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16/11/27

元偏差値38の就活全敗が世界8位の大学院に留学して感じたこと。そして伝えたいこと。

Image by Olia Gozha

<前回記事のあらすじ>

高校時代に偏差値38だった男が必死の勉強を経て慶応大学に入学。しかし、大学生活最大のイベントである就職活動で全敗という結果に終わり、書類選考にすら通らないという挫折を経験する。失意の中、ある本との出会いが人生を大きく変えることとなる。

本のタイトルは「それでもあきらめない。ハーバードが私に教えてくれたこと」

就職活動全滅という挫折を経て、ハーバードまでたどり着いた女性の話だった。この本との出会いで海外大学院留学を決意。不合格なら「ニート」という恐怖におびえながら、世界8位の大学院(オーストラリア国立大学大学院・国際関係学部)に合格を果たす。(詳しくはこちら)→ http://storys.jp/story/22459




合格した時は天にも昇るほどの幸福感を味わった。あれだけの挫折を経験した後だったので、その分、喜びもひとしおだったのだ。


しかし、しばらくすると、大きな不安が襲ってきた。


「もし成績が取れなかったら・・・」


御存知の方もいると思うが、海外の大学・大学院は入学するよりも、卒業する方が難しい。合格したのは世界最高峰の大学院の一つ。世界から超がつくほど優秀な人たちが集結する。国を背負って留学してきているような人もいる。そんな人たちと一緒に授業を受けられる経験は、人生の宝となるだろう。


だが、一方でその人たちがライバルになるわけだ。成績が悪ければ即退学。問答無用で帰国させられてしまう。


もちろん、自分の能力がどれぐらいのレベルにあるかなんてわかっていた。そんな人たちと授業を受けたらどんな悲惨な結果になるかぐらい・・・


大学院に入学するところまではできても、授業が始まれば化けの皮がはがれクラスの全員が私を知ることになり、最終的には学校側から呼び出され、退学手続きを取ることになるだろう。そんなことを日々、真剣に考えていた。


退学後の人生はどうなるのか?


当然、就職活動にはマイナスになる。それだけは何としても避けたかった。




2013年7月7日

オーストラリアへと飛んだ。初めての海外一人暮らし。寂しさとこれから待ち受ける厳しい試練で涙をこらえながらの途豪だった。


12時間後。


大学寮に到着。


部屋へと案内され、一通りのことを教えてもらった。


説明が終わると、すぐにベッドに倒れこんでしまった。これからの試練への恐怖と長旅の影響で、立っていられないほどに疲労困憊していたのだ。


数時間後、目を覚ますと体がやけに重い・・・


鼻水も出るし、のども痛い。


おそるおそる、熱を測ってみると・・・







なんと、38.5℃を超えていた。







途豪初日なので友人や知り合いは誰もいない。当然、誰かに助けを求めることなどできない。構内に病院もあるらしいことは知っていたが、正確な場所は分からなかった。もっとも、熱が高いのでベッドで横になっていることしかできなかったのだが。


初海外の一人暮らしというストレスに加え、初日で体調不良になってしまったため、ネガティブな考えが頭を駆け巡った。


変な病気だったらどうしよう・・・


感染性の病気で入院しないといけないようだったらどうしよう・・・


医療費はどうなる?


せっかくアルバイトで軍資金を作ったのに・・・。


それが医療費に消えてしまったら・・・・。


帰国しないといけないほどの病気で、授業が始まる前に強制帰国なんてことになったら・・・


シャレにならない・・・


18時間睡眠という徹底的な休息を取ったことにより事なきを得たが、本当に肝を冷やした。

(この時に健康の大切さを学んだように思う)






いよいよ、授業開始。




授業のシステムはこうだ。



まず授業の進み方が書かれたカリキュラムを提示される。

そこには、いつどんな内容が講義されるのか、そして授業前に読むべき参考論文などが書かれている。

どの課題が成績評価においてどれだけの比重を占めているかなども記載されている。

学生はその予定表を見て、どのようなスケジュールで学習を進めるかを考える。

私が一番気にしていたのはテストで成績が決まるのか、それともエッセイで評価されるのかという点だった。


テストで評価される場合、数時間という限られた時間の中で論理的かつ、説得力のある文章を作成しなければならない。ただでさえ、そもそもの学力が不足している上に外国語でそれをおこなうのはハードルが高すぎる。


一方、エッセイであれば何週間も時間をかけて作成することが出来る。参考論文を読みまくり、スペルチェックや論理的な不整合がないかなどを徹底的にチェックすることができる。


私のような留学生が生き残るには勉強量で勝負するしかないと考えていた。周りが100の論文を読んでエッセイを書くなら、私は300の論文を読む。6時間勉強するなら、私は18時間勉強する。


世界から集まる、選りすぐりのクラスメート達。国家の中枢にいる役人、軍隊を率いていた軍人、自国トップの大学を首席で卒業するような人までいる。国や会社を代表して留学し、英語を母国語並みに操り、国の未来を背負って留学してくる。


一方、こちらは元偏差値38の落ちこぼれ学生。就業経験もない。就活全滅という輝かしい経歴までついている。


何をどう比較しても、どんなに贔屓目に見ても私が勝っているところは一つもない。


たった一つ、自分でコントロールできるのは勉強量だけだった。


一日の勉強時間は最低16時間。目が開いている時間は片時も論文から目を離すことなく勉強した。食事は一日一食、入浴はなんと4日に1度という頻度だった。体を洗う時間、食事を用意する時間がもったいないと思っており、それを全て勉強に充てていたのだ。勉強中、椅子から立ち上がって良いのはトイレに行くときだけ。もちろん参考論文を片手に。



狂ったように勉強した。



成績を取ること以外、何も考えない。ひたすら机に向かっていた。


提出物の完成はどんなに遅くても期限の3日前まで。体調を崩したり、PCが動かなくなったりする可能性があるため、時間には常に十分な余裕をもって行動していた。


文章が完成すると、徹底的なチェックを行った。まずはスペルミスなどの単純なミスがないかを一言一句に至るまで確認する。


次に文章全体が論理的な統一性が取れているかをチェックする。一文同士のつながりに飛躍はないか、全体として一つに意味を持っているか、その意味がおかしくないか、必要であれば最初から書き直すこともいとわなかった。


その時に出来ることを、ただただ、必死になってこなしていた。





全力で課題に向き合った先に



考えつく、ありとあらゆる方法で課題をすすめ、目を血走らせながら勉強をしていると徐々に成果が出始めた。


エッセイでクラス一番の成績をとり、クラスメートの前で褒められ教授から直接メールをもらったこともある。


プレゼンの授業では発表の仕方を工夫することによって拍手をもらったこともある。




「俺だってやればできる。世界から集まる超優秀な人たちと競っても授業で一番の成績をとることができるんだ。母国語ではない、国際関係学など勉強したことも無い、ましてや地頭のよさなど絶望的なほど差がある状況でも結果を出すことができるのだ。優秀じゃない俺でも、努力さえすれば・・・」



この時に初めて就職活動で完全に失っていた自信を、少しだけ、本当に少しだけ、取り戻すことが出来たように思う。


ある日、自分の部屋からふと外を見ると真っ暗になったキャンベラの街が見えた。必死で勉強していたので、夜暗くなっていることにも気づかなかったのだ。その時に感じたのは不思議な感情だった。



留学って、華々しい経験とみられることが多いけど、やっていることは実に地味だよな。朝から晩までPCに向き合って文章を書きあげていく。丁寧に丁寧に。自分の子供を育てるかのように。



皆がイメージするような特別なことなんて何もない。日々、ただやるべきことをこなしていくだけだ。そして一歩ずつ一歩ずつ完成へとにじり寄っていく。何か感動的なことがある訳でもない。ただ、ひたすらにゴールへ向かって進んでいく。


今できる最善のことをやりつくして、あとは評価を待つしかない。正直、導き出した結論に自信が持てない時もあった。自分が今できる最善策を死ぬほど考えた結果、どうしてこれぐらいのアウトプットしか出せないのだろうと悩んだこともある。


しかし、この経験から断言できることがある。それは何とかして答えを見つけ出そうとする過程の中にこそ成長・学びがあるということだ。悩み苦しみながら何とかして前に進もうとすること、それこそが成長であり、学習なのだと思う。


その後も必死の勉強を続け、担当教授や優秀な友人に助けてもらいながら勉強をこなしていった。ついには一教科も落とすことなく、卒業を果たした。












私が伝えたいこと。それは・・・







「自分の可能性を自分で閉じてはいけない」






この一点に尽きる。



留学先では能力の根本的な差を感じない日はなかった。そのたびにやりきれない思いをし、泣いたことは数知れない。



でも、だからこそ勉強量で勝負しようと決意することができた。能力は低くても必死の勉強を続けていると、小さいながらも成果を出すことが出来るようになった。



母国語ではない、国際関係学など勉強したことも無い、ましてや地頭の良さなど天と地ほどの差がある状況の中でも結果を出すことができた。



高校時代、ここまで来られるなど想像もしていなかった。大学に行けるかすら怪しかった人間が、努力を継続すれば、自分が想定していた以上のところまで来ることが出来たのだ。



もちろん、努力が万能だとは思っていない。努力しても達成できないことが世の中にはたくさんある事も知っている。



しかし、それも全部わかったうえで私はこの言葉を信じたい。







「努力は絶対に報われる」








最後に



この文章を書くにあたって、自分自身を突き動かしてきた思いとは何かを考えてみた。


皆さんはどんな思いで人生を生きてきただろうか?自分を動かす原動力になっているモノは何だろうか?


私の場合は「新しい人、新しい考え方を知り、人生を豊かにしたい」という思いだった。


偏差値38だったころ、私は成績の悪い人との関わりが多かった。そちらの方が居心地が良かったからだ。将来のことをあまり深く考えず、刹那的に物事を考えていたように思う。


しかし、勉強して成績が上がってくると、自然とそうした人たちとの関わりが薄れていった。そして、自分と同じぐらいの成績の人と話す機会が増えていった。成績が真ん中になったら真ん中ぐらい、上位になったら上位の人と、という具合に。


すると、何が起こるだろうか?


付き合う人間が変わり、会話の内容も変化し、考え方までも変わってくるのだ。


環境が変わると思考が変わり、思考が変わると、人生が大きくかわる。


私は勉強することの意義はここにあると思っている。


勉強することによって、今まで出会えなかった人々、知らなかった考え方と出会うことができるようになる。


新たな環境に身を置き、新しい考え方を知ることによって私の人生は豊かになった。


人の気持ちも推しはかることが出来るようになったと思う。


これこそが人生を豊かに生きる、人としての厚みが増すということではないだろうか?


生きていれば苦しいこと、悲しいことが必ず起こる。そして、自分の限界を感じることも出てくる。立ち上がれないほどのダメージを受けることもある。















しかし、しかしだ。















たとえ時間がかかったとしても、苦しい環境から逃げず、試行錯誤しながら前を向き続ける人を、人生は見捨てない。















だから、みなさん。

















「どんなことがあっても、諦めないで」















あとがき


拙い文章でしたが、最後まで読んで頂き本当にありがとうございました。

文章を書くにあたって、今までの経験を振り返り、自分の軸となるものは何かを考えることができました。


壁にぶつかっても、また前を向いていける人になりたいですね。


歩みを止めず、前に進んでいきましょう。


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