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16/3/30

思い出のバスに乗って:一冊の本が与えるもの

Image by Olia Gozha


娘が12年生の学年末試験も終わったある日のことだ。気分的に余裕があったのか、突然、おっかさん、高校時代にどんな詩を書いてたん?」と、おいでなすった。

 仕事で丁度パソコンに向かっていたわたしは、少し照れくさかったけれど、画面に「そだね。例えばこんなのとか。」パチャバチャバチャとキーボードで打ちだす。「あとね、こんなんもある。」「それから、これは数十年温めてて、まだ完成してないんだよ。」

「えっと、これは自作の詩の中でも気に入ってるヤツ。おほほほほ」  
 「へぇ、意外と哲学的な詩なんだ。」と我が娘が言う。 

 愛だとか恋だとか、あなたとか好きなどの言葉は、それらの詩にはほとんど見あたらない。使ってる一人称言葉も、「わたし」でなく、「ぼく」であったりすることが多い。


それから親子二人で話が広がり、わたしが好きだった青春時代の愛読書である蜷川譲氏の「フランス文学散歩」という文庫本を本棚から引っ張り出してきた。仕事はもうそっちのけであった。


その本は全般的に黄ばんでおり、発行はなんと、昭和34年、1959年なっている。「ラ・フォンテーヌ」「星の王子さま」から始まって、コレットの「青い麦」、そして高校時代に夢中になって読んだサガンの「悲しみよ今日は」。更に「狭き門」「赤と黒」「谷間の百合」エトセトラエトセトラ。フランス文学のさわり部分が書かれているのである。

親バカが、ついつい娘をひっつかまえて、文庫本に掲載されているアラゴン、エリュアールの抵抗詩の断片を、
 「ほれ。ここ、この詩。好きだったんだよ。読んでごらん」と押し付け。

ああ、久しく忘れていた胸高ぶるあの頃に思いを馳せて、なぜか心がホットホット。いえね、仕事の教材作成もうっちゃっといて、あの頃の自分と同じ年頃になった娘とこんな風に話をするようになったとは、と感じ入ったのであります。
 

この文庫本は表紙も中身も黄ばんでボロボロではあるけれど、わたしは今でも時折思い出しては、本箱から取り出してめくってみるのです。
  遠い日のわたしの青春時代と娘の青春。時代の流れで違うところがあるにしろ、不変なものもあります。それは、
 「文学は青春の生命を謳いあげる」

この本の中にある、18の頃も、そして今も変わらず好きなモンテルランの言葉。

人生を前にして、ただ狼狽するだけで、無能なそして哀れな青春。だが今、最初のしわが額に寄る頃になって得られるのが、人生に対するこの信頼であり、この同意である、「相棒、お前のことならわかっているよ!」と言う意味のこの微笑だ。今にして人は知るのだ、人生は人を欺かないと、人生は一度も人を欺かなかった。


一冊の本が与えるものは、大きい。

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