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16/3/21

エメラルドシティーは今日も雨だった

Image by Olia Gozha

シリコンバレーに本社がある米国企業に勤めているので、年に何回はアメリカへ出張することとなる。上司も本社CFO(最高財務責任者)であるし、同僚もいる。

今でこそ国際人を気取っているが、最初の渡米はもう30年近くも前のこと。それもいきなり3ヶ月以上一年未満の長期出張。それまでに行ったことのある外国は大学の卒業旅行で行ったサイパンのみ。

それがいきなりニューヨークで現地法人の社長、スタッフと数日の打ち合わせをした後、西海岸北部ワシントン州のシアトルへ。北米大陸を横切るフライトの長さ、眼下の平原の景色がいつまでたっても変わらないのを見て、アメリカの大きさはを実感していた。

間もなくシアトルに到着。と、思っていたら機内放送では「シアトル・タコマ」と言っている。シアトルが最終地でないのかと焦りCAに聞くも当時の拙い英会話力では要領を得ない。兎に角、次はシアトル。その後はどこも行かない。と、確認するのが精一杯だった。到着した空港のサインを見ると「シアトル・タコマ空港」。

その日からその後7ヶ月に亘る私のシアトル駐在が始まるのであるが。シアトルといえばアメリカ人への調査で「住みたい街」第一位に何度も選ばれている。豊かな海と緑が多い山を背後に抱えエメラルドシティーと呼ばれている。

但し、それは春から秋までのことで、残る半年は完全に雨季。

朝起きると窓の外は薄暗く耳には雨音が入ってくる。夕方勤務を終えて窓の外を見るともう真っ暗。

アラスカから何年に一回という寒気が降りてきた際には気温はマイナス20度。丘の上にある住んでいたアパートから眼下に広がるハイウエーを見ると、其処彼処にスピンした車が取り残されている。

チェーンもないので買い物にも出掛けられず、インスタントラーメンで食い繋ぐ。それでもビールを飲み尽くしてしまった時には、片道3kmの坂道を必死になって歩きコンビニエンスストアでビール一箱をゲット。3日振りに駐在員事務所の所長に助け出された時には、兎にも角にも寿司レストランへと向かっていた。

そんな過酷?な生活に輪を掛けたのが、いつ帰れるかが分からなかったこと。

それ故、給料は日本での支払いのまま。但し今みたいに国際ATMがあった訳でも無く、当座の生活費はトラベルチェックで持ち出し、ローカルの銀行に入金。年収分位の金額のTCを持ち歩くもの緊張したが、もっと困ったのは入金時。そのまま使う事も考えていたので、結構細かい金額迄多くの枚数にしていたこと。入金の際にはその全てにサインをしなければならなくてカウンターで一時間以上もサインをしまくり。

またアメリカの生活で不可欠な車も怪しげな会社からのレンタカー。走行距離が30万kmと月にも到達しようかと言うフォード。これが走行中にエンジンが止まったり、その後いくつものトラブルを起こすことに。後でレンタカー屋のオヤジにも「何でこんなボロ車借りているんだ。リース組んだ方が得だぞ。」と言われる始末。「いつ帰れって言われるか分かんないんで・・・」。オヤジの哀れむような視線。TVも無かったし、洗濯機も。まあ、アパートだけは新築で、バンガローでのキャンプ生活よりは少しマシというところだろうか。

一方で仕事で出会った現地企業の人、日系企業の人。レストランや日本食レストランのオーナーやスタッフの方々とのお付き合いは大変な癒しとなった。ご家庭に招いて頂いたり、タコマ富士と言われるレニア山へいったり。

そうこうするうちに3月末から少しずつ晴れの日が増えてきて、川岸や野原から緑の芽が一斉に伸びだしてきた。長かった冬がやっと終わろうとしていた。人々たちも週末には外に出て散歩やランニングに勤しむようになってきた。

そんな頃、東京本社とアメリカ法人社長との間で、私の長期出張をどうするかについて話し合いが持たれていたとは想像だにし無かった。その後、本社からは「人手が足りないんで帰って来い。」と言われ、アメリカ法人の社長からは「まだこっちにいなさい。」と言われ板挟み状態に。

そもそも私の長期出張の目的は現地で日本でやっていた仕事をカバーし、かつ現地のオペレーションを見ることができるか。またその為に、駐在員を増員させる必要があるかを検証するものであり、半年の間に良い結果を出していたので、その意味ではその使命は遂げていた。ということで、家族連れの正式な駐在員の増員も決まり、シアトルの春の歓びを感じることが出来ないままに7ヶ月に及ぶ滞在に別れを告げて帰国の路に着いた。

またいつか夏のシアトルの地を訪れたいとずっと願っていたが、その後も仕事が忙しかったこともさることながら、家庭を持ち独り身ではなくなったこともあり、未だに実現が出来ていない。

次こそはシアトル乗換えのフライトをと思うものの、時間に追われ常にその上を素通りすることを繰り返している。

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