top of page

13/5/2

SPINNING(R)(スピニング)というエクササイズとの出会い

Image by Olia Gozha

SPINNING(R)(スピニング)というサイクリングエクササイズプログラムに出会ったのは、1996年のことです。その当時はプロのマウンテンバイク(MTB)ダウンヒルアスリートになりたいと頑張っていた頃でした。


いや、もっと正確に言うと出会ったのは92年ですね。


客として通っていた福岡のフィットネスクラブで、仲良くしてくれていたエアロビクスのインストラクターさんが


インストラクターさん「アメリカに自転車を漕ぐエクササイズがあったよ。館兄(たちあに)、そんなに自転車が好きなんやったら、インストラクターになったら良かやん(博多弁)」


と、教えてくれたのが初めです。


その頃は自分のためのトレーニングと学習に没頭していたので考えもしませんでしたが、頭の片隅に残ったのは事実です。


ですがなんと、そのSPINNING(R)(スピニング)が日本に上陸することになり、当時お世話になっていた方から、参加を打診されたのでした。


輸入元さん「館兄、福岡でSPINNING(R)(スピニング)を立ち上げてくれる人を探してる。手伝ってくれないか?」

館兄「面白そうですね」

白状すると、初めは


「自転車を漕いでお金が貰える」


というような、あまり健全な気持ちではありませんでした。


ですが、二日間のワークショップを受け、気持ちは完全に入れ替わりました。



館兄「これは凄い!人生が変わる」


そう思ったのです。



楽しさとトレーニング、つまり成果の両立。



今までトレーニングとは辛く頑張るモノだと思われて来ました。しかしそれを軽やかに打ち下すモノだったのです。


「ディスコで踊ってたら、健康になっちゃいました!」


古くてスミマセン。でも、それが実現出来る!と、気づいたのです。



右も左もわからない業界に飛び込むことになったのでした。


勿論、オリエンテーションで学んでいますから、SPINNING(R)(スピニング)自体は理解しています。


でも、それ以外のことは何もわかりません。


自分のクラスにどうやってお客さんを呼び込んだら良いのかも、わからないのです。

一緒にSPINNING(R)(スピニング)を初めたインストラクターさん達は、それぞれ他にもレッスンを指導されていましたから、そのお客さんが参加したりしてくれるのですが、僕は知っている人が誰も居ない状況。


何度も休講になったのです。


隣のスタジオでは、福岡では有名なインストラクターさんのエアロビクスのクラスが行われていて、もうぎゅうぎゅうに人が居るのです。それを寂しく眺める、と言うような日々でした。



でも、その時にあの人数を僕も絶対に入れてみせる!とは、思わせてくれましたから、あれは大事な経験だったのでしょう。


僕のマスターはアメリカ人のキース・コスマンさんでした。彼に質問したいことがあって、悩んでいたのです。その時、インターネットのメールで質問すればなんとか英語も通じるのでは?と、メールアドレスを取得したのです。


僕の変な英語と、とんでもない質問に彼はつきあってくれました。一つ一つ丁寧に返信してくれたのです。辞書を引いたりしながらですから、時間はかかりますが、それでも自分の感じたことを確認する作業は、僕のSPINNING(R)(スピニング)に対する知識を正確なモノにしてくれました。


ですが、相変わらず参加者は3〜4名。15台のバイクが寂しい日々が続きました。


マスターに質問のメールを送り続けていると、流石に面倒くさいと思ったのでしょうか、ある日の返信に



Keith Kostman「クニ、おまえこっちに来い」


と書いてありました。それは行きたい!でも、まともに稼ぎもないですからお金なんて有りません。


その事を素直に返信すると、


Keith Kostman「全部、用意するから、身体1つで来なさい」


と、メールが届きました。



館兄「本当に?」

Keith Kostman「もちろん」


フィットネスクラブにも,もっとスピニングを勉強したい、と無理を言って3週間休みを貰いました。数少ない参加者の皆さんにも、お詫びをしました。航空券もなんとか確保しました。結構色々大変です。


でも、物凄くワクワクしていました。


もう一度本物に触れれる。体験できる。質問できる。


自分がどれだけスピニングのことが好きなのかを、再確認する日々でした。


そしてようやく出発の日がやってきました。荷物を小さくまとめ、福岡空港から金浦空港へ。

大韓航空に乗ってロサンゼルスへ向かいました。


←前の物語

PODCAST

​あなたも物語を
話してみませんか?

Image by Jukka Aalho

高校進学を言葉がさっぱりわからない国でしてみたら思ってたよりも遥かに波乱万丈な3年間になった話【その0:プロローグ】

2009年末、当時中学3年生。受験シーズンも真っ只中に差し掛かったというとき、私は父の母国であるスペインに旅立つことを決意しました。理由は語...

paperboy&co.創業記 VOL.1: ペパボ創業からバイアウトまで

12年前、22歳の時に福岡の片田舎で、ペパボことpaperboy&co.を立ち上げた。その時は別に会社を大きくしたいとか全く考えてな...

社長が逮捕されて上場廃止になっても会社はつぶれず、意志は継続するという話(1)

※諸説、色々あると思いますが、1平社員の目から見たお話として御覧ください。(2014/8/20 宝島社より書籍化されました!ありがとうござい...

【バカヤン】もし元とび職の不良が世界の名門大学に入学したら・・・こうなった。カルフォルニア大学バークレー校、通称UCバークレーでの「ぼくのやったこと」

初めて警察に捕まったのは13歳の時だった。神奈川県川崎市の宮前警察署に連行され、やたら長い調書をとった。「朝起きたところから捕まるまでの過程...

ハイスクール・ドロップアウト・トラベリング 高校さぼって旅にでた。

旅、前日なんでもない日常のなんでもないある日。寝る前、明日の朝に旅立つことを決めた。高校2年生の梅雨の季節。明日、突然いなくなる。親も先生も...

急に旦那が死ぬことになった!その時の私の心情と行動のまとめ1(発生事実・前編)

暗い話ですいません。最初に謝っておきます。暗い話です。嫌な話です。ですが死は誰にでも訪れ、それはどのタイミングでやってくるのかわかりません。...

bottom of page