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16/4/16

私が「私に暴力を振るい続けた死にゆく母を笑顔で見送るべきか(長文です)」と知恵袋に書き込んだ者です。

Image by Olia Gozha

あれから2度目の桜が散りました。

 今から2年前、私はタイトル通りの質問をヤフー知恵袋に書き込みました。

特に多くの閲覧者を望んでいたわけでもなく、こんな長文を最後まで読んで回答をくれる人もいないだろうと予想しながら自分の置かれていた状況を洗いざらい書き込んだのは夜10時。

 回答者が付いたのも確認せずに眠りにつき、朝起きた時には閲覧数が8万を超えていて、何だか怖くなってすぐに回答募集を打ち切ったのを覚えています。

 8万回以上読まれた質問なので今、ここでこのストーリーを読んでくださっている方々の中にも、元の私の質問を目にされた方がいるかもしれません。ですが読まれていない人のほうが確実に多いので、私のプロフィール中とここに当時の質問URLを貼ります。

 ( http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10128094295 )


 2年前の今頃。

 私は焦っていた。やっと英会話講師の面接に受かり、これから1か月間研修をし一人前の講師としてデビューできる!という矢先に母親が入院、2か月ほどで危篤状態に。

 普通なら『お母さんが心配!病院に寝泊まりして面倒見たい!お母さん、死なないで!』 ってな展開になるだろうけれど、うちは違う。


 『やっとだ… やっと、もうすぐ待ちに待ったこの日が来るんだ…早く。早く…早く!』

私は内心、ずっとそう考えていた。

 不謹慎だと思うだろ?親不孝だって、思うだろ?思ってくれてそれでいい。だって私は、ずっとあの母親の暴力と暴言に耐えてきたんだ。ストレスのはけ口に利用され続けてきたんだ。それは事実で自分にもそう言い聞かせている。だって、自分の味方なんて、自分しかいないだろ?

 父親も私への暴力に加担し続けていた。じいちゃんは耳が遠い、私が殴られていても見て見ぬふりでBSの邦画ばかり観てる。ばあちゃんは脳梗塞で半身不随、和室から出てこない。家には敵しかいない。自分の身は自分で守るしかない。

 幼少期から、私の家はそういう変わった家だったんだ。


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