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16/3/10

アリゾナの空は青かった【23】Mori pt.1

Image by Olia Gozha

我が家の二人の子供達から幼い頃からずっと「Tio Mori」(=Moriおじさん)と呼ばれて来た御仁、わたしとは不思議な縁で付き合いが長年続いている。

わたしが渡米する少し前に、「ずっこけ3人組」エピソードで出て来るアメリカ人の友人、ブルースの紹介で、日本にいた時に知り合いになった、かなり年下の親友である。アサヒビアハウスにも時たま顔を出していたこともあるが、彼とは日本での付き合いよりもわたしがポルトガルに来てからの、20年来の手紙の交流の方が遥かに長い。

それがなぜ「アリゾナ」物語に出てくるかと言うと、これはず~っと後になってだが、彼が打ち明けてくれたのに寄ると、わたしのアメリカ移住の話に大いに触発されて、自分も、と一大決心。わたしより少し遅れて、Moriもカリフォルニアへと渡ったのだそうだ。

大学のESLコースも残すところわずかとなった6月頃、ケンタッキー・インの下宿のわたしに電話が入った。
「おい、俺、今カリフォルニアのMontereyでホームステイしてるぞ。そっちの大学コースが一段落したら、こっちへ来ないか?ここのオヤジさん、お前も引き受けていいと言ってるんだ。」

ツーソンに来て以来、この先まだどうなるか皆目見えてこない自分の将来だった。とにかく無駄金だけは遣うまいと、観光旅行などは一切避けてきたのだが、気持ちの整理をしてみたかった。わたしのような、たいして資金のない外国人がアメリカに居残るのに、そうそうおいしい話があるわけではない。便宜上、アメリカ人と結婚する、というのは、わたしたち留学生の間で結構話題になってはいた。

当時の日本の旧い国際法と違い、欧米では婚姻関係を結ぶことにより、自動的にその国の国籍取得ができるのであった。国籍取得ができたら働くも自由である。ツーソンに幾人かアメリカ人の友人もできていたし、万が一の場合はと、それを申し込んでくれる男友達も中にはいたが、わたしは元来がドライな性格ではないらしい。 そのような便宜上の関係は、気持ちが向かない。

「あいつとちょっと話してみてもいいか」と気持ちが動き、思い切ってサン・フランシスコへと飛んだのである。

こうして空港まで出迎えてくれたMoriと紳士ウィリー。ホストファミリーのウィリーは、リーダーズ・ダイジェスト社にて編集長の仕事を退職し、悠々自適の年金生活をしている紳士であった。シスコの空港からウィリーおじさんの住むMontereyへと向かった。

住まいに案内されて、わたしはちょっと驚いた。何に驚いたかというと、そこは裕福な年金生活者たちのコミュニティーが所有する閑静で、広大な土地の一角であったからだ。こんなのは、サボテンの田舎ツーソンではお目にかかったことがなかった。さすが、都会である。その土地内に入るには、約束をしている訪問者と言えども、門にいる警備が敷地内の相手に電話で確認をとって初めて入れるのである。


ウイリーは独身だが、育てた養子は既に成人で当事は入隊していると聞かされた。

提供されたわたしの部屋は、バストイレ付き、これはホテルと変わりない。 部屋からは庭というより森と言ったほうがぴったりの、静かで落ち着いたたたずまいを見せる小さな自然が見渡せた。

夜ともなると、庭に突き出たベランダには、どこからかラクーン(アライグマ)の親子が姿を現し餌をもらいに来るのだ。深夜には、「天井を走り回る輩はネズミであるか、こんな家で走り回るのがいるとは!」と思っていたら、ネズミにあらず、リスだった。朝方の庭には、その小リスが現れ、庭を散歩していて人馴れしたものだった。すぐ近くには、スタインベックの「エデンの東」の舞台となったSalinasがある。




ウィリーおじさんから車を借りて我が友Moirと出かけたSanFrancisco旅行は、二人とも金欠だったものYMCAに泊まり(男女、部屋は別々だよん)、かなりけちった旅行になったのだが、Moriとの旅行は、これよりも、もうひとつ、日本でしたものの方が、遥かに記憶に残っている。

ゴールデンゲイト・ブリッジを背景に。Mori撮影。

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