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16/7/10

僕が難病になりながらも世界を旅する理由

Image by Olia Gozha



皆さん初めまして。今年31になる細井と申します。昨年に突然難病を発症し、一時はほとんど動けなくなりました。


その後少しずつ回復し、今はこの記事をシンガポールに来て書いています。


難病になった一年前には、まさか自分がまた海外に行ける日が来るとは思ってもみませんでした。


そこで短い時間ではありますが、僕のこの一年間の軌跡を紹介させていただこうと思います。


少しの間だけ、お付き合いください。




それは突然のことだった

ある日仕事から帰ると、突然腰にピーン!という電撃のようなものが走り腰に痛みを感じる。

この時はまだ動かなければ痛みがでることはなかったので、寝れば治るだろうと思いその日はそのまま就寝。

翌朝起きるとまだ痛みはあったが歩ける状態だったため、仕事に行くことにした。


当時の仕事はデスクワークだったので動く回ることもなく普段通りに終えることができた。

ただ痛みは徐々に悪化し、職場から駅まで5分のところを、足を引きずりながら20分以上かけてあるいた。

自宅の最寄駅に着くも、ほとんど歩くことができず、手すりにつかまりながら、通常であれば10分で家に着くところを1時間以上もかけて家に戻った。


家に着くとそのまま歩くことができず、まだ仕事で帰宅していない妻に

「なんか俺、歩けなくなっちゃった(笑)」

「大丈夫?無理しないでね。」


と冗談交じりにLINEで伝えた。この時はまだ自分でも急に腰が痛み出しただけだろうと思い、そこまで深刻に捉えていなかった。

この日は金曜日で明日は休み。しかも翌日から3連休で2週間前に結婚したばかりの妻と香港に行く予定だった。

しかし寝て起きても痛みはひかず、むしろ全く動けない状態になってしまい、香港に行くことは泣く泣く諦めることにした。そして申し訳ない気持ちになりながらも救急車を呼んで近くの病院に行くことにした。




病院に行くも原因不明と言われる日々



まず近くの市民病院に行ってレントゲンやCTを取り医師にみてもらうも原因不明と言われる。そこで大学病院に紹介状を書いてもらい大学病院で診てもらう。

しかしそこでも原因不明と言われる。そのため痛み止めだけ処方され家に帰される。その後大学病院に通い続けるも原因不明と言われ続ける日々。僕は内心


「全く動けないのに原因不明はおかしいだろう!!」


と怒りがこみ上げてきた。実際は身体中に痛みが広がっていて、ベッドから起き上がるのも困難だった。病院に行く以外はほとんどベッドの上で過ごした。

病院に行く時も、タクシーで家から病院まで行き、病院に着いたら妻や看護士の人に車椅子を押してもらって移動していた。



そして病気が発症してから3週間後にようやく僕の病名が判明する。

「強直性脊椎炎」という病名だった。


強直性脊椎炎とは、自己免疫疾患(膠原病)の一種で、自分の免疫が何らかの原因により正常に機能しなくなり、自分の細胞を攻撃してしまう難病のことだ。発症原因は不明。

初めて聞く名前だ。恐怖心でいっぱいになる。僕は恐る恐る医師に尋ねた。

「それってよくある病気なんですか?」

医師「いえ、非常に珍しい病気です。」


強直性脊椎炎の日本での発症率は、人口10万人に対し、0.4~4人程のとても珍しい病気で医師もなかなかわからなかったそうだ。難病なので根本的な治療方法も見つかっていない。


提示された治療方法はステロイド剤を飲むか、痛みが引くまで鎮痛剤(ロキソニン等)を飲むかの2種類。

僕は体質的にステロイド剤を飲むことができなかったため、後者の治療方法を余儀なくされた。


入院も薦められたが、お金もかかるし家にいる方が落ち着くので家にいることを選んだ。

そこから2ヶ月間、ほとんど家から出ることはできなかった。鎮痛剤のロキソニン(1日4錠)を飲んでいる間でさえ、ベッドとトイレの往復しかできなかった。ベッドから起き上がるだけで身体中に激痛が走る。体力も日に日に落ち薬の副作用で体もボロボロになった。


仕事も休職しほとんど寝たきり。妻が仕事後に食べ物を作ったり洗濯をしてくれた。

この時の僕は正直に言ってどん底だった。


「結婚したばかりなのに俺は妻に何もしてあげられない。それどころかしてもらってばかりだ。職場にも迷惑をかけてしまっている。そしてもう昔のように俺は一人で一生何もすることができないかもしれない・・・」


男として何もできない情けなさと辛さで毎日ベッドの上で号泣した。




2ヶ月後に希望の光が差し込む



そんな日が2ヶ月続いた後、奇跡的に体の炎症が治まってきた。

そして薬を飲む量も4錠から3錠、2錠、1錠と徐々に減ってきて、近所のコンビニや公園であれば行くことができるようになってきたのだ。




その翌月に結婚式を挙げる



そしてその翌月の12月に、杖を突きながらもなんとか無事に結婚式を挙げることができた。当初の予定から内容も大幅に変更し、僕がなるべく動かないで良いような内容のものにした。

この日は体がほとんど動かなかったが、大勢の友達が参加してくれたので気合いで3次会まで参加したのを覚えている。本当に嬉しかった。今でもこの友人たちに感謝している。



今後の将来を考えるようになる

無事に結婚式を挙げることができ、体の調子も少しずつ良くなってきたのだが問題は残っている。

それは仕事だ。

当時は会社員としてエンジニアの仕事をし、僕が倒れている間は休職をさせてもらっていた。

無理をすれば戻ることもできた。

ただし僕の病気はまたいつ再発するかわからない。突然倒れてまた数ヶ月間休むことになったら会社にも申し訳ない。

それからは一人でもできる仕事をしようと思い、パソコン1台あればできるアフィリエイトの仕事をメインで始めることにした。


アフィリエイトとは簡単に言えば広告代理店のような仕事で、自分のコンテンツ(サイト)を作り、企業の広告を掲載してそこから報酬をもらうという仕事だ。

株やFXも個人でできるが、ある程度の資金が必要になる。アフィリエイトであれば在庫を抱える必要もなく、初期費用もそれほどかからないのでアフィリエイトで稼いでいくことに決めた。


今まではずっとサラリーマンをしていたので、自分に個人でもお金を稼ぐ力はあるのか。そういう不安はあったが僕にはこれしか選択肢がなかった。


「やるしかない」


そう心に決めてから、とにかくがむしゃらにパソコンに向かってサイトを作ることにした。

 



数ヶ月間仕事に没頭し再度旅に出ることを決意!

それから約7ヶ月間、ほとんど誰とも会わず朝から晩まで仕事に没頭し、なんとか少しずつだが収益をあげられるようになってきた。

そして7月8日が妻の誕生日なので、今まで支えてくれたお礼にシンガポールのマリーナベイサンズに一緒に行くことにした。

約1年前の自分の状態のことを考えると今自分が海外にいるのが夢みたいだ。シンガポールの景色を見ながら自然と涙が出てきた。


数年以内には妻と一緒に世界を旅をしようと話し合っている。




僕が難病になっても旅を続ける理由


こうやって海外に行けるようにまでなりましたが、体の調子は万全かと言われたらそうではありません。

難病は基本的に今の医療で治ることが難しいから難病と言われています。

体調は以前より良くなったとはいえ、今でもだるさや寒気、身体中に痛みがあります。1ヶ月のうち数日間寝込むこともあり、低気圧の日などは特に体が痛みます。

また病気が再発して数ヶ月間動けなくなる恐れもあります。



「何でそこまでして海外に行くの?」

「もう海外に行くのなんか止めて大人しく日本にいればいいじゃん」


と思う人もいるかもしれません。

  

 

その答えは本当にシンプルで、僕はただ

 

 

 

 

色んな国に行って

色んな景色を見て

色んなモノを食べて

色んな国の人と話して

色んなことを感じたい

 

 

 

 

それだけなんです。これが僕が難病になっても旅を続ける理由です。




自分がやりたいことなのにも関わらず、他人にやめとけと言われてやめてしまったことは、必ず後悔します



病気だから俺にはできない

どうせ俺には才能なんてないから無理だ 


という考えも同じで、自分自身をどんどんネガティブな方向に向かわせます。



僕は今までの人生に後悔はありませんし、これからの人生も後悔するつもりはありません。



人生はいつどこで何が起こるかわかりません



僕は今回の件でこのことを改めて強く思いました。いつ自分の最期が来ても、最高の人生だったと言えるように、これからの日々も全力で生きるつもりです。



なんて強気なことを言っていますが、怒られるとすぐに凹むし、旅好きなのに飛行機が超苦手で航空券を予約した時点で泣きそうになるし、まだまだ個人で仕事を始めたばかりでヒーヒー言っているただの弱い人間です。


ただ弱いなりにも一歩ずつでも良いから前に進んでいこうと思っています。そしてこの記事を読んでくれたあなたとどこかで出逢えることを楽しみにしています。





あなたはもし、明日が自分の人生の最期の日だと言われても、

後悔のない人生だったと言える日々を送っていますか?






最後まで読んでくれてありがとうございました!

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