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16/6/21

17才でバセドウ病になった女子高生が、2011.3.11を機に『貼り絵作家』として動き出した話。

Image by Olia Gozha

第二のふるさと岩手への恩返し


2008年(23才)  図書館で『甲状腺の病気を治す本(栗原英夫ドクター)』と出会う。

2009年(24才)  ドクターに手紙を送ったことから文通が始まり、10月にドクターのいらっしゃる岩手訪問。

2010年(25才)  アイソトープ治療(放射線ヨード内用療法)により快復に向かう。


2011年(26才)  そろそろ何かはじめられるかな・・・(体調・体力面で)


その矢先、2011.3.11


『自分にできることってなんだろう??』


幸い、私が訪れた岩手・盛岡は内陸部だったため、被害は少なかったそうです。


『自身がお世話になったこの東北に恩返しがしたい!』


『そうだ、絵を描こう!』(絵を描くのは好きだった。)


しかし絵具や筆ってけっこう高価なんです・・

そこで。

『より身近な材料で絵にできないかな。。?』


折り紙・和紙・画用紙・・・


『貼り絵』っていいんじゃないかな!


この思いつきが、現在の私の第一歩なのです。


大阪市内のSoHoアートギャラリー様との出会い


当時、復興を願う展示をされていたギャラリー様と縁あって出会います。

絵やデザインを専門的に勉強したことのない私は、このギャラリーのオーナー様に、「アートとは」を教えていただくことになります。


全くの白紙すぎる状態での訪問でしたが、オーナー様は快く私の絵を見てくださいました。


そして一年後、2012年秋に個展開催を決め、それに向けて動き出しました。

当初は、画用紙に貼っていたのですが、どうしても紙がうねってしまい、作品としては頼りなさも感じていました。


そこで、「キャンバス」に直接貼り付けていく技法を思いつき、試してみると「ノリが乾くとキャンバス自体がよりピシッとなり仕上がりもきれいになりました。



(2012年 初個展より )

『カメ』 2012 


こうして『貼り絵作家』としての第一歩を踏み出します。


社会の中での自身の役割

私は高校三年生で病気を患いました。

進学、就職、夢・・・

10代ラストは、なにもかも後回しに治療に専念してきました。


どんどん前へ進んでいく友人たちがうらやましく、焦りと不安でつぶれそうでした。

しかしその「17才での病気発症」は、「生き抜く武器」へと姿を変えました。


自身の経歴すべてを「自身のもってるもの」ととらえ、同じ境遇の方を助ける人になりたい!


その想いが現在の私を創っています。


悲しいけれど、学齢期で病気になる確率は、誰もが持っています。

その時、どう感じるか、だと思うんです。


「なんで私だけ」と思うか「これ(病気)は私の個性でありユニークなところだ」ととるか。

私は、20才を少し回るまで、前者の考えでした。

友人たちが「大学だ」「専門学校だ」「バイトだ」「サークルだ」「合宿だ」と若い時代を楽しんでいるのをあたかも見せつけられているような感覚でした。

(自分がそう感じているだけ、なんだけどね)


しかし、『個』というものが問われるこの時代、「17才での病気」も言ってみれば『個性』。


病気は「運命」であり、神様からのプレゼントだと感じます。

決していいことばかりじゃない、だけど悪いことばかりでもないプレゼント。


大切にしていきたいです。


次回・・・2012年 初個展開催した話、です☆



















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Image by Jukka Aalho

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