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16/4/15

アメリカで、転職

Image by Olia Gozha

「これまでお世話になりました」各大学のスタッフに挨拶をし始めました。


大学のうちのひとつで、思いがけないことが。

語学学校のディレクター「私のところで、一つ新しいポジションを作るの。応募してください。」

「えっ!?ありがとうございます!」

というわけで、今回もひょんなことからお仕事が・・・応募しました。これは、できレースではありません。ひいきはしてもらっただろうけど(笑)、ちゃんと応募して、面接して、最後の一人に勝ち残りました。

そう、前の会社を辞めて2週間後には、なんとカリフォルニアの州立大学で働く、公務員になっていたのです。

公務員なので、お給料はしゃれにならないくらい安いです。日本の公務員がお給料が良いと批判されていますが、私はただただうらやましいです。

でも、初めてのアメリカ人だけの世界での仕事。大学での仕事。もうわくわくどきどきでした。メールを1日80件返すのも、楽しくて楽しくて楽勝でした。

アウトリーチ(営業?)の仕事だったので、デスクワークだけでなく、いろいろなところへ出張もあります。新しく、パスポートも作りました。そのパスポートは、来年切れますが、もうビザスタンプでびっしりです。


語学学校で仕事をし始めて3年くらいで、組織改革が始まりました。私なんかが抵抗したってどうしようもないので、流されるままに流されたのが、International Admissions Office。アウトリーチのお仕事はまずお預けになり、もうとにかく書類に埋もれる生活に一変しました。


私は、自分でいうのもなんですが、大学の仕事は向いていた、と思います。あ、過去形じゃないな、今でも他の大学で働いているんだから。


ただ、仕事の量が半端なかった。申請してくる人4500人を、私と数名の学生のバイトで回している状態でした。当時、この大学は全米で申請者の数がもっとも多いことでニュースになるような大学でした。でも、内情は、スタッフは私一人~!!Evaluatorという、成績表を換算する担当の人たちがそのお仕事だけに対応できるよう、私がカスタマーサービスを一人で行うことになりました。Evaluatorだって、なんと3名のみ。一人が1000以上の成績を見ることになります。彼らも悲惨です。

私は、1日にメールを250通、郵送物積み上げると1メートルくらいの開封、仕分け、かかってくる電話で学生のバイトがさばけないもの、を行いながら、合格した人のI-20のサインをただ一人で行う、という3人分の仕事をやることになります。夕方いったん家に帰り、子供にご飯を食べさせて、二人とも職場に連れて行き、宿題をさせながら郵便物の開封を続ける、という日が続きました。6ヶ月は、1日も休まず、土日もひたすらメールを返信し続けました。


そうこうしているうちに、Evaluatorの3人の内2人が、人事部と労働組合に正式に苦情を入れに行く事態に(汗)


平和主義者の私は、誘われても直訴には参加しませんでしたが、確実に疲れていました。最後のほうは、「やばい、親より先に死ぬ」と真剣に思ったほどです。


上司に、「次のアプリケーションのサイクルが始まる前に脱出するのが目標」と今思えばあきれるほど堂々と伝え、転職活動を始めたところ、とんとん拍子で3つオファーがありました。


一つは、超お金持ちPalos Verdesにある私立の大学。私の出身校と同じイエズス会系の大学だったので、規模が小さく、きれいで、かわいい学校でした。

ただ・・・学長と話していたら、なんかやばいことがありすぎ。数年前に大学の認可を剥奪されそうになったこともある、って言うじゃん。こりゃだめでしょ。

本当に申し訳ないですが、この大学からのオファーは、交渉材料に使わせていただき、当時勤めていた大学でお給料を上げてもらい、昇格してもらいました。

次に、今勤めている大学の語学研修所でのアドバイザーのオファーが。これは、州立大学なのですが、公務員とは別雇用となります。お給料はいいけど、これまで投入してきた年金とかがぱーになる。

お断りしました。


そして最後。今勤めている大学のInternational Admissionsからのオファー。昇給、昇格という形だったので、すぐに受け取り、ただ、前の大学への恩義があるので引継ぎのために1ヶ月待ってもらうことにしました。

前の大学での仕事は過酷でしたが、限りなくブラック企業と同じ時間数無給で残業をしたものの、恨んではいません。今でも、戻りたいと思うほど。私がやめた後、私の代わりに3人雇ったからね・・・戻ったら、ちょっとは楽なはずなんだよ。


そして、2013年9月。今の大学に転職します。

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