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16/5/22

就活で全滅した元偏差値38の男が世界ランキング8位の大学院に合格するまで

Image by Olia Gozha

2012年8月22日


1年以上続けてきた就活

その中で唯一、最終面接まで残った企業からメールが届いた。


「厳正なる選考の結果、残念ながら採用を見送りましたことをご通知いたします。

末筆ながら、貴殿のより一層のご活躍をお祈りいたします 。」


このメールには慣れっこだったが今回は心境が違った。


「これで完全に人生は終わったな。」


そう思いながら呆然としていた。



偏差値38から慶應大学へ


偏差値38


私の高校一年時の偏差値だ。勉強には一切口を出さない両親も、この成績には絶句していた。


同級生や教師からも思いっきりバカにされたのを覚えている。

「こんなに成績悪い人初めて見た~!」と素直に驚かれてしまうくらいの低さだった。


4年後、慶應大学に合格したものの、一番行きたかった国立大学には合格することが出来なかった。


浪人時代を含めて勉強期間は4年。総勉強時間は述べ10000時間ほど。

1万時間の法則に則れば、驚くような成績の向上ではない。

大学入学後、周囲の友人に聞いてみたことがある。



「どうして慶応を目指したの?」

友人A「成績がそれぐらいだったからだよ~!」

「・・・・・・・・・・・・・・・・」



そもそもの頭の良さが全く違うのだということを認識させられた瞬間だった。


2012年の就職活動


2012年の就職活動はリーマンショックの影響がまだまだ残っていて、就職活動は全般的に厳しいものだった。2016年現在は売り手市場と呼ばれているが、当時は完全な買い手市場だった。


しかし、どんな状況でも就職口はある。


皆に称賛されるような良いところに就職がしたい、やりたいことなんて分からないからとりあえず就職しとく、など色々理由はあろうが、皆きちんと就職を決めていく。


周囲の友人たちは見事に有名企業から内定を勝ち取っていった。赤い銀行や青い銀行、サイ○ーエージェ○ト、三○商事・マイクロソ○○・野○証券・マッ○○ゼーなどだ。

(恐らくこれを読んでいる人なら全員が知っている有名企業だろう。)


私も就職活動で失敗したくなかったので、就活塾みたいなものにも通って1年以上前から準備を進めていた。


「自己PR、志望動機、学生時代に頑張ったこと」


就活でよく聞かれる三つの質問を周到に準備し、ES(エントリーシート)を書いて企業に提出した。


大学も有名だし、書類選考では落ちないだろう。


と、予想していた。


しかし、その考えは甘かった・・・




書類選考の壁


志望を出した企業は50社ほどあった。



しかし・・・



書類選考が全然通らなかったのだ・・・


周りからは「面接で言いたいことをすべて伝えられなかった」とか「次はグループ面接だから時間配分が重要だ」と言う声が聞こえてきた。


いまだに書類選考にすら通っていないなどとは口が裂けても言えなかった。


面接の場に行けないと自分を見てもらうことすらできない・・・


就職活動の入り口にすら立てていなかったのだ。



当時、有名企業や就活生に人気の高い企業は4月までにほぼ内定を出してしまうことが多かった。

5月に入ると、採用活動を続けている企業は残っているものの、厳しい戦いを強いられることになる。



私はというと・・・


4月の段階で一次面接に残った会社がなんと1社だけ。他は面接にすらたどり着くことが出来なかった。

「有名企業しか受けていなかったんじゃないか」と思われるかもしれないが、そんなことはない。中小企業もたくさん受けた。割合としては半々ぐらい。有名企業にばっかり出して持ち駒が無くなってしまうことは何としても避けたかったのだ。


そんな思いもむなしく書類選考に通ったのがまさかの1社・・・


これを落としたらもう後がないと言った心境で面接に臨んだが、本番の面接を一度も経験したことない人間が面接に通るはずはなかった。


惨敗もいいところで、途中で何を言っているのかもわからなくなり、口の中は乾くし最終的には面接官から「もう結構です」と言われてしまうくらいだった。


5月のゴールデンウィークが終わり、学校に行くと「就活、お疲れ様~!」と言う声があちこちから聞こえてくるようになった。一方、就職活動で唯一書類選考に残った会社も1次面接で敗退。


就職活動が終わったと言う声が聞こえてくるたびに精神的に追い詰められていった。




忘れられない出来事がある。




当時所属していたゼミで私以外にも一人だけ、5月を過ぎても内定を取っていなかった友人がいた。

密かに親近感を感じていたのだが、彼は初の内定を5月末に勝ち取った。



授業開始前にいつも通り教室の外で待っていると


ゼミの友人「(上機嫌で)お疲れ様!」

「オツカレサマ・・・(あぁ、内定を取ったな。残るは俺だけか・・・)」



内定を取ったとは一言も言っていない。しかし、声のトーンで分かってしまった。

嬉しそうに内定報告していた姿は今でも忘れられない。



「さあ、いよいよ残り一人になったぞ。」



とにかく何とかしようと思って、ネット上でES添削をしている人にメールを打って直接会ってもらい、書類を添削してもらったことがある。


「わ、わたしの書類のどこがまずいんでしょうか?」

ES添削者「どこが悪いんだろうね・・・?俺にもわからない。」

「・・・・・・・」



数千件もの添削経験がある人にも分からないのに自分に分かるはずがない。そう思ってさらに絶望した。


やったこととしてはこんなこともあった。


採用を続けている企業に片っ端から志望を出していたので、運よく書類選考を通過しても事業内容がさっぱりわからない会社もあった。HPを見ても具体的にしているのかわからない。


しかし、志望動機は何とかしてひねり出さなければ面接通過はできない。


考えても、考えても結局思い浮かばず、


思い余って会社まで行き、出てきた社員に


「あの、就活生なんですが・・・」

「(不審な目)」

「OB訪問をさせてもらえないでしょうか?」

「しません。むしろ、いきなり頼むなんて失礼じゃないですか?」

「・・・・・・・・」


当たり前だと思う。


どこの馬の骨ともわからない若造がエレベータの中で突然話しかけてきたら誰でも警戒する。


面接の練習も相当こなした。絶対にミスがないように万全の準備をして面接に臨んだ。

しかし、次の面接に進むことはできなかった。


当時は分からなかったけど、今ならその答えがわかる。


面接会場が「自分の思いをぶつける場所」ではなく「覚えてきたことを言う場所」になってしまっていた。絶対に落ちたくないがために面接の練習をしすぎて、言うことを全て覚えてしまっていた。


そこには感情がこもっておらず、面接官にもそれが見抜かれ「本当のことを言っていない」と判断されたのだろう。



就活の話題が消える


いよいよ、持ち駒が少なくってきた。

しかし、内定が一社からも出ていない状況から抜け出すことはできなかった。


「内定が出ない」と自分から言ったことはなかったが、みんな雰囲気で分かっていたのだろう。私の前では就職活動の話はしなくなっていた。


時期はもう夏休み直前。話題の中心は就活ではなく、学生生活最後の夏休みはどこに行くか、どうやって遊ぶかなどに切り替わっていた。


自分がどれだけ劣等人間であるかは十分すぎるほど分かっていたので、大学の構内では人通りが少ない道を通り、犯罪者のように身を小さくして人と目が合わないように下を向いて歩いていた。



とにかく人に会わないこと、会ったら自分の就職活動のことを話さなくちゃいけなくなる(と思い込んでいた)から、人と出会わないことばっかりを考えていた。卑屈になってしまっていた。そんな心境だから全てが上手くいかなくなるのは当たり前だ。



つらくて、つらくてしょうがなかった。就活でことごとく結果が出ない時、社会から自分の積み上げてきた全人生を否定されたような気分になる。


「お前は社会から必要とされていない人間である」

それを毎日、毎時間突き付けられているような感覚に陥っていった。

自分が今まで良いと思ってやってきたことが「それ、全部間違ってる」って言われた気分になってしまうのだ。



ちょうどその頃、同世代の就活生が連続で数十社企業に落ちたことに絶望し、首をつって亡くなったというニュースを見た。私もかなり追いつめられており、


「就活全滅 自殺」「就活全滅 社会不適合者」「就活失敗 人生終わり」


などのキーワードでネットを徘徊しているような時期だったから、とても他人事とは思えなかった。


「次にニュースで報道されるのは自分かもしれない」


と思ったことを覚えている。


自分が生きていいのだろうか、これから何十年も働かなくてはいけないのに、その入り口にすら立てない人間が生きていいはずがない、と思うようになっていた。


さらに悪いことは続く。


ある日、尋常じゃない痛みが俺の奥歯を襲った。どうしようもなくなって病院に駆け込んだら、歯の詰め物が神経に届いてしまったらしく、そこだけ銀歯にしなくちゃいけなくなった。


普通の精神状態なら何ともないことでも、精神的に追いつめられていると身の回りで起こった全ての事象に理由をつけて自分を責める材料にしてしまう。


就活もダメ、歯もダメ、そのうえ彼女もいない。


世界がありとあらゆる方法で自分を攻撃してくるような錯覚に陥ってしまった。

何回自殺しようと思ったからわからない。だけどそんな勇気もなく人生を心底恨んだ。

「地獄を歩いている気分」「世界がゆがむ」などなど、つらい気持ちを表現する言葉は沢山あるが、その程度じゃなかった。


歩いていて、めまいを起こしたように平衡感覚が保てなくなったり、最後には辛すぎて記憶までなくなった。昨日していたことが思い出せない、一週間前のこと、一ヶ月前の記憶が空白状態になる。こんな体験は初めてだったので


「いよいよ、俺もヤバいな」


と思ったことを覚えている。



そして最終面接へ



1年以上、就職活動を続けてきて唯一、最終面接まで残った企業だった。


言いたいことは全て伝えた。できることも全部やった。


しかし、結果は・・・・







不合格。









「これで、人生は完全に終わったな。」


そのころはもう、翌年の就活が本格化する時期だった就職留年という道もあったが、内定を取れる気が全くしなかった。一回も内定をもらったことがない自分が一つ下の就活生と一緒になって結果を出すことなんてできるはずがない。


「就活失敗したら人生終わり」


その言葉が頭の中をこだましていた。

廃人のように生気がなくなり、顔からは表情が消えてしまっていた。




選ばれなかった人は○○に選ばれている


ある日、新著の広告に目を止めた。


「それでもあきらめない。ハーバードが私に教えてくれたこと」

「就職活動全滅の後、海外大学院留学へ」の文字が。


これはもう、何かのメッセージだと思った。


5分後に家を飛び出し、書店でその本を即座に購入。帰りの電車の中で一気に読み進めた。

自分と全く同じ体験をしている著者の文章は一つひとつが人生の指標となるような言葉で満ち溢れていた。


人目もいとわず大泣きしながらページをめくっていると次の言葉に出会った。









「選ばれなかった人は他の道に選ばれている」








この一節を読んだとき、体全体にメッセージが染みわたるような感覚を覚えた。自分の細胞一つひとつに著者の言葉がしみ込んでくるようだった。涙が止まらなかった。


著者がブログをやっていたので即座に感謝のメッセージを送った。



「私と全く同じ状況の中、道を拓いた人いることを知り本当に勇気づけられました。人生で最も励まされた瞬間でした。「選ばれなかった人は他の道に選ばれている」という一説を読んだとき涙があふれて止まりませんでした。」



すると数日後、何と返信が返ってきた。



著者「頂いたメッセージ、嬉しくて何度も読み返しました。この本は私と同じような状況にある人たちのために書きました。人生で最も勇気づけられた瞬間、そんな瞬間を作り出すお手伝いが出来たのであれば、著者として最高の喜びです。」


自分の進むべき道は決まった。




海外大学院留学へ


あの本を読んだこと、そして海外に興味があったこともあり、一念発起して海外大学院を目指すことにした。幸い、大学時代に英語は好きで勉強していため、準備の期間が数ヶ月しかなくても何とかなった。ゼミの教授も米国大学院を卒業していたこともあり、推薦状を書くことを快く承諾してくれた。


ゼミの授業、必要書類の作成、英語の勉強などまさに、怒涛のように日々が過ぎていった。書類をすべてそろえて、大学側に提出した時のことは今でもはっきり覚えている。自分の今までの苦悩を全て放出し、希望を全て託すかのようだった。


ずっとため込んでいたもの、緊張感や疲れみたいなものが一気に解放され体中の力が抜けていくのを感じた。一年以上もの間、もてる限りの力を込めて自分を縛っていた縄が一瞬にして緩んだような感覚があった。


あの時の何とも言えない感覚は一生忘れられないと思う。単に気持ちが安らいだというだけでは表現できないものがある。


しかし、書類を提出してからの合否通知までの2ヶ月の間、「俺の将来はどうなるんだろう」という不安は頭から一時も離れなかった。5個の大学院に志望を出したけど、すべて落ちる可能性も十分ある。大学はもう卒業することが決まっていたのでニートになるしかない。


もしそうなったら・・・


自分という人間の存在意義が完全に消し飛んでしまうようで怖くてたまらなかった。


全て不合格になったときには・・・


恐怖感が募り、将来のことを一切考えないようにしていた。




本の著者と実際に会う事が出来た日に


年が明けた頃、あの本の著者が日本に一時帰国して日本で講演をすることになっていることを知った。人数制限ギリギリのところで滑り込んでその日を心待ちにしていた。

講演後に懇親会があったのでそこで御礼を言った。


「あなたの本のおかげで人生が救われました。本当にありがとうございました。人生で最も勇気づけられた瞬間でした。」


話している途中で泣いてしまったが、自分が買った本にサインをしてくれて「毎日、本気で」という言葉をくれた。(この本は今でも宝物だ。)


そして、その日の夜。



驚きの連絡が届く。







合格通知


懇親会が終わった日の夜。


大学院からメールが届いていた。




震えるほどの感動とは、このことを言うのだと思う。



崩れ落ちるように、大泣きした。


嬉しさのあまり足の力が抜けていく感覚、両手が顔を覆った感覚、その瞬間の感情の動きの細部に至るまではっきりと覚えている。


悔し涙を流し続けてきた。

何度も何度も。

しかし、この日は人生で初めてうれし涙を流した。


人生を救ってくれた本の著者に会うことができた。
その日に、合格通知を受け取った。

この時ばっかりは神様を信じた。


合格したのはオーストラリア国立大学の大学院。

志望していた国際関係学の分野では世界ランキング8位に入る大学だ。


ランキングの前後にはスタンフォード大学やプリンストン大学、ケンブリッジ大学などがある。


世界から優秀な人材が集まってくるに違いない。そんな人たちと一緒に学ぶことが出来る。


「今一度、自分の人生をリセットしよう。もう一度、海外で研鑽をつんで自分をゼロから鍛え直そう。

能力値は人よりも劣っているかもしれないが、自分の持てる力を最大限に使って留学体験を人生最高の体験にしよう。」



そう心に固く誓った。




最後に


長い、長い物語を読んで頂き本当にありがとうございました。

長い人生の中で何があるか分からない。

困難に負けるのではなく、ぶつかりながらも乗り越えていける人になりたいですね。

一歩ずつですが、前に進んでいきましょう。


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