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16/6/2

思い出のバスに乗って:杉本町津国ビル純情1「アルハンブラの思い出」

Image by Olia Gozha

思い出話をすると、「そんな時代にわたしも生まれたかったなぁ。」と、我が娘が羨む、1960年代後半、わたしの19から20歳にかけての、今日は話である。

その昔、大阪は杉本町、大阪市立大学の近辺に「津国ビル」と呼ばれる大きな下宿ビルがあった。コの字型の二棟に分かれている下宿ビルは、三階建てで200部屋ほどがあった。個室は三畳、それに小さな押入れがついているだけだ。机を入れたらベッドは入らない、ベッドを入れたら机は入らないのである。一階には大きな食堂があり、まかない付き、トイレは共同で、風呂はなし。よってみな近所の銭湯へ出かける。

さて、下宿人だが、これが200人くらいの中に女性はわたしも含め、たったの5、6人。残りは全部男性である。下宿人たちの職業は様々で、夜間高校生、大学生、各種学校生、予備校生、若い高校教師、写真家、サラリーマン、そしてわたしのような、今で言うフリーター(そう言えば、わたしなどフリーターのハシリかも知れないw)といった具合の集まりであった。
わずかの衣類と借り物である寝具を引っさげて、わたしはとあるきっかけでその下宿屋に紛れ込んだのである。

職業からわかるように、津国ビルは若人の花盛り。多少年齢がいったとしてもせいぜい30歳を少し超えるである。年配の管理人夫婦がいて、玄関口を入って左側に事務所があり、電話は呼び出しだ。電話が入ると校内放送ならず、下宿内放送で、「○○号室のspacesisさん、電話です。事務所までお出でください。」と呼び出しされる。話の内容は、管理人には筒抜けである。まかないは朝6時から9時までの朝食と、夕方6時から9時までの夕食の2食である。

これだけ若者が集まっていると、外での交友よりその下宿屋内での友だちづきあいが多くなり、わたしはよく大阪市大や私立の学生たち、イラストレーターのタマゴ、タイプ学校の学生たちの仲間に入っては、毎晩のように一部屋に集り、明け方まで人生論にふけこむこと、日常茶飯事であった。そして、朝一番、6時の朝食めがけてわたし達はドドッと食堂になだれ込むのであった。

朝食にはまだ早い6時前、この時間になると眠気はすっかり吹っ飛んでしまうものだが、しかし、話もだいたいおさまってひとまず解散、各々の部屋に引きあげようとなったある朝、玄関口の板場に座り、靴紐の結びをほどいている若者に出会った。

「おや、朝帰りですか?」と無遠慮に尋ねたわたしに、「いや、今一仕事終えてきたとこです」。
幼いの面影を残すがどこかしっかりしたような印象を受けたその人は、聞いてみると新聞配達をしながら下宿生活をしている夜間高校生であった。わたしと同じ棟に住むのであるが、そのときわたしは初めて彼と顔を合わしたのであった。I君、16歳、両親をとうに亡くしていた。

早朝に玄関先で言葉を交わしたこの時がきっかけとなり、お互いの時間が空いている暇を見ては、色々な話ををしたり本を貸しあったりする付き合いが始まった。二人の逢瀬の場所は(笑)、日中は洗濯ものだらけでも、夜はあまり人が行かない屋上である。
そこからは少し離れて杉本町の操車場が見えた。今と違って一晩中開いているコンビニやファーストフード店などなかった時代だ。下宿屋ビルの屋上から見下ろす町はしんとして、街灯も理不尽なこの世界から若者をかばおうとでもするかのように、そこそこに明るいものであった。わたしは時々思う。今の街の灯りは煌々とし過ぎて夜昼の区別がつかない。安全性のためとはいえ、実に優しさがない。

下宿屋の屋上でI君と話すようにしたことの理由は、ひとつに、狭い部屋は若い男女2人きりというのはどうも具合がよくない。それと、わたしがつるんでいた予備校生や大学生のグループに彼は入りたがらなかったのである。

I君はギターを弾く少年であった。夜更けの誰もいない屋上で、話の合間に開く、聴衆者はわたし一人のミニコンサート。ギターを一度でも手がけた人なら誰でも知っているであろう、ギター名曲、ソルの「月光」
「アストリアス」そして、タルレガの「アルハンブラの思い出」。
夜のしじまを縫って奏でるギターは、16歳のI君の内面がちょこっと見えるようで、わたしは切なく思ったものである。

I君との交友は長くは続かなかった。
ある日の本の交換でわたしが彼から手にした本には「紅岩」という題がついていた。それは中国の文化大革命を背景に当時の中国の若い人たちを主人公にした物語であった。

わたしはどこか本能で、「紅岩」の持つ思想とは、相容れない自分を知っていた。わたしは行動も考えも他から縛られるのは、全くもってごめんだと思う人間なのだ。 I君の本にある思想は、「民衆の自由を勝ち取る」とは謳うものの、19のわたしではあったが、それが謳いあげていることとは逆に個人の自由を、思想を否応なくむしりとるよう見えた思想だった。
相容れない思想の相違は、それ以上付き合いを続けるには障害だった。

まだ世界を見ていない16歳の少年を、その思想にかりたてた環境がわたしには残酷に思えたものである。

後年、白いギターを手に入れたわたしは、あの頃のI君を思い、彼がよく弾いていたギター曲3曲の楽譜を探し出し、独学で挑戦してみた。しかし、わたしが一応弾けたのは「月光」だけである。

「アルハンブラの思い出」を耳にすると、そのトレモロにどうにも歯がたたなくて弾くのを諦めたのと同時に、身寄りの少なかった16歳の少年の心中を思いやって、わたしは切なくなってしまうのだ。

屋上で別れてから40年近い月日が流れてしまった。君はあれから、どんな人生を歩んだのだろうか。

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