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16/6/7

自分らしくを大切にする人生 その10 ~アメリカで婚約までした彼を失った経験から強くなれた僕。「自分らしく」ありのまま伝えようと、仕事で公にゲイであるとカミングアウトしました。~

Image by Olia Gozha

アメリカで婚約をした彼との幸せな生活がある日突然壊れ、失意のどん底にいた僕。でも自分の内面にある本当の僕は失っていないんだ、と気付け、本当に強くなれました。


アメリカサンフランシスコ。有名なユニオンスクエアです。

サンフランシスコは彼との思い出の場所。

しかし、幸せな日々は電車で起きたある暴力事件であっという間に終わりを迎えてしまって、日本に帰ってきた僕。

彼との関係も、夢も(本気でアメリカに永住しようと思っていました。)、家も、お金も、全て失ってしまって、ショックからはなかなか立ち直れませんした。

しかし、ある時、でも、外のものを全て失ったとしても、自分の内側には変わらない僕がいる、そう気付けた時、本当に大切なのはこの変わらない僕。
そこがあれば大丈夫!と思えるようになりました。


そんな気付きがあった後、あるアメリカ人の友人と話をしていた時でした。

「これからは僕は日本にいようと思う。僕は日本に何が伝えられるかな。」

と言うと、

「キヨのセクシャリティがキーになるんじゃない?」

って言われたのでした。


それはつまり、僕がゲイであるということ。


セクシャリティってとても繊細な部分。

きっと日本の人ってその繊細な部分をあまりオープンにしたがらないんじゃないかな。

でもキヨならキヨらしく、繊細な部分を伝えられるんじゃない?

その伝え方が、きっと日本の人の心に届くはずよ。


そんな風に言ってくれました。


確かに!と思いました。


セクシャリティ、性に関することって、プライベートな部分でもあったり、

僕自身ここで書いてきたとおり、悩んだり、恥ずかしいと思ったり、否定したり、でもうれしいこともあったり、喜びもあったりと、いろんな感情があつまる、僕のとても繊細な部分に関わること。

それをありのまま、正直に伝えることで、きっと日本の人に伝わることがあるんじゃないか。

それは別にゲイだからと変に誇張したり、威張るわけでもなく、

ゲイであるからといって、謝るわけでもなく、

ただありのまま、自分の繊細な部分を繊細なまま伝えていく。

そのようにありのまま伝えることで、それが何か人の心を軟らかくほぐしていく。その人のありのままに届く。



彼を失い、全てを失ったと思った、あのつらい経験から、本当の僕は変わらないと学んだ僕。

強くなれた僕だったからでしょうか、

よし、ゲイであることを公にしよう、と思いました。


実は、それまでにもゲイであることをある程度は公にしていました。

仲のよい友人や、仕事でも近しい方には伝えていたりしました。

でも、ガラクタ整理師という仕事で僕がゲイであるということを伝えるのは、ちょっとどうなの?とずっと思っていました。

つまり、必然性を感じなかったのです。

確かに伝えてもいいけれども、なぜ伝えなくちゃいけないのか。だって、ガラクタ整理とゲイということは関係ないじゃない?

そんな風に思っていて、あえて言う「必然性」が見つけられなかったので、「異性愛者だ」とうそをつくことはしませんでしたが、あえて、ゲイだということを公言しませんでした。


でも、この友人との会話もきっかけになって、繊細なところをありのまま、僕らしく伝える、それが日本の人たちの心に伝わることがあるんじゃないか、

そう思えたとき、よし、仕事でもカミングアウトをしよう!と決断できたのでした。


そして、2014年8月31日、僕はブログでゲイであることを伝えました。

さらにフェイスブックやツイッターといったSNSでも伝えました。


反響はすぐにありました。

ブログの記事のヒット数も相当高かったです。


「そうだったんだね。」

「よく言えたね!」

「ありがとう」

などいろんな声をいただきました。


しかし、一つとても心配だったのは、地元の小学校・中学校・高校の同級生達がどういう気持ちになるのかな?ということでした。

ゲイであるということを完全に隠し、できるだけ周りと同じように生きようと自分を装って生きていた時代。その時代を知っていて、さらに岡山の県北という中国山脈の小さな街の、いわゆる田舎に住むみんなはどう思うんだろう、と思うと、とても心配だったのです。


笑われるかな。。。

変なうわさをされるかな。。。

陰口をたたかれるかな。。。


しかしそうした心配とは全く逆の反応がみんなからありました。

「びっくりしたけどいいんじゃない?」

と素直に伝えてくれた小学校の同級生。


そして、なんと、中学校でいじめられて学校に行きたくないと思うようになった時期のその首謀者(!?)である同級生からもメッセージが来たんです。

「清文は清文らしくでいいと思う。」

というとてもシンプルなメッセージでしたが、僕にとっては予期せぬコメントでした。


あのいじめられていた彼からまさかメッセージが来るなんて。

正直大人になっても、会っていなくて、気まずいし、なんだか嫌だなあと思う相手でした。

でもこうしたメッセージをくれて、

「とってもいいやつじゃん!!!」

って思えたのです。

もしカミングアウトしていなかったら、きっとあの中学校の時のつらいいじめの経験のまま記憶がストップして、「嫌なやつだ、ひどいやつだ」としか思えず、彼との関係も悪いまま終わっていたように思います。

カミングアウトをすることで、彼との新しい関係が作れているように感じています。

正直に伝えてよかったな、と思えた瞬間でした。



そして、公にカミングアウトをしたことがきっかけで、ガラクタ整理師としての講演活動もどんどん変わっていきました。それはもちろん、いい意味でです。


実は以前は東京で講演をしていて、

「東京の人はリアクションもあまりはっきりしないし、まじめだなあ。自分の気持ちを正直に言わないなあ。」

「大阪や沖縄の人はいろいろリアクションもあって、正直でやりやすいのに。」

と思うことがありました。


しかし、カミングアウトをした後はそれが全くなくなったんです。

僕が僕らしく、正直に話すと、みなさんとの距離もとっても近くなったんです。

講演会がより盛り上がるようになり、楽しくなっていきました。


気づいたのは、

「東京のお客さんに問題があったわけではなかったんだな。ゲイということを言わないでおこうと、どこか慎重に、相手を完全に信頼できていなかった僕に原因があったんだな」

ということ。

「自分の気持ちを正直に言わないのはお客さんじゃなくて、僕だったんだ!」

と気付けたのでした。


お客さんは全く変わらなくても、僕が変わることで、お客さんとの関わりが変わったのです。

外に原因があったんじゃない、自分の中にあったんだ、

というのはとてもいい気づきになりました。


実際に、講演会に参加してくださる方達で以前の僕を知っている人から、

「講演が全く変わったね!すごくよくなったよ!堅さがなくなった!」

と言われるようにもなりました。


自分がゲイであるということを素直に、隠さず、ありのまま伝える。

ガラクタ整理の直接の内容ではなくても、それを伝える僕が変わると、こうも伝わり方が変わる。

もっともっと参加者のみなさんに響くようになる、それを学びました。



このような女性もいらっしゃいました。

「きよちゃん(僕のニックネーム)のカミングアウトのブログを読んで、私は何十万円もしたカツラとのどの吸入器を手放せたの。」

「以前は自分の髪の毛の薄さがコンプレックスだったし、枯れた声がきらいで、吸入器が手放せなかった。でもきよちゃんがありのままで生きようって生きているのを見て、私もそうしようって思えた!」


この声をいただけたことも本当にうれしかったです。

まさしく、あのアメリカ人の友人と話していたこと。


僕が正直に、ありのまま、自分らしく自分を出すことで、それが人の心に届く。人の心をやわらかくしていく。

カミングアウトをして本当によかったなって思えることでした。



カミングアウトをして、正直にピンクが好きー!って講座で言っていると、

講座に参加した方からこんな風にピンクのクッションをいただいたり、

(キュートでしょ?)


雛祭りにはお花のプレゼント。

よーく見ると、

真ん中にはお内裏様のカップル!!!


「キヨちゃんにもいい相手が見つかりますように!」(アメリカの彼と別れて2年間彼氏おらず。。。)

と花をプレゼントして下ったりと、

みなさんとの距離が本当に楽しく、近くなったのでした。



カミングアウトしてよかった!

自分らしくやってよかった!

と思えました。



小さい頃から女のこと遊ぶのが自然で、いつもゴム飛びやニックネームで呼び合ったりしていた僕。「女の子と一緒にいるのは変」と言われて、本当にショックで、自分の素の部分が出せなくなって。

本当は男の人が大好きなのに、女の人が好きな、異性愛者のふりをして、ゲイだとばれないようにいつもびくびくして生きて。

男性と初体験をしても自分を受け入れられなくて、ただ後悔しか残らず。


カミングアウトができても、自分を大切にできず、体調を崩して仕事ができなくなって。


そんな人生を生きてきた僕にとって、自分らしく、公にカミングアウトが出来ているというのは、本当に感慨深いというか、奇跡というか、そのくらい大きなことです。


小さい頃から一緒だった同級生たちもゲイであることを受け入れてくれて。

仕事で出あう人たちとも壁のない、素直な気持ちで接せられて。


ものすごく悩んだ人生を送ったかもしれませんが、でもその分、「自分を大切にすること」をとても大切に出来ているように思います。

それが僕の根本になったように思います。


自分らしく。


お金があっても、家があっても、仕事があっても、自分らしくを大切に出来ていないときはストレスばかり。体調を崩すほど。

それが、自分を大切にするようになることで、本当に人生が充実してきて、

自分を大切にするということは人生のベースなんだ、と学びました。

これさえあれば、なんとかなる。

逆にこれがなければ、環境がどれだけよくても、しんどくなる。

そのくらい大切なものが「自分らしく」。


これからも、自分らしくを大切に生きていければいいなと思いますし、

LGBTの方達だけでなく、いろんな人に、自分らしさの大切さを伝えられたらって思っています。



ps 恩師とのカミングアウトエピソードです。


小学校5年生の時の恩師島田美保先生。とてもきびしく、そしてやさしさももった素敵な先生でした。

当時僕は苦手な同級生がいて、その人の言うことにNOが言えず、いつも自分を抑えてその人の言うことに従っていました。ある日の放課後、先生は僕に学校に残るように言い、二人で話をしました。

「清文君はなんで~~君にいいなりなの?嫌だといわないの?」

「みんな怖くても嫌だって言っています。あなたも言わないと!」

と本当に親身になってしかってくれました。


でも当時の僕としては、

「とりあえず逃げていればいいじゃない。いつか状況がよくなるかも。」

としか思えず、先生の言葉を素直に受け止められませんでした。


この自分を抑えて、周りの言うことを聞く、というパターンはその後ずっと続き、30歳を過ぎた頃のあの突然の体調不良になったわけです。僕の根本的な行動パターンを見抜き、小学校5年生の時に忠告してくださっていた恩師。


先生は僕のブログも読んでくださっていて、実家に帰省しているとある日のブログで書いたところ、先生が突然実家に電話を下さり、「明日会いましょう」と誘ってくださいました。

先生が勤められていた小学校の校長室におじゃまし、いろんなお話をしました。


そしてそろそろ帰らなくてはといった時に、先生が僕の目を見て、

「今日ね、あなたを呼んだのは、理由があったのよ。」

「それは、あなたのブログでカミングアウトしているのを読んだから。」

「本当に、よくがんばりましたね。」

と言ってくださいました。


その言葉に、堰を切ったように涙がとまらなくなった僕。

ちょうど5年生の頃に周りの同級生に「変」と言われて、自分の素の部分を抑え込むようになって、本当にしんどくて。誰にも相談できなくて一人ずっと悩んでいて。ソフトボールも無理やり通わされて、逃げ場もなくなって言った僕。

そして自分を抑えて周りの言うことにただ従っていたいいこちゃんの僕。

その当時を見てくださっていた方から、

「よくがんばりましたね」

と言っていただけることは、何よりのねぎらいでした。


「本当に、あきらめないでがんばってきてよかった!」

「いろんなことがあったけど、本当に今うれしい!」

そんな気持ちでワンワン泣いてしまった僕。


実は、帰りの車の中でも涙が止まらなかったほど。

泣き虫な僕ですが、そのくらい感動したのでした。


島田先生、本当にありがとうございました!

大好きな先生です。いつまでもどうぞお元気で!



pps ご参考まで、2014年8月31日のカミングアウト全文を最後に記します。

今日は竹内清文から大切なお知らせがあります。

僕は同性愛者、つまりゲイです。

これまで正式にはオープンにせず、一部の方に限定してオープンにしていました。

その理由は、例えば、家族からの理解が得られないこと、親戚のみなさんの反応が怖かったり、迷惑をかけてしまうのではないかという心配があったからです。

今では日本もずいぶんセクシャルマイノリティ(性的少数者)の認知度も上がっていますが、私の生まれ育った岡山の田舎では全く認知度はありませんでした。

小さい頃から女の子といるほうが落ちついて、楽しく、サッカーやソフトボールをするよりも、女の子とままごとをしたり、ゴム飛びをしたりするのが好きでした。

しかし、それはなかなか受け入れられるものではなく、小さい頃から父親からはソフトボールを習うようにすすめられたり、男の子の同級生からは女の子と仲良くする自分をからかわれたり、受け入れてもらえませんでした。

多くの男の子が「男の子と一緒に遊びたい」と思うのと同様、僕の場合、自然な、純粋な気持ちで、「女の子と一緒に遊びたい」という気持ちだったのだと思うのですが、それが認められないというのは、小さな自分に立ちはだかった、もしかしたら人生で初めての、とても大きな壁でした。

高校の頃に男性同性愛者だと自覚できるようになりましたが、テレビを見ると、「芸能人のだれだれがホモだとか」、そういった「暴露」情報としてゲイが扱われるのを観たり、同級生でも「だれだれはホモっぽい」などと、うわさの対象になっているのを聞くと、自分のセクシャリティをオープンにしようなどと全く思いませんでした。

一生隠し通さなければならないものだ、と当時は思っていました。

自分の大切な一部、セクシャリティの部分で、常に隠れている、常に受け入れられない、そんな時間を小さい頃から生きてきたのです。

大学生で北海道に住むようになり、札幌のゲイのコミュニティにも足を運ぶようになり、ようやく自分のセクシャリティについて受け入れられるように少しずつなってきました。

全く真っ暗だった、望みのなかった状況に、少しずつ光がさしてくるような、そんな経験でした。

20代のころから少しずつカミングアウトをするようになり、30代になりガラクタ整理として個人で活動してくる中で、自分のセクシャリティについてもいつか世の中に正式にオープンにしたいと思うようになりました。

今、37歳になり、ようやく正式にみなさんにシェアできるようになりました。

セクシャリティはとてもプライベートなことでもあり、また小さい頃から傷ついたり、家族や親戚の目を気にしたりなど、今でも完全にすべてうまくいっている!というわけでもないところもあります。

日本の状況も以前に比べればずいぶん良くなってはいますが、やはり差別の対象になったり、当事者が自分をそのまま受け入れることができなかったり、本当に望む生き方ができなかったり等、まだ難しい面もいろいろあります。

でも、外の環境がどうであれ、

僕の大切な一部として、

僕は同性愛者、ゲイなのです。

なかなかセクシャリティのことは日本では正式にオープンにしないとは思うのですが、僕の体験をシェアしたり、このブログで伝えたりすることで、一人でも多くの方の心に何かが伝わればいいなと願っています。

そして、今僕は、「Be Yourself!本当の自分を生きよう!」という活動をはじめています。

ゲイとしてのこれまでの経験をみなさんに正直に、オープンにシェアすること、僕が学んだことをみなさんにもお伝えすることが、日本のみなさんのBe Yourself、本当の自分を生きることへのきっかけにもなればと思っています。

今日は、Be Myselfの姿を皆さんとシェアしたい、そんな気持ちでオープンにすることを決断しました。

幼い頃と比べれば、今ではずいぶん自分を受け入れられるようになり、こうしてみなさんにお知らせができることはとてもうれしいことでもあります!

そして、ちょっぴり緊張することでもあります。

これからも、竹内清文は「Be Yourself!本当の自分を生きよう!」を自分自身も精進していきたいと思っています。

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

Be Youserlf!

本当の自分を生きよう!

2014年8月31日

竹内清文



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