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16/2/22

アリゾナの空は青かった【12】番外編:人生はカラクリに満ちている

Image by Olia Gozha

4年ほど前のこと、いつものようにメールチェックをしましたら、Facebookより、「R.G. wants to be your friend」とある。
「ろ、ろぶ?ろぶって、ともだちって!アヒャヒャのオホホのウハハハハ!」

驚いたのなんの、言い表しがたい感情が体内を駆け巡り、側にいて自分のパソコンを操っていた夫、わたしの異様な興奮振りをいぶかしがり、「大丈夫かい?」と心配顔。

大丈夫かいって?大丈夫じゃない、まったく大丈夫じゃない!だって、こんなこと、ある?ええ、40年近くも音信不通でいた旧知の友から、ある日突然、別世界から来る葉書の如く、連絡が舞い込んできたのだから!
フェイスブックは日本語教室の生徒さんとの交流の場になるかも知れないと言うのと、もうひとつは、2010年のポルトと日本の国際親善協会共催の大イヴェントJapanWeekのコーディネータをした際に、市のスタッフから宣伝になるから入ってイヴェントのことを広めてくれと勧められたのであった。結局FBに登録したのがJapan Weekも終了した後で、宣伝には何の役にも立たなかったのだが。

それがなんと、ツーソン留学以来、お互い音信不通になってしまっていたズッコケ仲間の一人からこうして連絡が入ろうとは。ロブとのエピソードはこの「ストーリー」の下記エピソードに綴ってあります。

「エピソード2」
「エピソード3」
「エピソード10:ずっこけ3人組」

 

実は他にもネットを通じてひょんなことから連絡がついた中学時代の親友、高校時代の親友、そして、昔のペンフレンドたちとの再会がある。どれも36年ぶりだとか40年ぶりだとかの再会である。

亡くなった写真家の星野道夫さんの「人生はからくりに満ちている」と言う言葉を、ホンマやなぁと、この歳になってつくづく、そして何度も近年は噛み締めているのである。

もうひとり、ペンフレンドのお嬢さんともフェイスブックを通して知り合いになったのだが、まさに世代を超えてのつながりができるのはネットの魅力、利点であろう。

こんなわけで、我がフェイスブックはわたしのヘタクソな英語とロブのヘンチクリンなローマ字日本語とでにわかににぎやかになっている昨今だ。

さて、現在はオマーンの大学で英語教授をしているそのロブが久しぶりにフェイスブックにメッセージを残していた。

「Hi, genki?  今、妻が働いている北欧にいる(奥方も英語教授で北欧の大学で教えている)。来週にはロンドンで開催される父の生誕100年記念の絵画展示会のオープニングのため、英国へ向かう。それからアメリカだ。」
そう言えば、大阪で知り合った当時、父は画家、パリでアメリカ人の母と出会ったのだ、兄貴がいる、と言っていたのを思い出した。人のことを根掘り葉掘り聞くのは趣味でないわたしは、取り立ててどんな画家?など、彼に訊ねることもしなかった。

しかし、ロンドンで生誕100年記念の展示会と聞いて、苗字から検索してみると、あららのら、Wikipediaに載っているではないの。 そのお父上の顔写真を目にして、「きゃ!ロブそっくり!」、いや、ロブがお父上にそっくり!、であった。 経歴には抽象画家とあり、国内外で数々の賞を受賞しており、その作品の多くは国内のアートギャラリーなどで展示されている。家族としてロブの名前も記されていた。

ロブはと言えば、奥方との共著でケンブリッジ大学出版のTOEC 試験受験用の本を出している。わたしはこれらのことを今回検索するまで知らなかったのであった。近頃の、メッセージに残すわたしのハチャメチャな英語を目にして、アハハハ、ロブめ、「おい、Yuko。なんちゅう英語だ」と、内心目を回しているに違いない。

わたしがロブと知り合ったのは大阪で、「ずっこけ3人組」とわたしが呼ぶところのもう一人のメンバー、アメリカ人のブルースを通じての、今から37、8年も昔のことだ。彼が持病の喘息を抱えながら吸入薬を肌身離さず、ヨーロッパ、アジアの行く先々で、英語講師をし、費用ができたところで次の国を目指すという、バックパッカー世界一周旅行をしていた途中でのことだった。

イギリスの大学を出てしばらく役所に勤務後にこの旅行に出たと聞いていたから、ツーソンを出て南米を回り、恐らくその後、自国に帰国して大学院で再び学んだのだろう。あの頃の彼は、旅での記録の日記を常に書いていたのを覚えている。

もしかしたら、いずれ、世界旅行記でも出すのかもしれないと思い、「わたしのこと、変な風に書かないでよ!」などと、時々冗談めかして言っていたのだが、あの旅行記録はどうなったのだろうか。ロブが旅行記を出していなかったら、彼が書くよりもわたしが先にっこうして彼のことを取り上げているとは、夢、ご存知あるまい。

持病があったので自分が60過ぎまでも生きられるとは思ってもいなかった。数年後の退職後にはどこか気候のいいところに落ち着くつもりだ、とは彼の言。その「数年後」も迫っている。ロブよ、ポルトガル南部アルガルブ地方は年中いい気候だし、定年後、移住して来ているヨーロッパ人がたくさんいるよ。なんだったらポルトガルに来る?世界を歩き回った彼とは比べられないが、わたしも生きる意味も求めて、若い頃はあちこち彷徨したものだ。そうした二人がポルトガルを終の棲家にするとしたら、これもまたなんと奇遇な話ではないか。

「人生はからくりに満ちている」と、写真家、星野道夫さんは言っていた。そうしたら、またひとつのからくりがほどけることになる^^ そんなことを想像しながら、彼が最終的にどこを落ち着き場所に決めるのか、実は楽しみにしているのである。

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