先生「絶対○○○○○へ行くのは、やめたほうがいい。就職できないし、世間はそれほど甘くないぞ。」
僕「”必ず成功して見返してやる。”(心中で)」
皆さん、こんにちは!
アメリカに来てから今年で23年目、それでもなんとか
頑張っているマサルです。現在はアメリカ永住組に
なっていますが、これが始まった高校2年のカウンセリング時
の話を紹介します。
実際アメリカに留学生として来て、結局永住できるのか
どうか疑問がある方、またアメリカに移住したい方の
助けになれば最高!
とか思っています。(笑)
”日本で通えるアメリカの大学とは”
90年代初めでは”日本で通えるアメリカの大学”っていうのが
流行っていたのをご存知ですか?
今ではテンプル大学くらいしか残って無いようですが、
当時はこんなアメリカ大学の日本校が何校かあったんです。
テレビでは可愛い女の子が”日本で通えるアメリカの大学”と
元気のいい感じで宣伝していて、日本の大学入れなかったら
ここでも行ってみるか?
と思った方結構いるかと思います。
ESLの先生も英語が本場のネイティブ先生だし、英語が
これで学べるなら、結構いいかもって感じでした。
”アメリカ大学進学?”
僕の場合は父が外資系の会社に勤めていたのとアメリカ
にもよく仕事で来ていたので
(僕が生まれた時もアメリカにいたらしい)、
両親には日本の大学以外にもアメリカの大学も
検討したらと言われました。
そうこういろいろ調べているうちに、アメリカ大学
留学も真剣に考えるようになりました。
でもいきなり高校卒業して英語も対してできるわけ
でもないのに(というか英会話は全くダメ)アメリカで
大学に入るなんてかなりの度胸がいるじゃないですか。
無謀ですよね、完全に。
この時にタイミングがよく”日本で通えるアメリカの大学”
の宣伝を見てしまったので、きっと運がよかったんですね。
で、高校最後の方になると大学カウンセリングみたいの
あるじゃないですか。
どこの大学に行きたいとか(行きたいと合格して行けるか
どうかには天地の差がありますが)、偏差値だとか、
勉強の仕方とか、そしてもうすでに浪人してその後の
プラン(?)とか。
時はもうだいぶ前なのでよく覚えてないですが、
多分高校2年の終わりごろ、当時の英語の先生と大学
カウンセリングがあったんです。
その先生は現在でいうとかなり"Traditional”というか、
”Closed minded”というか、前を見て習えッて感じで、
他の日本人と同じことをしなさいって先生だったんですね。
先生「お前はどの大学へ行きたいんだ?」
僕「これこれの大学の受験もするつもりですが、実はアメリカの大学の日本校も視野に入れています。」
先生「日本で通えるアメリカの大学か?こういったいい加減な大学より絶対日本の大学へ行ったほうがいい。就職できないし、世間はそれほど甘くないぞ。」
実際、当時は”日本で通えるアメリカの大学”というのは文部省
からも検定されてなくて、電車の学割も効かないし、
始まったばっかりで授業料さえ払えばだれでも
入学できるというのが本当だったのだと思います。
ですが、この英語の先生とのカウンセリングの部屋を出るときに、
僕「”アメリカ行って絶対成功して見返してやる”」
と心に誓った反面、
僕「”英語の先生なんだからほんの少しでも賛成してくれればいいのに”」
と、とても残念だった印象を今でも覚えています。
そして、高校3年で、二人の英語の先生がとても良い
コンビネーションで英語の読みと文法の2クラスを担当に
なってくれて僕の英語力が抜群に上がり、その後の進路を
変えるきっかけになるのでした。
日本の大学だって何校か受験しましたよ。
全部ダメでしたけど。。。(汗)
でもこの結果が今思うと将来を変えて
しまうことになるなんて思ってもいませんでした。
その時はアメリカの大学行って卒業後は日本へ
戻ってどこかへ就職、とりあえず英語ができるように
なっているだろうから就職もOKかな、なんて甘く考えていました。
”日本で通えるアメリカの大学裏話”
”日本で通えるアメリカの大学”に行く生徒達というのは
だいたい3つのグループに別れてました。
1. 日本の大学受験に失敗し(または浪人何年目)、とりあえずどこかの大学に行きたい人
2. 本当に英語を勉強して、その後の留学に備えたい人
3. そして最後にこれらの間にいる人達です。
日本の大学とアメリカの大学の一番の違いというのは
日本の大学は入学試験が難しいですが、入れればその後は
結構簡単(?)に卒業、アメリカの大学は入るのは簡単でも
卒業するのが難しい。
当時はこんな情報が入っていました。(もちろん、現
在はこういった状況も変わってきていて、アメリカの
トップスクール大学に入ることはとても難しいです。)
ESLのクラスでは宿題も結構でるし、勉強量は
実際に結構多かったと思います。僕が入った最初の年は
僕らが2期生ということもあり生徒は千人ほどいましたが、
次の年には半分くらいになったような気が。。。
これも勉強量が多いのでとりあえずどこかの大学に
行きたい人たちは、そのうち勉強に飽きてきたのかもしれません。
僕の場合はこの”日本で通えるアメリカの大学”でついて
いけなくてはアメリカ本土の大学でついていくのは無理と
思っていたのでがむしゃらに頑張りました。
特に英会話の喋る練習については"小林克也のアメリカン"という
カセットテープの教材を買ってできるだけ、英語らしい発音と
スピードでできるようにいろいろ練習しました。
当時はCDが出てきた始めで、カセットテープをよく
使っていたんですね。
これが2年続いて、その後のオプションとして
アメリカ本校に渡るか、日本にとどまってそのままクラスを
取り続けるか決定する時期になりました。
僕はすぐアメリカ本校に渡る準備に入りました。
”日本で通えるアメリカの大学”ではトフルの英語テストの
スコアがわりと良かったので、アメリカの大学へ3校程
トランスファーの手続きを取りすべて合格しました。
このアメリカの本校を卒業する気持ちはなかったためです。
今ではこういった手続きをするサービス会社もある
ようなので、すべての手続きをやった自分をみると
(また、すべての手続きは航空便ベースで現在のような
オンラインは全く無し、返事をもらうの数週間は
少なくともかかった)、自分でもよくやったなあと感じます。
アメリカ本土に渡る飛行機の中で
僕「これで後戻りはできない」
と強く感じました。
2月にアメリカ本校(オハイオ州)に渡って
最初に気がついたことは、とても寒く、雪が多く、
雪を踏むと”キュッ、キュッ”と音がなる、日本でも
僕が住んでいたところでは経験したことがない
ような(?)経験をしたこと。
もちろん日本人が多いこと。これはかなりの数が
”日本で通えるアメリカの大学”から留学してきたため。
もちろん当然なのですが、アメリカ本校自体が
小さい2千人くらいの大学だったので日本人が
100いると結構多い感じでしたね。
また日本人同士で固まる習慣(?)を多く感じたので、
僕は英語を喋るその他の外国人とよく喋る
こころがけをしました。
そして、一つコンピューターのクラスをとったのですが
最初のクラスの時に僕が部屋に入ったら(少し遅れ気味で
もう他のアメリカ人の生徒はすでに座っていた)、
皆からジロっと見られて、なんかとても強い目線に
凝視されたような感じになりました。
多分ほかの生徒にしてみれば、また見慣れない日本人か
とそれほど凝視するつもりはなかったと思いますが、
その場に立ってみると、結構”冷たい”視線に
感じられました。これも”慣れ”の問題だとは思いますが。。。
この本校では1学期だけで、その年秋からコロラド州の
4年制の大学にトランスファーしました。
”日本で通えるアメリカの大学”でとった単位も
ほぼノープロブレムでトランスファーできました。
この大学はアメリカ国内ではそれほど競争率の高い
大学ではなかったのですが、これには理由があったのです。
ー 日本人の僕がアメリカの競争率の高い大学には入れるわけがない。またついていけるわけもない。
ー この大学ならそれほど大変そうでもないから多分大丈夫。
弱気ですよね。
コロラド州で知っている人は誰もいなかったし、
ホントこれから一人で挑戦というような感じでした。
この大学でEnglish 101という英語の書きのクラスを取ったんです。
最初のクラスに行くと、
Professor「このクラスはアメリカ人ネイティブ用だから、君はESLのEnglish 101に変えてください。」
と。。。実は英語の書きになれるためにネイティブ用
のクラスを取りたかったのに。。。
すんなりクラスを変えてESLのEnglish 101に行くと
綺麗な東洋系の女性の向かいの椅子に座りました。
これがその後こういう展開になるとは全く思っていません
でしたが、彼女が近い将来結婚する在米韓国人だったのです。
彼女は韓国生まれでもちろん韓国語をネイティブに話し、
その他の韓国人生徒をその大学で見てきていました。
そのうち、どうやってアメリカに来たとか、
成績の話になって、トフルの成績の話になって。。。
彼女「あなたはどうしてこの大学にいるの?」
僕「どうしてって?」
最初はちょっと意味がわかりませんでしたが。。。
彼女「あなたのトフルの成績であればかなりいい大学に行けるじゃない。頑張らなくちゃ。」
僕はもちろん弱気だったので、
僕「この大学で上位の成績で卒業のほうが、有名大学で成績悪く卒業するよりもいいよ。」
なんていい加減なこと言っていたのですが、彼女は
彼女「だれも卒業後は大学の成績のこと聞く人いないわよ!」
と軽く言いました。彼女はピアノパフォーマンス専攻で
その後僕ら2人は彼女が大学を卒業した次の年、
僕は大学を、(彼女は大学院へ入るように)
またトランスファーしたんです。
この間に入籍もし、
大学卒業後は地元で職につき、大学院も卒業、
家も買い、子供も3人生まれました!
現在はオハイオ州で働いていて、長女が昨年
秋からアメリカの大学に通う年になりました。
現在日本に帰る予定は全くありません。
仕事の後は家庭で子供とできるだけ多く時間を
過ごすようにしています。また、子どもたちの
模様しものにはいつも参加するようにしています。
”絶対日本の大学に行きなさい”なんてもう言わせない。
”成功する”とは人によっていろいろ違う意見が
出てくると思います。これがお金持ちになる、
家を買う、いい車を買う、その他諸々あると
思いますが、
僕個人の考えでは
成功とは
”普通に生活できる程度で家族の近くに
いつもいて、子供の成長を見届ける事が
できるようになること”
と強く感じるようになりました。
こうできない理由が幾つかあるかも
しれませんが、子供の成長を見届ける事ができるよう
心がけるメッセージにこの内容が変わるのであれば幸せです。
最後に
最後にあなたに考えていただきたいのは、僕が
日本にとどまっていたら今どういうようになって
いたかです。
ただ普通に就職していたのでしょうか?それとも
その他の選択を取ったのでしょうか?
今では
”絶対日本の大学に行かなくても、アメリカの大学へ行ってアメリカで成功できる。”
こう胸を張って言うことができます。
実際異国の地で普通に生活出来ている状態になることすら
偉業と言われるときもあるので、そうなんだろうと思います。
自分でその状況にいると本当にそうであるのかどうか
わからなくなるときがあるんですよね。
読者の中にはこれから海外の大学へ留学予定、または
留学したいと言う方も多いかと思います。
僕がやったことは目標を立て、自分を信じて、がむしゃらに
頑張ったことです。
これらはよく言われることですよね。これらを実際にやるか
どうかは難しいかもしれないですが。
いずれにしろチャンスはそこら中に転がっているもの。
注意をして見ていなければ、そのまま通り過ぎてしまいます。
しっかり掴みとってください。
また自分ができると信じてください。
きっとできると思います。
あなたの成功を祈っています!
最後まで読んでいただいてどうもありがとうございました。
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僕は今もアメリカで頑張っています。
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