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16/4/28

きれいなのがフツー幸せがフツーの私になる⑥前の夫の死 そしてふたりの息子

Image by Olia Gozha

 


出産したものの、仕事は多忙。
そのタイミング同じくして、母は体を壊し仕事を辞めた年だった。
互いの家まで徒歩5分、ひとり歩けない母を車で送迎して10時-17時、我が家にベビーシッターに来てもらうことにした。

物心ついたときから、母とゆっくり過ごした記憶はない。

母はいつも仕事で留守、顔を見ればケンカ。互いが言いたいことをぶつけ合うだけの関係だったので、顔を合わせても何も話すことが見つからない。

産後のブルーも入って、ナーバスになっている私は、いちいち母の態度が気に入らなかった。毎日来てもらつているのもにも関わらず、相変わらずケンカばかり。

けれど、新しい命の存在というのは、ただそこにいるだけでミラクルそのものだった。

母と私をとりもつように、会話の機会を毎日作る。鬼の形相のような母の顔に、こぼれるような笑顔を作らせる。つっけんどんな物言い、口数の少ない母にやさしい声でわらべ歌をうたわせる。

そんな様子を見ていた私は、母に生活のゆとりがあれば、本当はこんなふうに私たちを育てたかったのかもしれない。もっと子供との時間を持ちたかったのかもしれないと。

私とケンカして泣いて帰っても、また翌日は10時なれば来てくれた。その期間は、休みなく1095日間。

母の愛の形
私も少しずつ素直になれて、母娘らしい会話もできるようになっていった。


そんな忙しく過ごしていたある日
息子から電話がかかってきた。

次男「もうすぐ、おとん死ぬんちゃうか」


元美「・・・・そうか」

以前から、病気だとは聞いていた。
それも肝臓ガン。かなり末期。

離婚してから、前夫はすぐに再婚した。
ひとりで生きててけない人だから、当然だろうと思った。

仕事もなくお金もなく、家族も友人もすべて失くした人を、よく拾ってくれたものだと、私は密かに感謝していた。

病気してからは、大変だったろう。
経済的にも精神的にも。
同じ女性として、幸せを感じたことはあったのだろうか。

息子たちは、時々前夫とは会ってはいたが、私には気をつかってかあまり話したがらなかった。前夫の様子は、共通の知人から時々話は聞いていた。


私は、前夫に対して、不幸になって当然という気持ちがあった。幸せになれるわけがない。散々好き勝手して、私たちを苦しめたんだから。

10年と少しの結婚生活での間は、何ひとつ文句を言うことなく、望んでいるであろうことを察知して、やれるだけのことは精一杯やった。

お金がないときは代わりに借りに走ったし、都合悪くなって雲隠れしたときはかばい続けた。浮気されても、私が悪いと思い込み、数日後にふらりと帰ってきても笑顔で迎えた。仕事をほってどこかに行ってしまっても、責めたことなど一度もかなった。

もうこれ以上何もやることがない
やり尽した
私はとてもよくやった
私には何も非はなく、すべて相手が悪いとずっとずっと思い続けていた。


私は、はじめて人の死期を読んだ。

元美「そろそろだと思う」

次男「わかった」

翌日、夫は逝った。



葬儀に参列した帰りの息子たちと会った。

離婚すると決めて息子たちに話したとき
「おとん、嫌いや。そうしろ」と言ってた。
その言葉に、その時は勇気をもらった。

そして葬儀を終えた息子たちは
「やっぱ、おとんのこと好きやった」
「オレも」

その後
「お母さんも」という言葉が私の口から出た。


離婚はしたけれど、前夫がいなければ息子たちは生れていない。
たくさんたくさん、これ以上ないくらい嫌な思いもいっぱいした。それと同じくらいのいい思い出をどれだけ探しても、少ししか出てこないけれど、でも結婚してよかった。
本当に心からそう思えた。

結婚生活での経験
その後離婚して私は自分を知ることができたし、好きなことも見つけられたし、経済的な自立も果たせた。

相手にすべての非があると思い続けていた私。

なんて傲慢だったんだろう。
どれだけイヤな女だったんだろう。
若いだけのバカな女だったんだろう。

そんなふうに思いながら、息子たちと一緒に前夫の思い出話をいっぱいいっぱいした。

そばで聞いているに違いないと信じながら。





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