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16/1/7

落ちこぼれ帰国子女が、アメリカの高校を卒業後に早稲田大学に進学するまで(パート1)

Image by Olia Gozha

オーストラリアで小学校時代を過ごす

千葉県柏市で小学1年生まで過ごし、親の仕事の都合で小学2年生から3年間オーストラリアで過ごしました。家から徒歩1分という「忘れたお弁当を昼休みに取りに行ける距離」にあった現地の小学校に通い、転校当初は全く理解できなかった英語も、帰国間際にはオーストラリア人の友人の母親から「He is completely an Auzzie(オーストラリア人)」と言われたほど現地人化していました。英語だけに限らず、性格、価値観、全てがオーストラリアの教育で成り立っていました。

前から2列目の一番左が自分

帰国後、世田谷区の公立小学校へ転入

再び親の仕事の都合で今度は日本へ帰国。完全にオーストラリア人化した自分は日本の小学校へ転校しましたが、待ち受けていたものは残酷でした。給食当番や教室掃除などの学校生活はもちろん、人間関係や言語が違い、馴染めない自分がそこにはいました。その上、当時小学校6年生だった自分は小学校3年生レベルの漢字が理解できないほど日本語ができませんでした。友達との関係も「空気を読む」や「周りと同じじゃないと変」と言った雰囲気がとても嫌だったのを覚えています。オーストラリアでは新しいことや面白いことを進んで行い、友達もたくさんいた自分にとって、周りと価値観が合わなくて友達が中々できない生活が辛すぎて何度も泣きながら親にオーストラリアに戻りたいと言っていました。当時は親を恨んでさえいました。小6の時に授業で「将来の夢」を書く機会があったのですが、周りは「サッカー選手」や「医者」「社長」と書いているのに自分だけ「転勤がない仕事」と書きましたw


中学受験をすることに

帰国してから数カ月後、比較的教育熱心であった親に言われ、中学受験をする事になりました。

やる気は皆無に近かったのですが、とりえあず言われたまま勉強をしていました。

そもそも同級生と比べて日本語力が著しく低かった自分はマイナスからのスタートでした。当然普通の模試を受けても惨敗。この時「自分は勉強に向いてないんだ」と無意識に思い込んでいました。この時感じた「劣等感」はしばらく続くことになります。


帰国子女枠でなんとか合格

神奈川県にある私立の中高一貫校に帰国子女枠でなんとか合格することができました。今は違うのですが、当時はその学校初の帰国子女枠ということもあり試験科目が英語だけでした。そこを志望した理由も、「なんか卒業生に有名なサッカー選手いるな〜」という意味不明な理由でした。しかも自分自身はサッカーやってなかった(笑)

ここ以外の受験先は全て落ちてしましい、その原因はやはり日本語力にありました。


進学校の勉強にお手上げになる

自分が通った学校は県内でも少し有名な進学校でした。もう一度言いますが、当時の自分は同級生と比べて日本語力が著しく低い状態です。そこで進学校のレベルの高い授業&早いペースに付いていけるはずがありません。

当然ですが、初めての中間テストでは英語以外が赤点のオンパレード。

一番辛かったのは「これは全て自分のせいだ」と思い込んでいた事です。

「周りのクラスメートは普通にできているし、オレは勉強ができないんだ」と完全に信じていました。帰国子女枠は僕らの代が初めてだったので、帰国子女に対する理解は全くなかったです。先生も含めてクラスメートも「まぁ帰国子女だからしょうがない」なんて思ってくれた人はいません。むしろテストの結果が悪すぎて、担任から三者面談をしたいと言われ、キチンと勉強するように怒られました。今思うと中1の自分は劣等感の塊でしたね。


同級生に日本語力が追いついた中学3年間

相変わらず試験では学年の底辺をさまよい、追試を受けるのが恒例になっていました。特に「10分間テスト」という朝に行われる小テストでは漢字の追試に12回落ちました。やっとの思いで、追追追追追追追追追追追追追試で受かりました。

このような苦労もあり、劣等感を感じつつも中3の頃には現代文の実力テストで平均点を取ることができ、初めて日本語力が追いついたと感じました。


そのまま高校へ進学、青春の始まり。

依然として勉強は周りと比べてできないままでしたが、高校になってから恋愛をしたり学園祭で女装してステージで踊るなど、青春を謳歌するほど日本に馴染んでいました。価値観の違いや周りと合わせるなどの技もすっかり身に付けていました。しかし、進学校特有の将来に対する展望などに関しては心のどこかでは違和感が常にありました。でもそれを忘れられるほど最高の友人に囲まれていた高校1年生の生活は楽しかったです。


高校1年生の11月。日本での青春を謳歌し始め、大学受験の事も考え始めないといけない矢先に親からとんでもないことを告げられました。



「再来月からアメリカに住むことになったからよろしく。」



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