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16/4/19

吃音の私が自分を認めてあげたら人生が変わった話 1

Image by Olia Gozha

・・・


2009年冬、いっこうに終わらない就職活動に私は焦りと苛立ちを感じていた。


大学を卒業後、夢に破れアメリカに約1年留学をした。

小さいころからパイロットになりたかったのだが夢かなわず、

やりたいこともないので就職せずに留学しようと思ったのだ。

アメリカではいろんな人に出会いいろんな刺激を受け、

早く社会に出て働きたい!という気持ちが強くなっていた。

そして帰国後アルバイトをしながら就職活動を始めたが、


完全になめていた。


と、言うよりも、

自分のあまりの不甲斐なさに絶望すらも感じた。



面接が通らないのだ。



それは当たり前だった。


なぜなら、


喋れなかったからだ。


何も伝えられない。



どもってしまうのだ。



そう、


私は吃音なのだ。


今でもはっきりと覚えている。


・・・


小学校2年生の国語の授業。

もう授業も終わる2分前。

「らりるれろ」が言えなかった。


先生が何か質問をして、

まわりのみんなが一斉に手を挙げる。

つられて私も手を挙げる。

そうしたら、先生に当てられた。

答えはわかっていた。

どんな質問だったかは忘れてしまったが、

答えは五十音の「ら」の行だ。

急に当てられて動揺した。

というか、

その当時1年生の時大好きだった担任の先生が学校を変わってしまい、

それと同時に周りの友達の態度もどこか変わってしまったように感じて、

どこか寂しくて情緒が不安定だった。


そして、

私は、


ひどくどもりながら答えた。



「っらららっらら・・・りっりっっっっ・・っるる・・・・れっれれれ・・っっろろろ」



クラス全員が笑っていた。

先生も笑っていた。

みんなに笑われた。。。


自分でも何が起こったのかさっぱりわからなかった。


ただ、

恥ずかしかった。


あの時の感情は20年近く経った今もはっきりと思い出せる。

とにかく恥ずかしかった。

誰とも顔も合わせられない。

それ以後、性格もすっかり引っ込み思案になってしまった。






あれから15年。

私は吃音を引きずったまま大人になり、

社会人になるための「就職」という時期を迎えた。


学生時代吃音のせいでずっと暗かったのか?と言われれば、

そうではない。

根っからのポジティブ思考と目立ちたがりな性格で、

できるレベルでの自己表現はしてきた。

友人とギターをもって路上ライブをしたり、

大学では40名ほどのサークルの部長も務めた。

アメリカへ留学中現地で働いたこともある。


「吃音」というコンプレックスをもっていたが、

「そんなもんに負けてたまるか」

という気持ちが強かったのだと思う。


だが、人前でしゃべったり、

特に学校での授業で当てられて答えるとか、

教科書を読まされたりすることは、

ずっと苦手だった。

「恐怖だった」と言った方が正確だろう。


極度に緊張してしまい始めの1文字が発音しづらい。

いわゆる吃音の中でも「難発」というやつだ。


何度も笑われた。

「今月はこれで2回笑われた」とか

「あ~このクラスでもどもるのがバレた」とか

その場から逃げ出したくなる思いは数え切れないくらいした。

あの恥ずかしさは慣れることがない。

まわりから奇妙なものを見るような視線。

どうしようもなく自分がみじめに思える。

親には申し訳ないが、

自分なんて生きてる価値なんかあるのか?

とさえ思ったこともあった。


「吃音」の自分はどうしても許せなかった。


・・・


吃音なんかのせいで就職ができないなんて認めない!

なんでどもるんだ!

なんで俺だけみんなと違うんだろう。。。

と、30社目くらいの就職面接で東京に行った帰りの新幹線でぽろぽろ涙を流して泣いた。


どもっていつも笑われるくせにプライドばかり高い私は、

もう精神的にボロボロだったのだろう。

情けない自分が悔しくて悔しくてたまらなかった。






そんな頃だ。

ネットで「営業カレッジ」に出会ったのは。


・・・


(株)JAICという会社の就職活動生に向けた就職支援セミナー、

「営業カレッジ」

私は見ていないが2009年にガイアの夜明けで紹介されていたらしい。

その説明会を東京でやるみたいだったので、

すぐに申し込みをした。

「厳しそう」、「大変そう」とかいった感情は沸かず、

本能的に「必要」だと判断した。


東京での説明会とアドバイザーさんとの懇談で受講を決めた。


そして、私の人生のターニングポイントと言うべき東京での2週間が幕を開けたのだ。



・・・





「営業カレッジ」初日。

東京都神保町のとあるビルの一室。

割と広いイメージのその部屋に白い長机と椅子が並べてある。

今思えばいかにもセミナールームって感じだ。

私の同期になる仲間、30人ほどだろうか、みんな優秀そうな人たちばかりだ。

私はどんな授業が始まるのか胸がドキドキして仕方がなかった。


そして、講師と思われるすらっとした男性が勢いよく入って来た。

T講師だ。

彼の授業によって受けた私の人生への影響は計り知れない。

彼は勢いよく部屋に入って私たちの前に立つなり、

ものすごい大声で


「おはようございます!!!!!」


と言った。

とにかくものすごい大声だった。

いや、大きいだけではない。

それは当時私に圧倒的に欠けていた、

「ものすごく大きな自信」

今思えばあれを「覇気」と言うのかな。

ものすごい「覇気」をT講師から感じた。


その瞬間、現場の空気が決まった。


とてつもない緊張感と

自分たちの置かれている状況、危機感を

その場にいた30人誰もが感じたはずだ。



・・・




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