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16/3/4

レイプから8年間、女を辞めずに生きてみて思うこと。(破)【女として悲しい時期もあったの】

Image by Olia Gozha

2008年 3月末に上京 

同年  6月に上司より性的暴行を受ける


私が上京して3ヶ月もたたない頃のことだった。


慣れない一人暮らし、慣れない仕事、慣れないお家に、慣れない土地。

右も左もわからない。丸腰なわたし。

疲れがピークに達していたころだと記憶している。


職場での私の歓迎会の後だった。

当時の私は、直属でなくても上司の言うことは絶対だと信じて止まなかったし、

社会人にそんなに頭のおかしい人がいるなんて思わなかった。

18歳だった私は、その会で私はお酒を一滴も飲まなかった。


帰りの電車、上司に知らない駅で背中を押されて私は降ろされた。

慣れない満員電車、人の波、「ちょっときて」という上司の言葉、

降りたその電車に乗って帰るこはなかった。








本当に無理やりだった。

今でも覚えてるの、指の感じも、その人のゆがんだ顔、息遣いも。








帰りは、タクシーで帰った、家まで9,000円弱。

お金は、親が別れる最後に「何かあった時のために現金も少しお家に置いておきなさい」

そう言って渡してくれたお金から支払った。


親が想像するよりずっと 何か は問題のあることだった。





それから私は、仕事にがむしゃらになった。

少しでも忘れている時間を長くしたかった。

考えたら気持ちが持っていかれそうだった。

悲しくて悲しくて寝れない夜も、朝は出社した。その人がいる店舗に。

そのとき一番つらかったことは、せっかくの自立のチャンスを逃すこと。

歓迎会をひらいてくれた人々を裏切ること。

私の傷が明るみにでることだったの。

そして、その時の私のコミュニティは職場だけだった。



その人は、のうのうと生きていた。

変わったのは、私の人生だけ。



ロボットになりたいと心から思ったの。

何も感じたくなかった。

職場でその人の声を聴くたびに心臓は破裂寸前に動いたし、

大きなミスをしてしまうことだってあった。





その頃いつも強く思っていたの、女で生まれたことが間違いだと。

この屈辱に耐えるのが女の生き方だと思っていたし、隠すのか正しいと思った。

生まれるときにわたしに選ぶ権利はなかったけど、女で生まれなければ、、、

そう思わないとやっていけなかった。やりきれなかった。

わたし以外何もおかしくはなくて、わたしだけがおかしいって思っていたの。

このままま社会的不適合者になってまう恐怖。



自分への完全否定は、一年半の年月をかけて徐々に行動にも現れだす。

今思うとそれは、トラウマ体験の精神的克服の試行。


精神的克服の試行とは、強烈な癒されないトラウマを抱えている人は、

いつも心のどこかで『もしも、あの時、私がもっと適切な行動や

有効な反応をしていたら、トラウマを負わずに済んでいたのではないか?

自分が油断していて迂闊な面があったからこんな目に遭ってしまったのではないか?』

という後悔や自責の念を抱えている。

そこで、トラウマ体験と類似した体験を再現して、

『以前とは違う行動や反応をとってそれを回避できるかどうか』を試し、

それを回避することで自己効力感を取り戻し圧倒的な無力感を

克服しようとしていること。



私は、いつも眠れない長い長い夜が来ると

危ないところへ繰り出すようになっていた。


夜の街で、知らない人に声をかけられてついて行ったり、

クラブで何もわからなくなるほどお酒を浴びた。

夜の街でひとりで過ごすこともしばしば。

知らない人からお金をもらったりしていた事もある。


その時、本当に運よく私は乱暴されることは無かった。

新たなトラウマを生むことは無かった。

だけど、体は何一つ大切にしなかったの。


自殺する勇気がなくて、、、

それって自分が可愛いの?こんなに汚れてしまったのに?

苦しくて苦しくて。

運良く誰かが間違って殺してくれないかと、どこかで願った。

死に対して、正当な理由、欲しかったの。



当時、161cm 38kg 休職。

主食は病院からでた薬と、お酒だった。



体、大切にできなくて、ボロボロで、

ピアスもいっぱい開けて拡張した。心の痛みが誤魔化せる痛みが欲しくて。

幸いにもそれ以上の病気にもならず、怪我せず、

運は良かったの。


そう、昔からね、運が良かったの。


わたし、母に みっちゃんはラッキーガールよ!!って

そう言って、大切に大切に育てられたの。


墜ちた。もうあがれないと思ってた。

でも、変な話だけど、信じてたの。

自分はラッキーだって!!笑


捨てられなかった、その思い。

壊れなかった、その言葉が、

私を上へ上へ、押し上げる。持ち上げる。

今の、ハッピー女になるまで私を導く。



みんなもあるよね?

よくわからないけど、信じてる、謎の自信。

それは、どん底になっても変わらないのかも。




次が最後かな。

ついに、みさこハッピーに駆け上がる。


 



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