top of page

大好きだったちいばあちゃんが、ある日別人に変わった

Image by Olia Gozha

物心ついた頃から、ずっとそばにいた私の祖母、通称ちいばあちゃん。


私が、小学生の時は音読などの宿題を見てくれる。中学1年生の時は部活の愚痴を聞いてくれる。私にとっての祖母の存在は、かけがえのないものだった。


ちいばあちゃんと話すことが少なくなったのは、この頃からだろうか


ちいばあちゃんは私の話をいつも笑顔で聞いてくれた。そんなあたりまえのことをいつの間にかしなくなっていた。


あんなにしっかりしていた祖母が、ある日別人になった。認知症と診断された。


普通の人ができるあたりまえのことが、祖母はもうできない。掃除、洗濯、料理、トイレ。私はそんな祖母の姿を見るのが大嫌いだった。自分中にあるちいばあちゃんがどんどん壊れていく。


認知症と向き合うこと


学校から帰ったある日、祖母の背中を見た。すごく悲しげに見えた。急に、私とちいばあちゃんの思い出が蘇ってきた。頼るだけ頼って、使えなくなったら捨てる。私が今していることが、いかに最低なことなのかを知った。助けてあげれることは助けてあげなければ。


父親の罵声と祖母の泣き叫ぶ声


「やめてー」また声がする。始まった。私はこの声が聞こえると逃げるように部屋をあとにする。祖母はトイレに自分で行けない。そのため、私の父が祖母のオムツの交換をしている。嫌がる祖母。こんなやりとりが毎日、行われる。認知症と診断される前では、考えることのできない祖母の大きな声を聞くのは、嫌いだ。


後悔

なぜ、あのとき「ありがとう」たった一言が言えなかったのだろうか。今の祖母にこの言葉を伝えたくても、永遠に伝わらない。感謝の気持ちは、伝えるときに伝えなければ何の意味もなくなってしまう。

「ちいばあちゃん、ありがとう。」


家族とはなんなのか

ちいばあちゃんは今は別人かもしれない。でも、私が幼かった時のちいばあちゃんは永遠に私の心の中にいる。家族が助けてあげなければ、誰が助けるのだろう。助けることができるから、家族なのではないか。















←前の物語
つづきの物語→

PODCAST

​あなたも物語を
話してみませんか?

Image by Jukka Aalho

高校進学を言葉がさっぱりわからない国でしてみたら思ってたよりも遥かに波乱万丈な3年間になった話【その0:プロローグ】

2009年末、当時中学3年生。受験シーズンも真っ只中に差し掛かったというとき、私は父の母国であるスペインに旅立つことを決意しました。理由は語...

paperboy&co.創業記 VOL.1: ペパボ創業からバイアウトまで

12年前、22歳の時に福岡の片田舎で、ペパボことpaperboy&co.を立ち上げた。その時は別に会社を大きくしたいとか全く考えてな...

社長が逮捕されて上場廃止になっても会社はつぶれず、意志は継続するという話(1)

※諸説、色々あると思いますが、1平社員の目から見たお話として御覧ください。(2014/8/20 宝島社より書籍化されました!ありがとうござい...

【バカヤン】もし元とび職の不良が世界の名門大学に入学したら・・・こうなった。カルフォルニア大学バークレー校、通称UCバークレーでの「ぼくのやったこと」

初めて警察に捕まったのは13歳の時だった。神奈川県川崎市の宮前警察署に連行され、やたら長い調書をとった。「朝起きたところから捕まるまでの過程...

ハイスクール・ドロップアウト・トラベリング 高校さぼって旅にでた。

旅、前日なんでもない日常のなんでもないある日。寝る前、明日の朝に旅立つことを決めた。高校2年生の梅雨の季節。明日、突然いなくなる。親も先生も...

急に旦那が死ぬことになった!その時の私の心情と行動のまとめ1(発生事実・前編)

暗い話ですいません。最初に謝っておきます。暗い話です。嫌な話です。ですが死は誰にでも訪れ、それはどのタイミングでやってくるのかわかりません。...

bottom of page