彼が勝手に「俺の彼女」宣言しだしてさすがの私もびっくりして反論するものの後の祭り。
英語が話せない家族に何を言っても無駄である。家族は私を本当の彼女のように慕ってくれたのである。
彼の家がオフィスになっているので遅くまで残業していると隣に住むお母さんが
「ご飯よ」と毎晩出前をしてくれる。
いい人なんだろうがこのままではダメだ。
それよりもお給料が悪すぎて家賃を払うのがいっぱいいっぱいになってきたのである。笑える話、カフェ時代の方がいい暮らしをしていたかもしれない。
切羽詰まった私はクレジットカードを利用するようになった。
せっかく仕事してお金がない。
しかも週末まで厨房で働く始末。
おかしすぎるやろ!
そう思って私は他の仕事を探し出すことにした。
その時ちょうど公務員テストの募集をしていた。
多分受からないだろうがいい経験になるだろう。何事も経験。そう思って公務員のテストに申込みをする。
と水産省から電話がかかってきたのである。
「テスト受けなくてもいいから面接に来てください」
ほんまにこんなんでええのか、オーストラリア。
と思わないこともないが、まぁ宝くじがあったのだろう。
これもチャンスだ!と思い面接へ。
「おはようございます。とりあえず今日はうちの部署の紹介と会社の設備の紹介だけさせてもらいますね」
面接とはこれだけだったのである。
本当にこんなんでええのか?
やっぱりあんな簡単すぎる面接である。一週間たっても返事がない。
心身ボロボロの私はまた仕事探しをスタート。お金もない、英語ボロボロ、経験も乏しい若い日本人を雇ってくれる会社はいったい存在するのか。
そんな時だった。
大好きなイギリス人男性から
English「急やけどクリスマスにイギリスに行くからクリスマスをイギリスで、そして正月をマルタで一緒にすごそう」
と誘われるのである。
大好きな人に会える。
そう思って貧乏を極めながらもクレジットカードに頼り、どうにかしてチケットをゲットすることが出来た。前の家のオーナーと言い、この社長と言い。私はもう精神的に追い詰められていた。
クレジットカードはギリギリだったが、そんな事どうでも良かった。どうやってクレジットカードを払うんだろう、とは思ったが、思い切って仕事も辞めてしまったのである。
イギリス人男性とは半年ぶりの再開ではあったが、毎週スカイプしていたのであまりギャップは感じなかった。前のような初々しさはなく、彼女のように接してくれる彼に胸キュンである。
イギリスの冬は寒かったが彼と一緒にショッピングしたり、レストランへ行ったりと寒さなど関係ないくらい楽しかった。
そしてイギリスからマルタへ移動し、彼の友達の家で行われいている年越しパーティーへ参加。そこで友達が
「いつもね、女の子を紹介してるんだけど、全然乗ってこないの。ゲイなのかと思うくらい。こうやって女の子を連れてくるってことはかなりマジなんじゃない」
そうなの?
家に帰って彼に聞いてみると
English「やっぱり彼女てさ、同じ町に住んでないと変じゃない?だからNoriのことは大好きだけどこうやって遠距離してる間は彼女じゃなくてもいい?だって結局同じことだし。」
彼の元カノとは遠距離が原因で別れているため彼は遠距離がとても嫌いな様である。
結婚の話をすると
English「俺ね、結婚は一生に一回しかしないって決めてるんだ。だから慎重に選ばないとね」
いや、結婚なんて数回する人もいるが、結婚するときは
「さぁいつ離婚したろ」
なんて思って結婚する人はまずいないだろう。
とはいえ、愛は盲目。私はそんな彼が大好きで仕方なかった。
マルタを去る際
English「離れていても俺はNoriが大好き。きっとこれは運命だ」
なんて甘い過ぎる一言をくれる。
私はこの一言だけで十分だった。
幸せだった。オーストラリアに帰って仕事はないが、彼の事一言だけで私は頑張れた。
帰国後、私の家に前の仕事から電話がかかる。
「社長が入院中です」社長は私が辞表を出してそのまま逃げるように去ってしまったことにショックを受け、体を壊し入院。
話を聞くと彼はもともと持病がありお腹があまり強い方ではないので食には特に気をつけないといけない。そしてナッツ類は食べないようにと言われているという。
それなのに彼は禁断のポップコーンを食べまくりそのまま病院送りへ。
ポップコーン食べすぎて病院行くなんて。。。。恥ずかしすぎる!
さすがに私も気を悪くしてしまい彼が良くなるまで会社を手伝うことにした。
と同時に絶対落ちたと思っていた水産省から電話がかかる。
「3カ月も待たせてすいません。来月から仕事に来れますか?」
夢だった公務員の仕事をゲットした。一年の契約であったがそんなことはどうでもいい。私はこの上なく幸せだったのだ。
1か月経った頃、社長も私が仕事を手伝った甲斐もあってか回復。そろそろ私もこの人から離れても大丈夫だろう。
私はイタリア人社長にまたしてもさよならを告げ、公務員としての一歩を踏み出すことになった。
水産省での仕事は最高だった
前の会社のように従業員が10人と言うこともなく、全てがしっかり整えられいた。しかも水産省という事で仕事場も海の真ん前である。
会社の裏に港があり水産省専用のボートが行き来する。ランチタイムはこの港で海を見ながら同僚とおしゃべりし、仕事帰りはジムに行き、夜は大学院の勉強する。
私が夢見ていた自由奔放な生活である。
これぞ私が夢見ていた自由奔放な生活である。
やっとの事でクレジットカードも払い、なんとか自立しつつあった。
そんな幸せの最中、私は体に異常をきたしていた。今までのストレスが体に害を講じてしまったようである。
先生は
「もう手術するしかないね」
今度は私が手術をしなければならなくなってしまったのである。ストレスだらけの生活で腕の神経の中に腫瘍ができてしまった。取り除かないと腕が動かなくなると言われる。
6時間にも及ぶ大掛かりな手術となり、私は一週間入院することになってしまったのである。
私が入院したことがなぜかイタリア人社長の耳に入ってしまい、今度は彼が病院にお見舞いに来てしまった。すぐに退院し仕事に復帰したのだが、このイタリア人が今度はうちにストーカーとなって私の仕事場にも電話してくるようになり、家にもたびたび訪れるようになる。
それだけではない。
せっかく手に入れた私の自由と自立が彼によって潰されていく。
丁度その頃だったか、仕事でもセクハラを受けるようになってた。私の仕事場は90%が男性。それでも良かった。なのだが一人の男性社員から何度もセクハラなコメントを受けるようになっていった。
そしてそれがエスカレートしてついにEmailが届く。
デブ親父「僕は日本人女性に憧れているんだ。結婚はしてるし奥さんに言うつもりはない。もしよければセックスフレンドになりませんか?」
あほか!
だいたい40越えたデブで背が低くてハンサムとはとても言えない人となぜセックスフレンドにならなければいけないんだ!
この頃仕事の一年契約が切れそうであった。イタリア人の事もあり、このセクハラ親父の事もありで私はもううんざりであった。
私はただ仕事が好きなだけなのに。。。
その時私のボスが
「本社で人を探しているねんけど、本社に移る気ない?契約が切れるのは分かってるけど、このまま君のような存在を失ってしまうのは勿体なすぎる」
となんとも素晴らしい仕事のオファーをくれたのである。