1ページも文字は埋まっていなかった。

本作の主人公といえば、まだスタート地点の「小さな部屋」から出られていないありさまだ。

短編とはいえ素人が小説なんて無謀な事なのかもしれないと思っていたある日、不可解な現象が私の頭の中で起こり始めた。

頭の中の主人公が、私の意図しない行動を取り始めたのだ。まるで自ら意識をもって動いているかのように。そして物語を勝手に展開させていく。

私は困惑したが、それ以上に彼らが織りなす話の流れが、実に謎めいていて面白い。

私は、必死にその様子を文章に書き起こした。頭の中に映し出された映画をそのまま書いているかのようだった。

登場人物も一人、二人と増え続け、その意図しない物語は、いつの間にか大きな冒険の記録へと変わっていった。

その後、頭の中の「彼ら」の謎めいた冒険は、実に5年ほど続いた。そして、とうとうストーリーは完結を迎えたのだ。

そのやりとりは、実に楽しいものだった。そして驚きの連続だった。私は昼休の30分を使い、その出来事を書き上げた。

その量は実に原稿用紙900枚にも及んでいた。物語もかなりの長編となった。


当然、私はこれを形に残したいと考えた。

そこで、出版各社にメールや手紙を書き、本にしてくれる出版社を手当たり次第、探してまわった。

しかし、素人が書いた長編小説などどこも見向きもしない。持ち込みで読んでくれる出版社でさえ皆無だ。

どうやら、素人が出版するには、出版社主催のコンテストに応募し、賞を受賞する必要があるらしいのだ。

そこで、私もコンテストに物語を応募することにした。

しかし、そこでも大きな問題が起こった。募集作品には原稿用紙数の制限があるというのだ。

枚数制限は大方200~400枚が上限。

一枚でもオーバーすれば審査対象から外される。厳しい世界だ。

900枚もの素人原稿に目を通す「ムダ」はしないということなのだろう。

正に八方塞がりとはこの事だ。


しかし、そんな私にも転機が訪れた、出版情報を調べているときのこと、偶然にも電子書籍を扱う出版社のサイトが目に飛び込んできた。

直ぐにメールで打診してみたところ、ちょうど電子出版物を募っていたところで、表紙のデザインとWordの文章があれば、無料で販売ルートに流せてくれるとのことだった。

グラフィックデザインの仕事をしていた私には、その手の作業はお手のものだ。

直ぐ様、表紙のデザインを作り上げ、小説の電子書籍版を販売委託することとなった。

販売は6月吉日での要望とした。


しかし、6月に入ったものの、一向に本は発売される様子が無い。当然先方からのメールも来ないしまつ。

「もしかして騙された?」

変な考えが頭をよぎる。

しかし、業界では名の知れた会社だっただけに、「忙しい」のだろうと少し待つことにした。

委託から4週間が過ぎ、6月も最後の週になっていた。流石に不審に感じた私は、直接連絡をとる事にした。

すると先方からは、予想もしない返答が帰ってきた。


「申し訳ございません。販売の準備は整っているのですが、7月の頭に開催する東京国際ブックフェアの準備で現在大変混み合っておりまして、もう少しお時間がかかるかと思います」


さすがにこの返答には「そちら事でしょうが!」と、少し文句も言いたくなったが、今回は登録費用を無料で対応してくれているため、あまり強くも言えない。別段、こちらも慌てているわけではなかったので、正式な日取りは先方に任せることにした。

その晩、昼間の電話の事をふと思い出した。担当の女性は「東京国際ブックフェア」とか言っていた。

さっそく調べてみると、出版業界においてはかなり大きなイベントだという事がわかった。電子書籍も含め、かなり先進的な取り組みを発表するとのこと。


ちょうどその頃、私は1分ほどのYouTube動画を作り上げていた。

電子版「真実の部屋」の宣伝動画だ。

小説を動画で宣伝するという、一風変わったCM方法を考えていたのだ。


その時、私の中で、「東京国際ブックフェア」と「CM動画」が一つになった。

今流行のコンテンツを使った新しい宣伝方法を、ブックフェアで発表したらどうだろうか? 当時、まだ誰もしていないこのアイデアなら、企業的にも間違いなくインパクトは高いはずだと考えた。

開催日まではもう一週間を切っていた。殆ど、出展内容は決まっていることは察しが付いていた。しかし、折角のアイデアを棒に振るのは勿体無い。

ダメ元でメールを送った。

すると、一時間も経たず、返信メールが帰ってきた。

それも責任者直々の返答だ。


『ぜひ、その動画を発表させて欲しい。それに合わせ、電子書籍も販売する。当日、時間があれば、時間を設けるので、会場で挨拶もしてもらえないだろうか』


一瞬、何がなんだかわからなかった。

こんな映画のような展開は自分の人生でも初めてだ。


2015年7月3日、電子書籍が予定通り発売され、私は会場に集った多くの人達の前で、巨大なスクリーンに映し出されたCM動画と共に紹介された。

まだ一冊も本を売った事の無い無償の新人が、本の発売日にイベントで挨拶をする。

こんな展開をだれが予想できるだろうか。


多くの友人や親戚から祝辞をいただいた。

嬉しかったが、すこし不思議な感覚だった。

ただ自分は遊びのようにしていただけだ。そんな遊んでいる自分を多くの人が祝ってくれる。嬉しい反面、どう事を受け取って良いのか、少し困惑した。


それから数日たったある日、私は本当の奇跡を体験していたことを知る。


その日、親友からSNSでのメッセージが届いていた。

「お前、あれ狙ったのか? とにかくおめでとう。小説、面白いよ。お前にこんな才能があったとは驚いた」

こんな嬉しい一文が届いた。

しかし、私自身は腑に落ちない。「狙った」の意味がわからないのだ。

返信してみたが、仕事中なのか、それ以降連絡がない。

仕事を終え、家に帰ると、義姉が妻とお茶を飲んでいた。

「おめでとう。すごいね。それにしてもあれ、狙ったの? よく考えたじゃん」

「あっ、ありがとう。でも、狙ったって何?」

姉からも同じ事を言われ困惑した。

「日にちだよ。日にち。小説の日にちと、発表日、合わせたんでしょ」

「日にち? そんなこと何にもしてないよ。そんなの都合よく合わせられるわけないじゃん」

しかし、私は自分の言葉にハッとして、あわてて自室に走った。

机の上に無造作においてあった小説の原稿を取ると、表紙をすぐさま開く。

そこには、冒頭の展開とあわせ、物語の中での日付が記されていた。


そこには『7月3日』と書かれていた。もちろん、それを書いたのは紛れもなく私自身だ。

小説のストーリーがはじまった日にちと、小説を発表した日が、奇しくも同日ということになる。

私はそれを見た途端、全身の力が抜け、不思議と涙が溢れた。

小説の日付のことなどまるっきりわすれていた。

それはそうだ、小説の冒頭を書いたのは今から5年も前の事だ。

もちろん読み直しはしていたが、日付を意識したことなどなかった。

だが、その日の事はよく覚えている。そして物語の始まりの日にした理由も。

私の高校2年の夜。不思議な体験をした、正にその日だったからだ。

全てはあの日の夜に繋がっていたのだ。

そして全てはあの夜から始まっていたという事になる。


『不思議な体験』

『頭の中の彼らの行動』

『電子書籍の発売日の遅延』

『たまたま開催されていた東京国際ブックフェア』

『まさかの招待』

どれも、偶然につながったことだ。自分でどうこうできるレベルじゃ無いのは誰が見ても明らかだ。


この不思議なシンクロニシティにどんな意味があるのかわからない。

しかし「彼ら」は、私の頭の中を飛び出し、様々な人たちの意識の中に旅立ったことは確かだ。


時間が経ち、今になってふと思うことがある。

この物語は、彼らが私の頭の中から旅立つために、私に書かせたのではないのかと。

そして、あの月夜の晩、私の中に何が入り込んだのだろうか……と。

本当の「真実」を知る事は出来ないかもしれないが、この物語が、どんな道をたどろうとしているのか、静かに見守っていこうと思う。




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