僕が人生においてやりたいこと
20歳の時から10数年間思ってきたのが、
「世界から戦争と貧困をなくすこと」これに関しては一切のブレがありません!
他の人が聞いた時にどれだけ滑稽な話しに聞こえたとしても、それだけは譲れない信念です。
だから、自分がビジネスをするとするならば、ここに繋がっていかないと僕は生きる意味がないと思っていました。
ここに繋がっていくことが、自分が創業して、リスクを背負って、お金を掛けて、苦しい思いをしても、ここに繋がっていくことが最低限の条件でした。
だからといって、今すぐに世界から戦争と貧困をなくすビジネスは、残念ながら思いつきません。
その使命を実現するためには、自分には、まだまだ経験量、実力、人脈も足りていないのが現実です。
そこに繋がるビジネスは何かと模索しました
戦争と貧困をなくすということには、いきなりはできないかもしれない。
ただ、そこに繋がるものとして、どこからと考えた時に、自分にできることは、
「目の前の人を幸せにすること」
これしか、第一歩はないと思いました。
逆に目の前の人を幸せにできない人間が、世界から戦争や貧困をなくすと言ってもそれは滑稽でしか無い。
だから、身近なところから輪を広げていき、その火種を作ることこそが自分が作るビジネスの第一歩にふさわしいと思った。
それは、表現を変えれば、
「目の前の人を笑顔にし、喜ばせること」
これが私がビジネスをスタートする上での発端です。
東日本大震災と母の笑顔
じゃあ、この目の前の人とは誰か?真っ先に思いついたのは、自分の母親でした。
若干マザコンに聞こえるかもしれないですけど、これは僕の中での非常に強いできごとなので、聞いて下さい。
2年前の東日本大災震災がありました。
このときに私の実家と3月1日に立てたばかりの新築の家が、津波に流されました。
幸いなことに家族の命は助かりましたが、財産を失い、着の身着のままの避難生活を余儀なくされ、今まで築き上げてきたことを、一瞬にして水に流されていきました。
実家からは離れて15年。
東京に住んでいた私にとっても、家族がこの状況下で、どうするべきか。
親戚を含めて全員が、全く動転している状況でした。
「どうしたらいいかわからない。」
財産を失ったのももちろんですが、未来に対しての不安で心が折れてしまうような体験でした。
でも、たった一人うちの母親だけは、そうじゃなかった。
確かに、震災直後は、宿も決まらず、車の中で寝泊まりし、寒い思いもしたし、辛い日々の連続で一瞬辛い表情を見せることはあったかもしれません。
そんな中でも、いつも笑顔で、とにかく明るく周りを励ましていました。
「流されてしまったのはしょうがない。
でも、命さえあればこれからなんとかなる!」
それを言う母親にどれだけ救われたことか。
恥ずかしい話、東京に住んでいる自分は、被災地の人たちに比べれば、今回の地震で怖い思いにあったわけですらない。
でも、そんな僕が母親より落ち込んでいて、元気を与えるべき僕が、逆に母親に元気を与えてもらった時に、
「自分の母親ながらすごい。」
「いや違う、女性はすごい。女性は強い」
と、僕自身がすごく火を付けられた出来事でした。
女性の笑顔が社会を変える
この女性の力が広がっていくことこそが、周りの人たちを笑顔にする上で最短ルートなんじゃないかだから僕は、「誰を笑顔にするか?」という自分への問いに対して、「女性を笑顔にするビジネスをしよう」とその時に直感しました。
そういう目を持って自分の身近な女性を見た時に、自分の直感は間違っていないと確信しました。
「女性が一人笑顔になると、周りの男性三人が笑顔になる」
だれが言った言葉か、もしかしたら自分が思いついた言葉かもしれません。
例えば、今私は、小さな事務所の中で主に男性3人、女性1人の環境で働いています。
その彼女の笑い声がするだけで、事務所の雰囲気もパッと明るくなります。
振り返って考えてみると、過去の職場でも、女性同士が華やかに話しをしていると、職場全体が明るくなる経験を何度もして来ました。
逆に、女性がしかめっ面でいると、職場の雰囲気が曇るという経験もしてきました。
だからこそ僕は、女性を笑顔にしたいです。
「残念ながら、女性は常に笑顔なわけではないし、
常に強いわけではないと思います。」
僕も母親の凄さには、一緒に暮らしている間は全く気づいていませんでした。
そこに気づきだしたのは、自分自身が大人になってからでした。
それまで見えていなかった。
そう考えたときに、僕の使命は、
「女性の強さや明るさを発掘することであったり、
その中で、彼女たちのたちの笑顔の瞬間を作るために、
サポートしていく必要があるのではないか」
こんなことを考えながら、この女性を笑顔にするというビジネスが、自分の「戦争と貧困をなくしたい」という最終目標を達成する上で、ものすごく大きな一歩になると考えました。
自分が主役じゃなくなっていく
まだまだ、Ane会の「A(あ)」の字も登場しません。
では、彼女たちにとって、何が必要か?
そこで、回りにいる20名強の女性にインタビューをしてきました。
プライベートでは、年上の女性の友人が多かったので、いろんなことを聞いてみました。
Q.どんなときが楽しい?
Q.どんなときが悲しい?
Q.どんなときに便利だと感じる?
Q.どんなときに不便を感じる?
と聞いていく中で、十人十色様々な答えが返ってきました。
その中でも共通してた答えをあげてみると、
A.友達が減ってくる
A.自分の時間がない
A.夢や目標が持ちづらい
A.社会から隔離されている感が強い(特に子育て中の方)
A.悩みを相談する相手がいない(旦那さんは仕事がいっぱい、友だちはなかなか会えない)
これらのことを包括して考えると、僕の中で結局こういうことかなと思いにつながりました。
「だんだんと自分が、社会の中で主役じゃなくなっている」
よく言うのが、子供が生まれたら、子供のための人生になってしまう。
ほんとにこれってよく言うことだけど、それが、自分にとって幸せに繋がっていればいいと。
自分の人生すべて子供に尽くしたいというのであればいいけど、でも一方でやっぱり悲しいことだと思います。
そんな中で旦那さんは、社会の中で自分の居場所がある。様々な付き合いもある。
でも、自分には家庭の中でひとり孤立する瞬間がある。こんな悲しい話しはない。
ほんとに彼女たちは主役ではないのか?
逆に彼女たちは、ほんの5年10年前までは主役だった。少し大げさな言い方かもしれませんが、お姫様だった。自分の人生の主役として、悩みながらも輝いている場面があったはずなんです。
ほんの5年10年の間に、なぜ、彼女たちはステージのスポットライトから外れることになってしまったのか?
スポットライトを浴びてたはずの自分がいつの間にかステージの端っこに移動してしまったのか。
事実かどうかはともかく!
そう感じている大人の女性が多くいるんではないか。そう感じている多くの女性にスポットライトを当てることが自分の役割りではないかと思ったんです。
その中で、1つだけ聞いたはなしが頭のなかに残っていました。
「自分たち向けの情報がない」
という言葉。
例えば、
・レストラン情報の多くは20代向けの女子会が主流になり、世の中に素敵なお店はいっぱいあるにもかかわらず。
・ファッションや美容品などは、好みも変わるし、生活環境も変わってくるけど、なかなか自分で見つけるのは大変。
・なんとなくSNSを開けば、友人は社会で活躍している。自分も何かしたいけど、これからどうしていいか悩んでしまう。
そんな小さなことの積み重ねが、「なんか相手にされていない感」につながっているのではないか。
主役になれる場所。それがレストランではないか?
少しだけ話しが飛んでしまうかもしれないんですが、また僕の昔の話しをさせてください。私の実家は、福島県浪江町の自分で言うのも変ですが、ほんとにど田舎だったんです。
街にあるファミレスは一件しかなかったんです。とはいえ、ほんとにそこしかないから、家族でお出かけすると言ったら、そこに行ってたんです。
Big Boyというハンバーグ屋さんだったんですけど、そこに行くのがちょっとしたご褒美だったんですよね僕にとっては、行ったら僕はいつもハンバーグを食べてました。
うちの母親は妹の世話をしているんですよ。せっかくファミレスに来ているのに。
自分も料理作らなくていいんだから、楽をすればいいのに妹の世話をせっせとしているんですよ。
そのときは気づかなかったけど、今振り返ってみると、あの時の母親の顔は、家にいる時の顔と少し違ってた。
なんだか、誇らしげに妹の世話をしていた。
家では、「早く食べなさい」と言っているような肝っ玉母ちゃんそのものなのに、何か、“いい”お母さんという感じがしたいんです。
たぶん、今思えば、母親にとって、「いいお母さん」を演じれること自体が
自分にとって、素敵な顔だったんだと思う。
つまり、世話をしているけど、世話好きの自分の主役の場だったんですよ。見ず知らずの周りの人から、「あんな、お母さん素敵ね」と思ってもらえるステージだったと思うんです。
だから、そのことをふと思い出して、食事の場というのは、笑顔になる場であり、
普段は自分が作る料理を周りから提供される。母親にとっての一番のステージなんだいうふうに思ったんです。
笑顔になれる瞬間を作ることが使命
インタビューで話しを聞いても、個人の悩みや家族の悩み、いろんな問題・課題があります。その多くのことはすぐに解決できないかもしれない。
でも、ホントはこうなんじゃないかと思うんです。
「大変なことがないから笑顔になるんじゃくて、
大変な中でも笑顔を忘れない。」
実際に被災したうちの母親は、どう考えても大変な環境だった。笑顔になれる環境じゃなかったかもしれない。でもその笑顔に勇気づけられた。
確かに、彼女たちは、仕事や家事や育児など時間はないかもしれない。家庭と仕事の両立も大変かもしれない。
その中で笑顔になれるのは何かと。そのときに食事体験が、笑顔に繋がるんじゃないか。
◯ 一時だけでもスポットライトを浴びれること。
◯ 一時だけでも笑顔になれること。
◯ 一時だけでも自分の元気さを思い出せること。
◯ 一時だけでも自分を大切にできること。
その瞬間を作れるのが、レストランの中に揃っているんじゃないかと思ったんです。それを思いついた時に他の問題が全部潰れていきました。
・友達が減ってくる
・悩みを相談する相手がいない
というのは、それを解決するのが、食事の場だったりするんですよね。
彼女たちにとっての、
・自分の居場所がなくなる。
・自分からスポットライトが外れる感
これらが、「一気に解消する場が、レストランでの食事体験」だと思ったんです。
しかも、これは解決までが早い。
確かにこれは、問題解決の方法としては簡単な側面があるかもしれない。
でも、すぐに、よりたくさんの人に笑顔を提供できる仕事なんじゃないかと思って、自分の一番のミッションに繋がると思って、僕はこれを選びました。
輝く女性応援プロジェクト
更に言うと、
「もっと、もっと、スピード感を持って、大人の女性の輝く瞬間を応援したい!」
という思いがあります。
先に上げた通り、自分たちだけですべてが、解決できるとは思っていません。
そこで、
「輝く女性応援プロジェクト」
をたちあげたいと思います。
Ane会をたちあげて以降、世の中には、女性を輝かせていきたいと考えているが、
ほんとに多くいるということが、わかりました。
また、ありがたい話ですが、「私も一緒に協力させてください」
というお声がけも頂く機会が増えて来ました。
レストランオーナーの方、女性のために何かしたいと思った個人の方、企業の方、どなたでも結構です。私たちと一緒に輝く女性を応援する「Ane会」を盛り上げて頂けましたら幸いです。