意識高い学生(笑)の典型だった学生時代
僕はとにかく、幼い頃から自信が無かった。そして、不器用に生きてきた。
その反動で、学生時代は空っぽの自分をいかに大きく見せようかと、見栄を張り続けてきた。
自分の内側ではなく、自分の外側にあるもので「承認欲」を満たし続けた。
その最たるものがこの写真である。

安倍晋三さんと大学2年の僕。とあるパーティーにて。非常に香ばしい香りがする。(笑)
(安倍さんを決して馬鹿にしているわけではない。)
この写真をmixiに投稿し、「いいね」が付くことこそが生きがいだった。
このストーリーは単純だ。
自信の根拠を、自分の外にあるものに求めず、
自分の弱さを認め、自分の内側に見出したストーリーだ。
その結果、学生時代「社会を変えたい!」(笑)と豪語し続けたが、
本当に「社会を変えたくなった」。
これも視点が上がるとまた(笑)がつき続けるのだが..
あと、誤解を招かぬように..
自分がどん底にまで落ちた要因は、所属組織にはない。。
(事実、同期は誰も僕のような状態になっていない。笑)
ただ、自分があまりにも弱っちかっただけだ。。
見栄とプライドで生きることの限界が来た...

「新規事業を立ち上げたい」
まだ何も知らなかった就活時代に、自分の直感を信じて入社した会社の新卒研修。
早くも、あまりに周囲と比較して「できない自分」を執拗に責めた立てた。
学生時代に培った、付け焼刃の自信が幻想であったことに気付き、激しい自己嫌悪に陥った。
気がつくと人の話が耳に入らなくなり、視界がぼやけ、酸素が薄くなっていた。
研修課題のプレゼンで、同期が20枚以上のスライドで自信ありげに発表する中、
委縮した脳で徹夜して、僕が作成できたスライドは、わずか3枚。(笑)
内容も誤字脱字だらけの数10字程度の文字の羅列であった。(笑)
いざ、自分のプレゼンの番。
「す、すみません、、何もできませんでした。。。」
見せかけだけの虚像で、承認欲により生きてき自分の拠り所は、既に跡形もなく消滅していた。
「生き方に限界が来たんだ...」
生きる拠り所を失った僕は、自信を失って何もできなくなった。
寝ても覚めても「死後の世界」が目の前に広がる

「ここは生き地獄だ..」
配属後、研修当時よりも「自己否定感」に苦しみ、委縮した脳は、さまざまな幻覚を僕に見せた。
道で通りすがる人々が僕を嘲笑っている。騙そうととしてくる。
死神の様な黒い物体が、頭上を浮遊している。(周囲にはヤク中と間違われた。笑)
起きている間も、寝ている間も決して「地獄」からは逃れられなかった。
朝になれば、強烈な絶望感が襲ってきた。
本当にとんでもない世界だった...
仕事中にも容赦なく脳内で「地獄」が再生される。
そんな状態で仕事が手に着くはずもなく、仕事は遅延し、周囲に迷惑をかける。
それにより、脳内の「地獄」は増幅し、膨張する。
恐怖で過呼吸となった僕はトイレに駆け込み、荒くなった息を整える。
本当にこの世の「生き地獄」だった...
生きることを諦めそうになり、
親と親しい友人に止められるという始末であった。(笑)
ずっと「普通の子」になりたかった..幼少期から強烈に感じていた「劣等感」

物心ついた時から、心の奥底にはいつも
周囲に理解されない「孤独」と「劣等感」が横たわっていた。
「なんで自分は人と違うんやろう?」
「なんでみんなにはできて、自分にはできひんねやろう?」
「なんで自分は人と仲良くできひんねやろう?」
その不安、恐れを紛らわすため、一人の世界に没入していた。
昆虫採集や植物の観察、動物の飼育や、工作など、
時間を忘れて一人でのめり込んでいた。
そんな「孤独」もあってか、弱い者や自然への共感性が異常に高い子どもだった。
「虫を殺したらあかん!かわいそう!」
「アフリカの子どもはご飯食べれへんから、食べ物大事にせなあかんで!」
「森にゴミ落ちてて、森がかわいそうやったから、全部ゴミ家に持って帰ってきた!」
気づいたら小学校内で、「自然を大切にしよう!」と啓蒙してまわっていた。(笑)
あまりに変わった子どもだったので、姉に「兄弟と思われたくない」と嘆かれていた。(笑)
そんな中、親だけは面白がってくれた。
「あんたは、多分大器晩成や」
唯一自分の存在を許容してくれた。
授業中にも頭の中で、あらゆる想像を繰り広げていたため、
小学校6年間で受け続けた評価は「人の話を聞きましょう」だった。(笑)
心ない先生からは、その「個性」を全否定され、
「なんでみんなと同じようににできないの?」
と暴力を振われることもあった。
本当の自分を隠しつづけた中学時代

中学になり、思春期にもなると、流石に他人の目を気にしはじめる。
自分と人との「差」を「恥」と意味付け、
いつしか、心の声に耳を塞ぎ、他人の声が正しいと思うようになった。
「仲間外れ」は社会的な「死」であり、
「陰キャラ」「陽キャラ」という二元論で、人が分断された。
いかに自分が「陽キャラ」であるか、アピールすることが自分の生きる手段あった。
そんな殺伐とした「中学校」という社会の中で、
心の拠り所は、所属していた陸上競技部の活動であった。
一流の選手の動きを、ビデオテープで何百回と再生して、走るフォームを研究した。
才能は全くと言ってよいほどなかったが、目標に向けて生きる素晴らしさを学んだ。
音楽との出会い

高校に入ると、陸上競技を続ける傍ら、音楽に没頭した。
自分の内なる世界を、外の世界に表現することで、自分が生きていることを実感できた。
作詞、作曲し、ギターを弾いて歌う。
「モテたい」という下心から始めたギターも、気付けば様になっていた。
自分たちが作曲した曲を、数百人の前で歌い、観客が感動し涙することもあった。
付き合っていた彼女とは、オレンジ色の夢を描き、
心の根底に横たわる「孤独」は、一時的に淡い「愛」で満たされた。
人生において、親以外から人格を全承認された、初めてのことだったかもしれない。
「人生の意味とは何か?」問い続けた大学生時代

*写真は知る人ぞ知る大学のとある場所にて。
桜満開の4月。京都の大学に進学が決まり、期待と不安を胸に校門をくぐった。
大好きな音楽をやりたいと、入ったサークルでは、1年程度楽しくやっていた。
しかし、何となく過ぎ去っていく日々の中で激しい「虚しさ」を感じ、
サークルのメンバーに別れを告げた。
また、後を追うかのように、高校時代から大好きだった彼女に、別れを告げられた。
「何かしてあげたいと思わなくなった。」と。
大学2年で再び強烈な「孤独」が訪れた
それまで群れていた「仲間」から離れ、「彼女」からも離れ、一人になった。
その後、軽い鬱状態となり、時折自分を襲う「孤独」の正体と向き合わざるを得なかった。
「生きる意味とは何か?」
「この世で成すべきこととは何か?」
答えの無い問いに対して、向き合い続け苦しんだ。
自己啓発本や哲学書など、何百冊の本を読み漁り、考えた。

自分自身への自信の無さから、「意識高い風」の活動にドハマりし、
「自分は周囲の学生よりも秀出ているんだ!」
「意識の低い学生は悪だ!」
と豪語し始めた。(笑)
学生時代にやった、意識の高い(笑)と思われることは以下だ。
*意識の高い(笑)活動とは、承認欲がベースとなって、
周囲と比較し優越感を感じるための活動のことである。
・全国の学生を集めて、社会問題について議論する合宿の主催
・「イケイケ集団」という頭のおかしい人間達3人が集まり、結集した団体の活動
・複数のビジネスプランコンテストへの参加
・あらゆる「勉強会」への参加
・あらゆる「交流会」への参加
また余談となるが、僕は意識高い(笑)活動を全く否定しているわけではない。
むしろ、学生には圧倒的に意識の高い(笑)時期があったほうが良いとさえ思っている。
これらの活動からは、今でも深く付き合える素晴らしい人間関係を得ることができた。
意識高い学生(笑)を傍観して否定することで、優越感を感じる人間は、
結局構造的に意識高い学生(笑)と同じである。
松下幸之助の直弟子であった、師匠との出会い

写真は松下幸之助である。
ある日、たまたま見ていたmixiの掲示板で友人がシェアしていた講演会に行った。
登壇者は50代くらいの、独特のオーラのある方であった。
講演のテーマは、
「今後100年で世界はどうなるか?」
「その中で、個人が取り組むべきことは何か?」
なんとも怪しかった(笑)
世界が歩んできた文明に共通する法則、
東洋的な思想の普遍性、幕末の志士の想いなど、
松下政経塾で、松下幸之助を師とし、
直接指導を受けてきた彼の言葉には、時空を超えた重厚感があった。
気付けば、僕は彼に駆け寄り、こう言っていた。
「弟子にして下さい。」と。
それ以来、師匠のカバン持ちとして、多くのことを学んだ。
東洋思想の「全体性」の概念や、
坂本龍馬や吉田松陰などの幕末の志士達が行ったこと、
激動の21世紀において日本が成すべきことなど、
抽象度が非常に高く初めは殆ど理解ができなかったが、
時代を大局的に捉え、個人が果たすべき役割についての考え方を学ぶことができた。

また、師匠が隔月で開催していた政治家・経営者向けの合宿の運営は非常に刺激的だった。
全国から志を持った政治家や経営者が集まり、各々の人生の棚卸を行い、
師匠が今後の方向性についてアドバイスをするというものだ。
「自分の原点を振り返り、これからの時代において何を成すべきかを考えよ」
師匠が繰り返しおっしゃっていたことだ。
人生で何かを成したいという志を持った大人たちとの出会いは、
まだ大学2年の僕にとっては衝撃的であり、彼らをとてつもなくクールであると感じた。
しかし、どんなに人と会って話しても、僕の中の「孤独」は決して癒えることはなかった。
「人生において、何を成すべきか?」
そして、
「日本を変えるためにどうすればよいか?」
いきなりスケールが大きくなる(笑)
その問いに答えるには、世の中のことに対してあまりに無知であった。
世の中のことをもっと知りたい。
これまで観たことのない世界を見てみたい。
その好奇心が、僕を次の行動に誘った。