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16/6/14

赤点、追試、マネキン組の私が人並みの歯科衛生士になるまでの話。

Image by Olia Gozha

 

 私は歯科衛生士学校の成績は後ろから数えたほうが早かった...。相互実習に移れるかどうかのテストの時も、実技がイマイチで、マネキン組と呼ばれ、毎回そのマネキンのテストを受けて合格しないと相互実習にいれてもらえないような生徒でした。







 学生時代は模擬試験で一回も合格点をだせないまま国家試験になり、私をはじめ10人くらいが国家試験をパスできるかわからないような状態で、わが校始まって以来、不合格者を出してしまうかも?と担任にも校長先生にも大学附属の病院長にまで心配をかけてしまっていました。



 私は、放課後も、マンツーマンで先生方に補習をうけて、こんなんで歯科衛生士になっても続くのかなとか、実技もコツコツやっているけど、上手い同期との差が歴然としていて、長く歯科衛生士できるのかなとも漠然と思っていました。


 ところが、奇跡が起きて、私の国家試験を受けた年に問題の漏えいがあったとかで、国家試験の問題形式ががらっと変わり、誰一人も落ちることなく私の同期は合格しました。



  国家試験の前日に公衆衛生学の先生が受験生全員の合格祈願をしてくれたことが印象に残っています。


  就職してからも、私は勤務先の院長や先輩衛生士さんにとても面倒かけ、面倒をみてもらい、首になってもおかしくないような出来事もありました。患者さんがとても腹をたてて、責任をとって辞めようかともおもったこともありましたが、そのときの勤務先の院長と先輩衛生士が庇ってくれて


 「この子は当院の大事なスタッフです。問題はあったかもしれませんが、この子を辞めさせないと来ないというのであれば、来なくて結構です。」


 と院長が言い放ち、先輩もフォローしてくれて、辞めずに勤務することができてしまいました。


 どうしようもない私ですが、あの時は、この院長と先輩の為に、仕事をもっと頑張ろうと心に決めたことを覚えています。


 私は、不器用で、物覚えもよくなく、人よりも覚えるのが時間がかかります。なので、メモをとったり、自分の欠点を知り、先輩と院長に迷惑をかけないように、忘れそうなことは先に先輩にも声をかけ、技術で追いつかない場合はせめて、休まず、先輩が体調悪い時に休んでも一人で一日回るように工夫をしました。


 なんど練習しても石膏に気泡がはいったときは、先輩を昼休み時間掴まえて、練習し、患者さんが型どりを何度もしなくていいように、自分ができるようになるしかない、と思って練習したこともあります。


 それでも、私は、人並みにできなくて、ある時歯科衛生士を辞めてアデコキャリアスタッフとして事務員だったことが数か月あります。


 医療だと、人を扱っているので、なにか起きたら責任も重く・・・というか逃げでした。歯科衛生士ができないから、会社員になろうと思ったのです。


 ところが、派遣されたのが大手企業の電話番やファックス受信で、私は見落としが多く、そこでも一緒に働くスタッフさんに迷惑をかけて謝ってばかりでしたが、一緒に働いた中に二つ上のもとホテルマンの女性さんがいて


 私が歯科衛生士をやめて派遣をしていることを知ると、歯科衛生士に戻ることを勧めてきました。


 「私たちは、資格もないし、結婚して派遣を選んでいるけど、ことちゃんは頑張って資格とったんでしょ。最初っからできる人はいないけど、やらなかったらもっとできないし、いろいろやりたいんだろうけど、まずひとつづつ、できるようにやっていったら?」


 彼女は、私が歯科衛生士もできない、派遣もまともにできなくて落ち込んでいたのをみて、まず、今もっている資格を生かすことを勧めてくれました。もったいないことをしていると。


  年齢を重ねて、仕事ができないともっと厳しいことを言われることも。だからこそ、今、怒られてもまだ許されるうちにしっかり覚えていくことが必要だということも。つらいことを、若いうちは逃げずに乗り越えたほうがいいことも。



 その彼女が

私が仕事でとても落ち込んで帰った日に

メールに満開の桜の写真を添付してきて 

フレーフレー

ことねちゃん!!


 



いつか、私の努力も、この満開の桜のように咲くことあるのかな、と。

 同期には勉強も実習も出来るスーパー衛生士のような人もいて、自分が人並みにもできていないととても凹みますが、それでも、私が出会う人は、いつも私を励まして応援してくれる温かい人が多いのが救いでした。


 人は「出逢った人の言葉や笑顔で自分が形成されていく」ような感覚を感じました。



 その後、私はまた歯科医院に復帰し、やはり怒られることはありましたが、

 「もう、歯科衛生士として生きていくしかない、OLもまともにできないのでは、これをせめて人並みにできるようになって、目の前の患者さんの役に立てるようになろう」と決意し、どんなことがあっても前ほど落ち込まなくなりました。


 一本のまっすぐな「目標」が出来ました。


 「歯科衛生士として、いつか仕事を完全に辞める日までやっていく」


 そのことに迷いがなくなったからだと思います。

   


 同期には、なりたくてなりたくて歯科衛生士になった子がいます。実家も歯医者で一人娘なので、自然とそういう気持ちになったそうなのですが、セミナーにも自らいくし、経営のことも携わっていて、努力家で尊敬しています。


 だけど、人と比べることも辞めました。想いが違うの仕方ないし、私は私なりの目標に向かった歯科衛生士になるしかありません。


 「自分が納得できる人生を」歩こうと思います。


 最後に

 私が27歳のときの、患者さんにこのスタッフを辞めさせないともう来ませんよと言われて庇ってくれた院長に帰りに呼び止められて言われて嬉しかった言葉を書いておきます。


 「君はいい歯科衛生士になると思うよ。技術は練習すれば身につくんだ。だけど、人柄は持って生まれ持ったものだ。君は素直だ。まじめで仕事もどんなに叱られてもちゃんと出勤してくるし、人に八つ当たりしない。技術を身につけなさい。そうすれば永く衛生士をやっていけるようになるから。」


  スーパー衛生士にはなれないかもしれない。でも、目の前の患者さんに笑顔で「あなたで良かったわ」と言われる歯科衛生士を目指していこうと思います。





 

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Image by Jukka Aalho

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