
:プロローグ:
突然、『わたし、シンガーソングライターになります!!』と言って10日で人生初の就職先を辞めた…
歯科医師「仕事を辞める!?仲谷さん、作曲できるの?」
わたし「全くできませんッ!!!!!これからできるようになります!!」
このお話は音符も読めないし、ギターも触ったことすらなかったわたしが、突然ギターで作曲をはじめたわたしの実話です。

こんにちは。愛を語る歯科衛生士改め、シンガーソングライターの仲谷めいです。
ちょうど今から10年前。2006年に歯科衛生士の専門学校を卒業しました。
国家資格歯科衛生士を取得した2006年の春、人生はじめての就職先を卒業生前代未聞のを史上最短期間で辞めてしまいました。
なんと、その期間約10日。普通は最短でも一ヶ月は辞めない人が多い中、10日で辞めてしまいました。
しかも、3月の終わりから正式入社前から働かせてもらっていたので、4月になってすぐに辞めたような形だった記憶があります…
親にもさすがにすぐに仕事を辞めたと言えませんでした。
母「今日、仕事は?」
わたし「今日は歯科医院の都合で休みみたい…」
:第1話:
パワハラ〜!◯◯さんはもっと優秀だった!と歯科医師に怒鳴られ続けた数日間←短かっw

わたし「こんな日々が欲しくて、国家試験を頑張ったんだっけ??」
歯科衛生士とは患者さんのお口にフッ素塗布をしたり、歯石除去ができる職業です。学生時代は毎日のように課題とレポートに追われて生活をしていました。
歯科助手さんは資格がなくても働くことができます。
当然のことですが、歯科衛生士さんは歯科助手さんより、できる範囲は広いですが、最初のころは経験のある歯科助手さんの方が仕事ができます。

わたしは受付の助手さんがいなくなるので、受付をするように頼まれたのですが、その歯科助手さんの仕事を2日で全部完全に覚えて!と言われました。
歯科医師「歯科助手の△△さんのほうが優秀だ!!」
と怒鳴る訳です。
しかし、歯科助手の△△さんはこの歯科医院に6年もお勤めされていたそうです。
そして、怒鳴られれば、怒鳴られるほど、緊張して何もできなくなることがわかりました。
後ほど、それをパワハラと知りましたが、10年前はそんな名前もなかった気がします。
歯科医師「アルバイトに来ていた衛生士の◯◯さんはもっと優秀だった!!」
同じ専門学校でここの歯科医院でアルバイトしていた衛生士さんの方が優秀だったと言います。
幸い、先輩の衛生士さんは優しくて、
職場の先輩「◯◯さんも最初は何もできなかったよ。さすがに10ヶ月働いていたから、最後は色々できるようになっていたけど…」
とフォローして下さいました。
どうやら歯科医師の記憶は、10ヶ月後のできるようになった◯◯さんと、来たばかりの、器具がどこになにがあるのかさえわからないわたしを比べていたのです。
子どもの頃からの歌手になる夢を追いかけ直したいと気付いた!!

幸い、先輩の衛生士さんはとてもお優しい方々で、天使のようでした。
就職なんて、そんなものでしょうし、お金をもらう為にイヤなことを我慢するのが就職なのかな?とそのとき思いました。
頑張れば、職場に耐えられるかもしれないげど、もともと歯科衛生士は子供の頃からなりたい夢ではなかったのです。
高校の三者面談のときに、担任の先生に「音楽の専門学校に行って夢を追いかけたい」と伝えたら大反対されました。
その後、自分なりに色々調べて、歯科衛生士なら、なんとなく響きもいいし、夜勤もないし、社会に貢献できる仕事なので良いかな、と思いました。医療なので、一生仕事がなくなることもなさそうですしね。
歯科衛生士なら、担任の先生も親も喜んでくれそう。響きも賢そうだし。
でも、何か違う…
わたしはどんな自分になりたいの??
わたしは、子どもの頃から、父が保険会社で勤めていたので転勤族で、いつも転校生でした。
いつの間にか、周りの目を気にするようになり、本来の自分、やりたいことを素直に追いかけることは、いけないことだと思っていました。
〝我慢しないといけないよね??〟
そう思っていました。
しかし、わたしは気付いたのです!!
〝何で自分の人生を我慢しないといけないの?〟
わたし「あ!わたし、歌うことが好きだった!!」
:第2話:
10年前は、Facebookなどで自分と違う世界の人と気軽に繋がれる時代ではなかった

当時、ちょうどmixiが流行っていました。
mixiは友人の招待状がないと入ることが出来ず、知っている人がわたしの書いた記事を見てくれたり、足跡を残してくれました。
お友達の記事を見てもみんな就職して普通に働いている人たちばかりです。
mixiにいる周りの就職しているお友達とは、真逆の先のわからない茨の道を歩くかもしれない。
でもね、今、自分が前に進まなかったら後悔してしまいそう…
でも、今すぐじゃない、10年先でもいい。
わたしは、この道を選んで良かったと思う自分の未来を信じよう。
自分を信じよう!そう決めました。
わーたし、さくらんぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼ

当時、大塚愛さんのさくらんぼが大ブレーク。
「愛し合う〜ふたぁぁり、しぃあわせのそら〜」
もう、大塚愛さんが可愛すぎて可愛すぎて憧れの存在でした。初回限定版のさくらんぼのCDも持っています。
わたし「わたしも大塚愛さんみたいになりたい。」
バンドのメンバー募集の掲示板★ボーカルでメンバーを探してみた!!
ミュージシャン「あなた、歌が下手過ぎてメンバーにできない…」
わたし「わかりましたっす!!(【心の中】じゃあ、シンガーソングライターでソロで活動しよう!!)」
こんなに露骨に断られたら、普通は音楽活動をすることを諦めそうですが、
逆に、
方向性が見えた!!
めちゃくちゃ道が開けた!!!!
と震えるような熱い気持ちだったことをよく覚えています。ははは
:第3話:
音符が読めないのでギターで作曲をすることにした

アーティスト名は大塚愛さんとYUIさんの「い」を使いたくて〝mei〟にしました。
(ちなみに、mを小文字にした影響はaikoさんの影響です)
作曲の仕方というか、ギターのコードって何?という感じでした。
今から音楽の専門学校に行くと学費もいるし、時間もなんだかかかりそうで手っ取り早く作曲したいと思いました。
「じゃあ、作曲している人に聞いたらいいんじゃん?」と思いました。
たしか、元カレの友達がバンドを組んでライブをしていたはず…
そこで、近所のギターを弾いていた元カレの友達に1時間ほど、作曲について教えてもらいました。
C,G,D,Eこのコードさえ弾けたらとりあえず作曲は出来るということでした。
☆今だから言えるメッセージ★
わたし「どうがFコードなんかでギターをあきらめないでください!!」
Fコードで決まるギター人生。
Fコードが難しくてギターを諦めたという話を聞きますが、わたしはFコードもアルペジオもできなくても作曲をはじめました。
それどころか、わたしはそれまでCコードが和音になっていてドミソになっていることも知りませんでした。
本当に4つのコードで作曲でき、次の日には歌詞も曲も完成しました。
曲が完成した日に路上ライブ、1週間後に初のライブハウスデビュー☆

完成した日に、じゃあ路上ライブでもしようと思いました。
当時、兵庫県に住んでいたので、電車に乗り、ギターを背負って今から路上ライブなんてミュージシャンみたい♪とわくわくしながら、三宮でストリートすることにしました。
しかし、なかなか、家ではできたことが路上ではできないんですよね…しかも、どこで歌えばいいのだろう…と三宮をウロウロしていました。
その後、ライブハウスの飛び入りDayに行くようになり、ライブハウスデビューを果たします。
:第4話:
大塚愛さんの〝さくらんぼ〟と、華原朋美さんのの影響で「フィーリングいちご」という曲を作曲

大塚愛さんの〝さくらんぼ〟の影響で、どうしてもフルーツをモチーフの曲を作りたいと思いました。
今でもカラオケに行けば懐かしくて歌うのですが、華原朋美さんの〝I'm proud〟の歌詞に
〝I'm proud 届きそうで つかめない いちごの様に〟
という歌詞が大好きで、ああ、恋といえば、いちごだーーーー!!と思いました。
そこで、いちごと 一期一会(いちごいちえ)を歌詞にかけてみることにしました。
話題になりメジャーの会社からも声がかかり全国のカラオケに入る!

なんだか気付いたら、オーディションの最終審査までよく残るようになり、大きなステージでも歌わせてもらう機会が多くなりました。
(一番大きいステージは京セラドームです。あ、でもこれは沢田研二さんのコーラスなのでわたしのライブではありませんが…)
Zepp OSAKAでのオーディションやTBSカウントダウンTV赤坂SACASオーディションなど、様々な場所で歌わせてもらいました。
Zepp OSAKAでのオーディションではBEST OF SINGER全国決勝大会まで上がることができました。
〝フィーリングいちご〟という曲はキャッチーで一度聞いたら二度と忘れられない!と話題になりはじめたのです。
また活動を本格的にする為に上京をしました。

東京での生活は、歯科衛生士をしながら音楽活動をしました。
メジャーの音楽レーベルの方々から声を掛けていただく機会もあり、全国のカラオケに、代表曲の【フィーリングいちご】が入りました。
:最終話:
世界をマーケットに作ったPVは〝プロフェッショナル〟仲間がわたしの熱い想いを一緒に表現してくれた!!

わたしは2012年、タイのチェンマイへ英語留学へ行きました。
タイのチェンマイには世界中の観光客が集まります。
チェンマイ生活で出会った外国人との英会話から日本のここが面白い!というペスト3を探しました。
1位 もしもし
2位 そうそう そうそう
3位 モンキーレストラン
1位の〝もしもし〟とはタイ人のかただけでなく、多くのかたに真似されたワードです。
日本の電話が掛かってきて『もしもし』というフレーズは外国人から見ると不思議で面白いみたいです。チェンマイにいるとき何度もいろいろな国の人に真似されました。確かに面白いですよね。
「なんでもしもしなの?ハローとは言わないの?」と聞かれたこともありました。
なぜそんなに面白いのかインターネットでもしらべたのですが、その中の理由の1つにどうやら、英語圏の人は〝もしもし〟が washing machine に聞こえるときがあるみたいです。
電話でいきなり 洗濯機! と言われるのは確かに面白いですよね。
2位の〝そうそう そうそう〟も同様でかなり真似され面白がられました。
そして3位は、外国人に有名なのが「モンキーレストラン」です。世界中の国の番組で紹介されていることを知りました。
アメリカ人の男性に日本で行きたいところは「モンキーレストラン」だと言われました。
モンキーレストランとは、宇都宮にある「かやぶき」というお猿さんが法被(はっぴ)を着て、おしぼりをだしてくれたり、料理を運んだり、芸をする居酒屋です。

↗︎宇都宮にある居酒屋「かやぶき」通称:モンキーレストラン
わたしはこの3つを上手く料理してストーリーを作ることに試みました。
そして決定したのが『日本の文化を楽しく明るく海外に発信する』です。
しかし、ここでひとつの課題がありました。
【自分の代表曲でもあるこの楽曲には〝いちご〟というイメージとどう組み合わせて3つをクリエイトしていく】
ということです。
実はプロモーションビデオの流れやコンセプトをチェンマイにいる間にずっと考えていました。
世界では日本は東日本大震災のイメージが強いと思います。実際にチェンマイでも外国人と日本について話していると、この話題は欠かせませんでした。
わたしは帰国してすぐに、兵庫県から栃木県に向かいました。
居酒屋の「かやぶき」さんとコンタクトを取り、宇都宮へ行き、プロモーションビデオの撮影をさせていただけるか交渉をする為です。
今までたくさんの取材があったそうですが、プロモーションビデオは初めてだそうです。
わたしがアルバイトの面接に受かり、お猿さんが店長の居酒屋さんで働くというストーリーです。
衣装の色1つにもこだわりました。
日本人のすごく丁寧な文化や外国人が面白がるフレーズ、居酒屋、法被、座敷、おでん、漢字など和の部分を表現しました。
世界中でお仕事をされている製作会社の遠山さんは、お猿さんとの作品は未だかつて撮影したことがなかったそうで(まぁ、なかなかないですよね…)、お猿さんと最高の共演作品ができるようにと、とても熱心にわたしの話を聞いて下さいました。
当日も、お猿さんに撮影で負担がないようにと、様々な工夫を考えてくださいました。
また外国人は漫画に興味を持っている方が多いので漫画風に楽しくなるようにしようと思いました。
有名人のPVや映画、数々の番組での実績を持つ友人のアニメーターさんに協力していただきました。
「アメコミ×和」という斬新なテーマで作品を仕上げていただきました。
今回作製した「フィーリングいちご」というプロモーションビデオはYouTubeで無料で視聴することができます。
:エピローグ:
〝行動力〟で世界は繋がる!!違う、繋げてみせたいんだ!!

わたしはこの記事を書いて、ずっと、温めていた〝愛〟をテーマにした楽曲のPVを今いるイギリスで撮影したいと思いました。
夢みたいな話ですが、叶えたいと思いました。
夢は叶えるためにあるんですよね、きっと。
あなたの夢も叶います、絶対に!!
【YouTube】全国のカラオケにも配信され、世界をマーケットに作ったPVはこちらです。
※外国人に伝わりやすい英語に変更したため、再アップロードしています。
フィーリングいちご mei ※英語の字幕付きです。
https://www.youtube.com/watch?v=zgMzZovuqV4
最後まで読んでいただきありがとうございました!
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わたしは今、音楽だけでなくイギリスで世界出版の夢も追いかけています。
★感謝☆
最後に、書きかけの記事を読みたいとボタンを押していただきありがとうございました。とても励みになりました。

