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16/1/11

早稲田で人生を変える 第二回

Image by Olia Gozha

少年ボクサーだった。


勉強はそんなにやっていなかったが、要領がよかったのか、学校での成績はそんなに悪くなかった。

テスト前にその場しのぎで乗り切るタイプだ。だから、全く頭には残っていない。

よって、後々、大学受験勉強で苦労することになるのだが。中学卒業と当時にボクシンングジムに入門した。高校にボクシング部がなかった。



だから、プロボクシンングのジムに行った。


アマチュアボクシンングではなく、プロボクサーを目標にかなり真面目にボクシングの練習をした。朝も早く起きて走った。高校もちゃんと通った。ジムには、一つ年上で、のちに19歳で日本チャンピオンになる先輩が同じ階級だったため、切磋琢磨してスパーリングをした。自慢でないが、私は強かった。当然、17歳でプロテストを受け、プロデビューする予定だった、高校2年の17歳の誕生日を迎え、すぐにプロテストを受験した。


結果はなんと、不合格。


その後、高校時代に合計3回プロテストを受験するが、ことごとく不合格。ジムでの練習では、


プロより強い私が不合格。


理由は「オープンブロー」。


当時、プロテストの合格率は30~40%程度。そんなに難しいテストではない。それに3回不合格になるということは、相当問題があるということになる。もちろん、世界チャンピオンになるようなボクサーは3回も不合格にならない。ジムの会長も困惑した。当然通過と考えていたプロテストを3回不合格になった私。当時、屈辱というより、思っていたとおりに人生が進まないなんとも言えない歯がゆさがあった。「俺はプロボクサーになって世界チャンピオンになる。富と名誉を掴むんだ」と高校生ながら描いていた夢に、ストップがかかってしまった。前に進みたくても、プロテストに合格しなければ進めないのだから。


幼いころ、大橋秀行が日本人の世界挑戦21連敗を阻止して世界王者になったシーンが脳裏に焼き付き、鬼塚勝也、辰吉丈一郎、ピューマ渡久地の3名が「平成三羽ガラス」と言われていたころにボクシングを志した。



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