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16/1/12

24歳の田舎育ちの芋娘がたった3年で300人以上の生徒が通うお菓子教室を作った物語~14歳から20歳~

Image by Olia Gozha

「お母さん、私、パティシエになる。」



14歳の時大きな決断をした。


小さい頃からモノを作るのが大好きだった

とくにお菓子は人に喜んでもらえるから

中学二年生、これからの進路を決める大事なとき


将来パティシエになって自分の店を持つ

そう決めた。絶対楽しい、やりたい!ねぇお母さん!


「アホちゃう」


まさかの一言で片付けられた

はじめて、将来の夢を言った

はじめて、自分で出した答えを言った

はじめて、緊張しながらお母さんに話した

絶対に賛同してくれると思ったのに

私はアホだと言われて



心を閉じた



もう、言いなりになろう

どうせ私はアホなんだから




それから母が進める高校に進学した

みんなセンター試験を受けるような真面目な学校で

パティシエになりたいなんて言う子はいなかった


でも夢は捨てきれずに

高校2年の夏、進路相談のときにもう一度、挑戦した



「専門学校にいってパティシエになりたい」



二度目の告白は受け入れてくれた

しかし今度は学校が許してくれなかった


とりあえず大学に行けば?

栄養学科とかは?

趣味にしておいたほうがいいよ


そんなことはもういい!!


先生の都合をなんで押し付けるの

私はパティシエになるって決めたんだから!!



そしたら、校長先生に呼び出しされた



「本当にそれでいいんですか」


「はい。いいです」




なんか悪いことしてるみたいだと思ったが

何も悪くない、私は負けない!と強い気持ちで答えた






「では、頑張ってくださいね」





認められた。嬉しかった。

それからというもの、周りから変人扱いされ

お菓子の子、というレッテルが貼られた


バレンタインには先生や生徒から


「藤六さんのチョコが食べたいなぁ〜」


とたくさん注文が入るようになった

その数、50人

チョコレートはもう勘弁だと思うほど作った




そんな楽しい高校生活3年間を終え、

地元の調理師学校に進んだ





しかし入学早々

製菓の先生が小麦アレルギーになって辞めてしまった


どうしよう

お菓子作りは誰に習えばいいの


そんなとき外部の特別講師として月に一度だけ来てくれていたのが

将来、私が働くことになる◯◯ホテルのシェフパティシエだった


私は、そのシェフの大ファンになった


どうして失敗するのか

どうしてこの材料じゃないといけないのか

どうしてここで泡立てるのか


理屈や理論を徹底的に解説してくれる先生で

いつも授業は目からウロコだった



先生は25歳で世界のパティシエコンクールで優勝するという

素晴らしい実績の持ち主で、毎回会うだけでも楽しみだった


そんな先生を追いかけて、先生がいる神戸の某ホテルに就職した








親元を離れ、一人暮らし

憧れのパティシエの世界に入れた

これから頑張るぞ!



しかし現実は甘かった






まず一つ


仕事は全てフランス語でやり取りされる



「ポッシェ(絞り袋)とマリーズ(ゴムベラ)持ってきて」

「ルセット(レシピ)見て、計量しといて!ドゥー(2倍)で」


farine 1000

sucre 1200

oeuf  30

lait 500

beurre 300


わ、わかんない、、、

先輩も一回は聞いたら教えてくれるけど二度目はない。




二つめ


労働時間とお給料


先輩の2時間前に出勤して、2時間後に退勤

これ当たり前


平均労働時間は15、16時間


休憩は30分の昼食時間のみ



お給料は手取りで11万円

ボーナスは一切なし


朝の出勤が早すぎて電車がないので会社の近くに住むしかなく

家賃はワンルームで6万5千円


なかなか厳しかった


会社に黙ってバイトする人もたくさんいた

結婚している人は養っていけないと、いつも大変そうだった



お金がないから、いつも同期とゴミ箱に入ったケーキを食べていた

でも甘いものはそう毎日食べてられないので、同じ系列のパン屋さんの厨房に行ってはパンも食べた


ソーセージを発見したときは本当にうれしかった思い出がある


「やったぁぁぁ~~お肉~~~!!」


大事に食べた




三つめ


イジメ


過酷な労働条件のなか働くので

毎日ピリピリしていた


先輩も決してお給料が良いわけではなく

お金も自由もない

ただお菓子作りが好きという気持ち一心で働いていた



ストレスのはけ口は後輩だった

新人を可愛がるという意味なのか

食洗機の中に閉じ込められてスイッチ入れられたり


冷凍庫で棚卸ししていたら外に出られないよう扉を押さえつけられたり


漂白剤の原液の中に手を突っ込まれたり


いろいろあった


でもそれで先輩が笑ってるし、ストレス発散できてるなら

それでいいや〜とあんまり考えないようにしてた







みんなこれを聞くと可哀想とかいうけれど

私は、本当にここで働くことが楽しかった

それはなんでも教えてくれたから


やっぱりみんなシェフが大好きで追いかけて入ってるから

とても意識が高かった


たった10人しかいない厨房で

本店支店合わせて5店舗分のケーキ作ってたんだもの


出来る人しかいない環境で

嫌でも成長するしかなかった




ある日、先輩がこう言ったのを今でも覚えてる


「ここの一年は他の三年、いや五年に相当する」


あのときは、そうなのかなってぼんやりとしか思わなかったけれど

後で意味がわかった




世界一のパティシエの元で勉強できる環境

なんでも教えてくれて、出し惜しみをしない

みんなが一緒に力を合わせないと仕事が終わらない


だから仕事ができる、成長する





過酷だけれど、毎日が刺激的で楽しい

やっぱりパティシエになってよかったな

このままずっとみんなと一緒に成長するぞ



そう思ってたある日



事件はおきた


「手に入れたものは失われる」



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