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16/6/13

【ミーハーの一念、岩をも通す】「QUEENに会いたい!」子どもの頃の夢を実現させたわたしの物語。第一章

Image by Olia Gozha

2014年8月18日。

わたしは東京都内のあるホテル上階のバーにいました。


隣にはQUEENのドラマーRoger Taylorが座っていて、

彼はメニューを一つ一つ丁寧に読んで、モヒートを注文しました。


憧れの王子様が、

今、

わたしの隣に座って、


モヒートを飲みながら、


「昨日の大阪の雨には参ったよ。

湿気はドラムのチューニングを狂わすんだよ。」


「でも、今日は思い通りの音が出てゴキゲンだったよ」


なんて話してくれている。




これは夢?!

 


いいえ、現実です。



あの、


QUEENのRoger Taylorと、


バーでお酒を飲みながら話をしている!!


まさか、わたしの人生にこんなことが起きるとは!

 


これは、わたしの子どもの頃からの夢、


「英語が話せるようになりたい!」

「QUEENのメンバーに会って話をしたい!」


を実現させてしまったお話です。




 


わたしが初めて「英語」に触れたのは、

小学1年生の夏休み。


朝、NHK教育TVで子ども番組を見ていて、

見たい番組が終わり、


さぁ、何しようか・・・と思っていると、


つけっぱなしのTVで次の番組が始まりました。


見るともなしに見ていると、


コミカルな人形が、何やら意味不明な「言葉」を話している。


 


「おかあさん、これなにー?」


「はぁ? 英語だわ」


「ふーん・・・」


 


「英語」???

何言ってるんだかさっぱりわからんけど、


なんか、、、


すごーく、おもしろい!!



これが、わたしと「英語」の運命の出会いでした。


すっかり引き込まれて、


その番組の名前は「セサミストリート」


そして、夏休みの間中、毎日放送されると知り、


次の日も、またその次の日も、

番組を楽しみにするようになりました。



「英語って、、、、 おもしろい!!」 

 


この時の感覚が、

その後、

じぶんの人生を決めることになるとは、

まだ知る由もなく、


ただただ、毎日、

ワクワクしながら番組を見ていました。




「セサミストリート」に出会い、

英語はおもしろい!という概念が植えつけられたわたし。



その後も、教育TVで放送されていた間は

ほぼ、欠かさず見ていました。



そんなわたしが、

「英語を勉強したい!」

と強く思い始めたのは、


洋楽に出会ってから。



小学5年生の時にBay City Rollersにハマり、


訳詞カードを見ないでも、歌の意味がわかるようになりたい!

と思ったのがきっかけ。



母親に「英語が習いたい!」と訴えたものの、


「週に1回ぐらい習うだけじゃ喋れるようにはならん!」


と却下され、


「そんなに勉強したいなら、ラジオで『基礎英語』を聞け」


と言われました。


おぉ、やったろうじゃないの!!

ゴオぉぉぉぉ~、メラメラ~~。←闘志が燃える音


かくして、小学6年の4月から、

わたしは毎朝早朝に起きて、ラジオで『基礎英語』を聴いて

英語の独学を始めたのでした。


『基礎英語』で勉強して、セサミストリートを楽しむ。


こんなサイクルで1年が過ぎ、


そして、中学1年生のある日、


もうひとつの運命の出会いをするのでした。



それが、QUEEN。


 


初めて聴いた時の衝撃は、

「雷に打たれたような」

と表現するに値するものでした。


 

複雑に絡む音、

ドラマチックな展開、


そして、独特の美しい声。。。


こ、こんな音楽があるのか~~~!!!!

 


すっかりQUEENに魅了されたわたしは、

もう、「訳詞カードを見なくても・・・」

なんていい子ちゃんな願望ではなく、


QUEENのメンバーに会いたい!

会って直接話をしたい!


という「ミーハーな欲望」全開で、


「英語が話せるようになりたい!!」


とさらに強く思うようになったのでした。


 


「英語が話せるようになって、

QUEENのメンバーと話がしたい!」


中学生の頃は、

そのミーハー丸出しの想いを胸に英語の勉強に励み、


セサミストリートを観て、

「基礎英語」を聴いて、


自分で買ってきた英会話の本を読んで、

そして、短波ラジオでFENを聴き、

(FENは米軍基地内で放送されていたラジオ局)


ペンパルクラブに入って、

外国の中学生と英語の文通をして、

英語が話せるようになる日を夢見ていました。


 

ところが、高校に進学してみたら、

英語の授業が全然楽しくない。


何か小難しい文法のことばかりで、

これで英語が話せるようになるの??

ならないよね?!


部活もESSクラブに入ったけど、

英語で作文書くとか、

英語の本読むとか、


おもしろくもない英語劇をやるとか、


・・・で???


そいで、それが何になるんですか?


みたいな、

ただの英語の授業の延長じゃないの?

という活動内容で全然楽しくない。



半年で辞めた。(^_^;)



ちょうどその頃、TVは大橋巨泉の全盛期で、


大橋巨泉は

「日本の英語教育は間違っている。

こんな授業で話せるようになるわけない!」

と、事あるごとにTVで力説していて、


わたしはそれにものすごく共感して、


そうだ、そうだ!

こんなの勉強したって英語が話せるようにはならん!

だから、こんなの勉強しなくていい!


という勝手な判断で学校の英語の勉強は全然やらず、


相変わらず、

独学でじぶんがおもしろいと思ったことだけを勉強する日々でした。


一時期、外国人のマンツーマン英会話教室にも通わせてもらったけど、

そのレッスンも何だか楽しくなくて、3か月くらいで辞めてしまった。


 

今、思えば、その当時のわたしは「英語の壁」に

ぶち当たっていたようです。


そして、


「英語がペラペラ話せて、楽しんでる自分」


それが「理想のじぶん」なのに、


言いたいことの半分も英語で表現できない、

思うように意思疎通ができない現実に

強い劣等感とストレスを感じて、

その現実から逃げていた。


 

「英語が話せるようになりたい」という強い願望があるのに、

じぶんが「おもしろい」と思ったことしか

やらなかった、できなかったのは、


「英語の壁」が目の前に大きく立ちはだかっていて、

途方にくれていたのかもしれません。


 

こんな高校時代を送ったので、

英語の成績は可もなく不可もなくで、

大学進学の進路を決める時には、


先生から「英文科は難しい」と言われてしまいました。


そして、なぜか国語の成績がものすごく良かったので、

「国文科」進学を勧められた。


母親は、国文科に進んで図書館司書になれとか、

訳のわからんこと言うし。


いやいやいやいや、

国文科で勉強したいことなんて、

何もないから!


てか、英文科なんか行っても英語が話せるようにならんでしょ?


だったら、専門学校行きます。

英語の専門学校へ!


英語の専門学校だったら、

きっと、もっと英語が話せるようになるに違いない!


そう思って、わたしは専門学校へ進学したのでした。




さて、そんな中学生、高校生時代を過ごしていたわけですが、


英語を熱心に勉強する動機


となったQUEENには、

まだまだ全然、

これっぽっちも近づいていなかった。


と言うか、


片田舎の普通のいちファンに過ぎず、

また、親が厳しくて、

なかなかコンサートへ行く許可が出ず、

やっと許されたのは中3の夏。


時すでに遅しで、その年のQUEEN来日は終わったあとでした。


 


あと数ヶ月早く許してくれてたら、行けたのに。。。(´pωq`)


ということで、初QUEENコンサートは1982年のHot Spaceツアーの名古屋公演。


当時はファンクラブにも入っていなかったし、

QUEENファンの友達は1人もいませんでした。


近所に住む5歳上の従姉がKiller Queenの頃からのファンで、

唯一、QUEENの話をする相手でした。


その従姉が一緒に行くなら、と

親からコンサートに行くことを許されたのでした。

 


初めてのQUEENのコンサート。


当時はチケットぴあなんてものはなく、

チケット発売日にプレイガイドに並ぶか、

現金書留でチケットを申込むかたちでした。


わたしは現金書留で申込んだんですが、

届いたチケットは前から10列目のど真ん中通路横の席。


一歩通路に出ると、

じぶんとステージの間に遮るものは何もなく、

目の前にフレディがバーン!といて、


うををををーーーー!!


フレディーーーーー!!!


ヽ(≧▽≦)ノ


こんな間近でフレディが見れたことにものすごく感激したのを覚えてます。


本当に夢のような時間でした。


楽しくて楽しくて、


この時間が永遠に続いてほしい!


と何度祈ったことか。


この時は、まだ、コンサートに行けたことだけで感激!


そんなわたしが、

その3年後に仕事でQUEENと接することになると

誰が想像できたでしょう?


そう、この3年後に、

わたしは遂にQUEENのメンバーに会うことになるんです。


まったくの偶然に。




国文科への進学を拒否し、英語の専門学校へ入学したわたし。


「英米科通訳コース」を選択し、


1年生の夏には1ヶ月、念願のアメリカ・ホームステイへ行きました。


まだ、じぶんが言いたいことの半分も英語で言えないような状態だったけど、

それなりに楽しく過ごしました。


専門学校在学中の2年間は、

留学生や日本へ技術を学びに来てる外国の人たちとの

交流サークルに参加したりもしました。


でも、まだまだ「英語の壁」は乗り越えられず、


ここでもまた、

「楽しくないことはやりたくない」病が出て

適当にやり過ごした教科もあって、

在学中に英検2級も取れない有り様。


相当なヘタレでした。_| ̄|○

 


さて、専門学校卒業後は就職しなくてはいけない。


学校の成績が優秀だったわけでもなく、

大した英語力もないのに、


「英語を使う仕事に就きたい」

という願望だけは人一倍強く、

いろいろ模索したところ、

バイト仲間のお父さんが

「名古屋観光ホテル」の常務さんと友人だ

という情報が入り、


その紹介で入社試験を受けられることに!


観光ホテルなら外国人の宿泊客も多いから、

英語使う機会があるじゃん!!


わーい、わーい!\(^o^)/


そして、果たして、1985年4月、

わたしは名古屋観光ホテルに就職し、

宿泊部フロント科へ配属となったのでした。

 


入社して間もない頃に、

大ブレイク直前のBon Jovi御一行が名古屋公演のため

観光ホテルに宿泊しました。

 


・・・・・・・・・・。


え?ここ、外タレもよく泊まるの??


え?もしかして????

 


この時、QUEENも5月にWorksツアーで来日することになっていました。


もちろん、行くつもりでチケットもすでに買ってあります。

 


も、、、もしかして????


もしかする????



5月の宿泊予約を調べてみたら・・・・


あった・・・・・



キタ━━(゚∀゚≡゚∀゚)━━ッ!!



団体予約のところに


「QUEEN」


ってあるーーーーー!!!


 


あるーーーーーーー!!!!


あるーーーーーーーーー!!!!!!


あるよ、あるよ!


あーーーー


るーーーー


よーーーー!!!


ヽ(≧▽≦)ノ


これは夢かまぼろしか?!


実はわたしは、中高生の頃、もう一つ夢がありました。


「MUSIC LIFEの編集者になりたい」


シンコーミュージックから出版されていた

MUSIC LIFE誌とQUEENは密接な関係がありました。


日本で最初にQUEENを紹介しブレイクさせたのがMUSIC LIFE。


その雑誌編集部に入ればQUEENに会ってインタビューできる。


そう思っていたのでした。


でも、専門学校を選んだ時点でその道は閉ざされたも同然だったわけで。

(だったら高校時代、もっと一生懸命勉強すればよかったじゃん!

て話ですがね。)


そしてホテルに就職し、

「あーあ、もうQUEENとは全然関係ない仕事に就いちゃったな」と、

「現実なんて、こんなもんだわな」と、


「QUEENに会いたい」という夢をほとんど諦めてしまってたのです…。


ところがところが! 


思わぬチャンス到来!!




5月の名古屋公演の日に合わせ、

QUEEN御一行さまは2泊3日の予約が入ってた。


それを発見した時の気持ちは、

もう、

言葉には表せないですね。


大興奮!!O(≧∇≦)O


来る来る来る来る!!

QUEENが来る!ここに来る!!


どーしよー!どーしよー!


「QUEENに会いたい」って夢が叶っちゃうかもしれんー!!

(≧∇≦*)キャー



まだ入社して1ヶ月も経ってないのにこんなこと言っていいのか?

と迷いはあったものの、


これは千載一遇のチャンス!と、


上司に

「あ、あの、わたし、、、、QUEENの大ファンなんです」


と告白し、


何とかメンバーに会いたい!と訴えました。


ダメ。


職権乱用になる。



(´pωq`)


でも、勤務時間外だったらロビーにいてもいいよ~、と。


。゚ヽ(゚´Д`)ノ゚。ヤッター


到着日の勤務を早番にして、

御一行が到着する時間の17時頃には私服でロビーにいられるように

取り計らってくれました。\(^o^)/



果たして、1985年5月12日(日)夕方

QUEEN御一行さまが到着したのでした。

 


と、その前に、

この日の昼間、Music Lifeの編集長だった

東郷かおる子氏がホテルにチェックイン。


たまたま、わたしが対応させていただき、

「わたし、QUEENの大ファンなんです!」

「ML、いつも読んでます!」

と言いたいところをグッと我慢。


平静を装いながらも、東郷かおる子氏の登場で

「うをーー!ほんとにQUEEN来るんだ!」

と実感し興奮していました。



そして、4時に仕事を上がり、着替えてロビーで待機。



有名人の場合、

混乱を避けて従業員入口からホテルに入る場合もあるんですが、


QUEEN御一行は堂々と正面玄関にご到着。


すると、どこから湧いて出たか、「追っかけ」の人たちが表れ、


Rogerは、たちまちファンに囲まれ、

わたしのような「追っかけ」をしたこともない人間は、

まったく太刀打ちできない。


フレディは、強靭なボディガードやスタッフに囲まれていて、

さらにその周りにファンがいて、

これまた、まったく近寄れない。


というか、


その姿さえ人垣でチラっとしか見えない。(´;ω;`)


と、ブライアン、いたー!

ノーマーク!!


ファンがまわりにいるにはいるが、先の二人に比べたら、


「イケル!」


ブライアンに走り寄り、手を差し出す。


頭の中は真っ白で、言葉が出てこない。


黙って、

必死で目で訴えながら


手を差し出す。


(情けない (TwTlll))



それでも、優しいブライアンは、

ちゃんと握手をして「Hi!」と言葉をかけてくれた。


そして、エレベーターに乗り込んでいった。

 


え?Johnいたっけ???

(おい!(~_~メ))

 


ついに!


フレディとRogerには近寄れなかったけど、


ブライアンと握手した!!!!


やったーーーー!!!


遂に、遂に、


「QUEENに会った」よーーー!!


O(≧∇≦)O


たった、これだけのことで大満足してしまったのでした。



翌日は、QUEENのコンサートに行くからと、

仕事は休みを取っていました。


3年ぶりのQUEENコンサート。

(そういえば、いつから「コンサート」を「ライブ」って言うようになったんだろね?)


今回もチケットは現金書留で申し込んだけど、

82年の時とは大違いでステージまでかなり遠い。


これでS席?みたいな。


その分、ステージ全体はよく見えて、

Rogerの後ろにある大きな「歯車」セットと

キャットウォークを行き来するフレディをしっかり見ることができた。



前日、人垣の間から垣間見たフレディはとても大人しそうな人だった。


ステージ上のマッチョなフレディとはまるで別人だな~。


そんなことを思いながらのコンサートでした。



この日も、コンサートに行く前や終わった後にホテルに来ていれば、

またメンバーと遭遇することもあったかもしれないのに、


その当時は「追っかけ」をするという概念が全くなかったため、

ホテルに立ち寄ることもしなかった。

 


追っかけって、「グルーピー」がするものだと思ってた。(^_^;)

 


そして、御一行がチェックアウトする日。


お昼過ぎに御一行がロビーに降りてきて、

そのまま、そそくさと玄関へ向かうのを確認し、


わたしは、用意しておいた郵便を出しに玄関脇のポストへ行くふりをして、

何気ない顔をして(したつもり)で、御一行について玄関から外に出た。


今回は制服着てるし、勤務時間内なので

むやみに声をかけたり、握手を求めることはできない。


ただ、お見送りをすることしかできない。


でも、


ちょうど、目の前のタクシーにRogerが乗り込み、

ふと、目が合った。


すかさず、手を振ってみたら、、、、


振り返してくれた!!!


O(≧∇≦)Oキャー


そして、御一行が旅立ったあと、

フレディの部屋に「忘れ物」があるとルームキーパーからフロントへ連絡が入った。


プロモーターに連絡すると

「(フレディが)要らないと言っているから処分してください」

とのこと。


残されていたのは、東京で買ったと思われる靴と

レーガン大統領のマスク。←どんな遊びしてたんだか?(^_^;)


処分するだってー?!


いやいやいやいや、わたしが欲しいっす。


またまた上司にかけあう。


「欲しい!!」


「ほんとはダメだけど、内緒ね~」 


\\\\└('ω')┘////ウヲー!ヤター!


(ほんとに、理解のある良い上司でした)



かくして、これらは「家宝」として、

今でも押入れの奥深くに大切にしまわれているのでした。(笑)

 


QUEENとの第一次接近遭遇ストーリーはたったこれだけのことだったけど、

当時のわたしはすっかり大満足してしまったのでした。


「話をする」は叶わなかったものの、

「会えた」(ほとんど「見た」に過ぎないけど)わけで、


その時のわたしには、それだけでも十分にすごいことでした。



その後、また何気ない日常に戻ったわたし。

(といっても、ホテル勤務の役得か、その後も数々の外タレや有名人に会い、

かなりエキサイティングな毎日でした。)



6月には英検2級を無事取得した。



英語学習のほうは、それからも英会話スクールに行ってみても、

やはり何かピンと来なくて続けなかったり。。。


英語がもっと話せるようになりたいのに、

スクールや教室での学習が続かないわたしは、

じぶんでも「なぜだろう?」と不思議でした。


相変わらず「英語の壁」は大きく立ちはだかっていた。

 


QUEENと遭遇した翌年には結婚し、

仕事と結婚生活の両立で忙しくしているうちに、

QUEENはバンド活動を休止。


しばらく英語ともQUEENとも離れた生活を

送ることになるのでした。

 


~第一章おわり~


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