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16/6/12

世界一周中にたどり着いた、もうひとつのオキナワ

Image by Olia Gozha

こんにちは。

世界中の人と友達になるとこが世界平和の第一歩だと思い世界一周をしてきました、松本真奈美(MONA)です(*^^*)


今日は日本に住む私たちにほとんど知られていない場所のご紹介✨そこで改めて感じた日本人としての誇りのSTORYです



海がとても綺麗でゆったりとした時間が流れる場所「おきなわ」

この「おきなわ」、世界に2つあることをご存知ですか。

ひとつが日本のにある沖縄。そしてもう一つがボリビアにある「オキナワ」です。

100年ほど前、日本は大変貧しく、仕事を求め、様々な国に移り住みました。移民先はアメリカやブラジルが多かったのですが、ボリビアに行った方もいます。彼らは日系人と言われています。


そして時は流れ第二次世界大戦の終わり。戦後の沖縄の悲惨さを知ったボリビアに住む日系人が、ボリビアに呼び寄せたことから沖縄の方のボリビア移住が始まったらしいのです。

そこで移民の沖縄の方が築き上げた場所。それが「オキナワ」です。

そして今ではボリビアの地図にもしっかりとカタカナで「オキナワ」と載っています。


そのことを知り、大変興味をもった私は、ウユニ塩湖の帰り、その「オキナワ」に行ってみることにしました。 




バスやタクシーを乗り継ぎ着いた先にはめんそーれオキナワの看板が✨




着いてまず最初に目にした市民会館のようなところの中に入ると、一人の男性がいました。その方はなんと、ここの村長さん。全くのノープランで来てしまった私は、そのまま村長さんのご自宅に泊めさせていただくことになりました。そこはものすごい豪邸で、お庭はかぎりなく広かったです。村長さんは私にゴーヤの天ぷらを作ってくれました。

炊飯器を開けると白いご飯が入っていたことにも、日本を離れて4ヶ月の私には震えるほどの感動でした。

村長さんと、毎日一緒に語りながら飲むビール。美味しかった。



村の人々もすごく歓迎してくれ、豚の丸焼きパーティーに誘ってくれたり、私の好きなお好み焼きパーティーを開いてくれたりと、とてもお世話になりました。なんだか日本に休養をしに戻ってきたかのような感じさえしました。



村の小学校の授業も見学させてもらいました。この学校は午前中は日本語、そして午後はボリビアの公用語であるスペイン語を教えているのです。日本語のみならず、沖縄の伝統芸能や文化を、伝え続けているのです。祖国のことをしっかりと受け継ぎ、守って行こうという意思がひしひしと伝わってきました。


ここは農業が盛んということで、畑も見せてもらいました。立派な畑がどこまでも広がり、機械化による大規模経営が行われていました。特にダイズはボリビアの有望な輸出産物に成長しているそうです。まさにオキナワは国内有数の生産地なのです。しかし村長さん曰く、村長さんのお父さん達、つまり一世が最初にボリビアが来たときはとにかく大変だったといいます。



長い長い船の旅の後でたどり着いた先はただのジャングル。伝染病なとの驚異にさらされながらも必死で力を合わせ開拓をしていったそうです。


れがいまではこんな素敵な場所になり、なによりここに住む2世3世の方が幸せそうに暮らしている様子を見られて、とても嬉しかったです。

南米では、アリとキリギリスのお話では、遊んで暮らすキリギリスが勝つんだよ、と聞いたことがあります。(もちろん、みんながみんなそうでは決してないです)災害も日本に比べて少なく、その豊かな大地には一年中ヤシの実が生い茂り、のんびり暮らしていても生きていけるからなのだとか。(実際ボリビアを旅していると、昼間からのんびりしている男性達にたくさん出会いました)しかし、日本人は世界のどんな場所に行っても、日本人としての誇りをしっかりと持ち、その勤勉さや真面目さ、周りと協力し合う力で、しっかり生計を立て、強くたくましく生きているのです。

日本人って、凄いなぁ。


オキナワの方々は、私に、日本人であることの誇りをより一層強く持たせてくれました。



日本ではあまり知られていないボリビアにあるオキナワ。もっともっと日本にいる私たちと交流できたらいいな。



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