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16/3/21

生まれながらの母子家庭で被虐体質・女性苦手意識・自信不足・人間不信・ネガティブ体質などを克服して常に人生を切り拓いてるストーリー

Image by Olia Gozha

とある70億人分の1人の男性による経験談


ボク個人のノンフィクションな人生を整頓し、《人生の志命》をよりクリアにする為に此処に記す。



日本一の山、富士山を望める港町に生を授かる


生まれながら父親不在で育てられ、別居生活を送る祖父母それぞれの家に預けられ

日本書紀に遺されてる《草薙剣》に所縁があるとされる場所で保育時期を過ごした


物心が付いた時には父親が居ない事に違和感なく育ち

当時の母親には《彼氏という存在》が既に居て、その生活が4~5歳で当たり前となっていた


保育時期のボクはLEGOブロックで遊ぶのが好きで、将来の夢は《オモチャ屋さん》になりたいと言い

外で身体を使って遊ぶよりも、中で頭を使って遊ぶのに熱中する一人遊びが目立つ子だなと振り返る

そのくせに、よく給食の時間に隣の席になる女の子にちょっかいを出して泣かしたりもしてたヤンチャっぷりもしばしば。。。

保育士の先生に怒られても、無邪気にちょっかいを繰り返してた

きっと、あの頃のボクはその女の子が好きだったんだろうね


保育園のお迎えは母親の妹にあたるお姉さんがよく来てくれてた

もちろん母親が迎えに来てくれることもあるが、生活費を稼ぐ為に夜遅くまでパートの仕事をしてたので基本的にはお姉さんだった

母親は妹のお姉さんと2人姉妹

2人共、祖父母の元から離れて暮らしていて

祖父母も別々に暮らしていたから身内となる4人はみんなバラバラに暮らしていた

サザエさんの様な核家族とは真逆な家庭だ


お姉さんのお迎えがあったとしても、送り先は祖父のところが常で

お姉さんはただ単に送り迎えだけをするだけと

今思うと不思議な役割分担


保育園のあとは祖父の家で過ごす日常サイクルで、夕飯を共にするのは酒呑みの祖父との2人きり

母親がパートを終えてまた迎えにくるまでは祖父の家で待機で

だいたいが23時を過ぎたあたりに母親と暮らすアパートに帰っていた

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