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16/3/21

Cくんのこと

Image by Olia Gozha

Cくんのこと

  もう20年以上過ぎたから、書いても時効だと思う。何も悪いことではないが、人物を特定されては個人情報の漏洩になる恐れがあるという意味だ。

  Cくんが私の塾に来てくれたのは中学1年生の時だった。いつも後ろの方に座る無口な少年だった。ハッキリ言って記憶に残りにくい生徒だった。性格が暗い感じがしたのだ。

  そのCくんが、中学2年生になった頃に塾に来なくなった。塾にはよくあることなので、あまり気にしなかった。すると、父親の方から電話があって、しばらく休むとのことだった。理由は言われなかった。

  後で分かったのだが、何か重い病気で入院したと同級生の子たちが言っていた。1年くらい経って塾にもどって来てくれたのだが、出席日数が足りないとかで中学2年生をもう一回することになったと言われた。

  義務教育でそういうことはないはずだと思ったが、ご家庭の事情はよく分からないので

「そんなものか」

  と聞き流していた。しかし、思春期にある中学生が1年下の子たちと同級生になるのはつらいものだと思った。勉強は、トップレベルではなかったが上位だった。ただ、1年後にもどってきた時は一番前に座り発言も多くなり勉強に積極的な子に変わっていた。

  同級生の口の悪い子たちが、Cくんは父子家庭ということだった。

「母親が逃げちゃったんだよ」

  と言っていた。そういう言葉も、Cくんを傷つけていたと思うが明るい性格に変わっていた。私の塾では、月例テストで1番をとると翌月の月謝が大部分が免除される「特待生制度」がある。ときどき、特待生を取れるくらいの学力に上がっていった。

  いま思うと、父子家庭で妹もいて経済的に厳しいから勉強を頑張って月謝の免除を狙っていたのかもしれない。高校受験のときは、私立は暁6年制を準特待生合格となった。授業料が半額になる制度だ。

  県立は、地元で最難関校の四日市高校を受けた。しかし、落ちてしまった。結局、暁6に行くことになった。授業料が半額だから、それほどの負担ではないと思ったが、大学はなにが何でも国公立しかなかった。

  Cくんの高校時代にクラブ活動はなかった。ひたすら勉強を続けた。生徒会や、行事や、恋愛や、趣味や、そういうものは全てなかったように思う。絶対に、国公立の難関大に合格するしかないので何もかも捨てて、勉強に賭けていた。

  その甲斐があって、模試を受けると東大や名大を書いてもB判定が付くような状態だった。それで、結局迷った末に東大を受けた。結果は、不合格だった。それで、後期で合格した阪大に通うことになった。

  その後のことは、分からなかった。ところが、10年ほど過ぎたある日、メールが来た。京大の大学院を卒業するのだが、大学に残って研究した方がいいのか、企業の研究所に行くのがいいのか、私はどう思うか意見を求めてきたのだ。

  相談する相手が違う(笑)。

  私はとても驚いた。大学院で、京大を受けていたのだ。そして、合格していたのだ。どうやって学費を捻出したのだろう。奨学金やバイトかもしれない。しかし、本当に驚いたのは、そこではない。

  1年を棒にふったら、「なんで、ボクだけがこんな仕打ちにあわなければならないんだ」と、世の中を呪う子もいる。「母ちゃんが逃げたんだろう」とイジメられたら、友達を恨む子もいる。クラブも友達関係もない高校時代の思い出はどういうものか想像もつかない。

  その結果が、「不合格」だったらグレてヤケになる子もいる。

  ところが、Cくんは母親がいなくても、病気になっても、受験に落ちても、何があっても前向きで、くじけずに頑張り続けた。性格にゆがみもない。そこに驚いたのだ。

  私に連絡してきたのは、「ボクは負けなかった」と言いたかったのかもしれない。それくらいは、誇っていいと思う。お父様も自慢の息子だろうと思う。妹さんも、自慢の兄ではないだろうか。

  A子ちゃんも、Mくんも、Cくんも、みんな優秀な人材だと思う。しかし、誰も地元に戻ろうとしない。そして、3人に共通するのは「他人を責めない」ということだ。他人の評価に興味がないと言ってもいい。

  教師や模試が「ダメ」と判定しても、自分がダメだと思わない。他人の評価など信用しない。だから、努力をやめようとしない。信用していない人を責める必要もない。自分の未来は自分が握っていると認識しているのだ。

  みんな良い研究者になれると思う。科学、学問はステレオタイプを求める人には出来ない。固定観念にしばられる人には出来ない。大多数の人が信じているものに縛られてはならない。

  長年、受験指導をしてきて思うのだ。「心に自由の翼を持つ子でないと、難関校に合格するのは難しい」。どんな子でも、連戦連勝は不可能だ。

「鉄は熱いうちに打て」という。なんども何度も踏まれて、つぶされて、挫折を繰り返して、それでも起ち上がる。そういう子でないと、最終的に合格をつかめない。

  

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