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16/1/6

現在28歳でアメリカでプロゴルファーを目指している私が出来上がるまで。(大学時代 –体育会入部)

Image by Olia Gozha

帰国

さて、ニューヨークの高校から日本の大学へ進学した私。


覚えていらっしゃるでしょうか。アメリカは9月入学6月卒業、日本は4月入学6月卒業です。

つまり 2006年6月に高校卒業した私は、2007年の4月まで待たなければならないんですね。


19歳。受験勉強も仕事もない。人生で最も輝くべきモラトリアム期。

夢の10ヶ月!


で、私は何をしたかというと、

約半分をキャディのアルバイトに費やしました。

どこまでもゴルフバカです。


あとの半分は大学から義務付けられてた帰国生用のプレ授業と、運転免許の取得と、習い事と、旅行をしました。

まぁ、ビビリなので制約があると守ってしまう性格なんです。きっといくらでもやりようはあったと思うんですが、とりあえず必修科目を確認して、律儀に学校に通いました。

授業をマジメに受けて、友達と渋谷とかで遊んで、彼氏とデートして、キャディして、家族とゴルフして…

「建設的な何か」をするでもなく、楽しくけど目的もなく、これでいいような何かをしなければいけないような…そんな感じで、青春の日々を消化していました。


20歳前の子供が勉強もしなくてもいい、膨大な時間を与えられると、意外とどうしていいかわからないものです。

すくなくとも私は、その「夢の時間」を超有効に使えるほどの、目標や知識と知恵と行動力を持ち合わせてはいませんでした。


そんなモラトリアム期も半分程経過したある日、高校ゴルフ部でお世話になったI先輩が連絡をくれて、ゴルフに連れて行ってもらうことになりました。



I先輩「ひさしぶり!ゴルフしてる?」

「はい、ぼちぼちやってます!」

I先輩「ゴルフ行こうよ!連れて行ってあげるから」

I先輩「じゃあ水曜日、朝6時半に恵比寿駅で拾うわ!」

「わかりました!ありがとうございます!」


私は運転免許を取り立てだったし、先輩が連れて行ってくれるなら甘えない手はありません。早朝の電車でゴルフバッグを担いで向かいました。


颯爽と現れ、外車を停めるI先輩。

I先輩は親御さんのお仕事の関係で海外歴が長く、NY高校の時は数少ない通学生で、車の運転はお手の物でした。そして当時は恵比寿に住んでいました。

そう、I先輩は生粋のセレブでした(笑)


その時に、体育会ゴルフ部の活動に早めに参加したらどうかと誘われました。

I先輩「稲葉ちゃんも体育会はいりなよ!サークルもあるけど飲み会がメインのただの遊びサークルなとこが多いし、体育会はちゃんと女子部もあるし、試合経験も積めるし、絶対上手くなるよ!」


やばい。それ、めちゃ楽しそう。

それこそが私の求めていたものだ!!


またふつふつと沸き上がる、私の中の「謎のゴルフ熱」。


早速、女子部の先輩を紹介してもらい、後日話を聞かせてもらうことに。


話を聞かせてくれた女子の先輩は、綺麗で親切なI先輩でした。

体育会とは聞くところによると、「ガチ」の人達の集まりであるらしい。

でも真剣にやりたいんだったら、絶対オススメだよ!と力説され、トントン拍子に部活見学をさせてもらうことに。




体育会入部


話の途中で注釈を加えて申し訳ありませんが、

私の行っていた大学は私立大学で、だいたい学生は3種類に分けられます。

①「裕福な家庭の子」か、②「学力が高い子」か、あるいは③「その両方」という学生です。


そしてゴルフ部は、お金持ちの子の中でも超お金持ちの子達がごろごろいました。

(ちなみに私は 自己評価すると、中金持ちの家庭の、中くらいの頭の良さかな…)


体育会とはさぞ厳しい、恐ろしい組織に違いないと身構えていた私を待っていたのは、

ゴルフを嗜むお嬢様達の花園でした。


例として、笑顔が眩しい主将のA先輩は、元総理大臣のお孫さんでした。

他にも政治家、弁護士、会社経営者の子供ばかりでした。

(ちなみに私は あるがままに話すと、父は地方の眼科医、母は歯科医でした…)


その主将Aさんは笑顔が眩しい、本当に素敵な人でした。

お嬢様には間違いないですが、芯のある強さをにじませ、言葉の1つ1つに力があり「この人に一生ついていこう」と思わせるカリスマ性がありました。

なんかとても抽象的ですが、自分は今まで人間のステータスに「お金持ちかそうでないか」という尺度しか持っていなかったのに、「品位」や「人徳」という尺度があるということ気づかせてくれた存在、とでも言いましょうか。 

愛情深く、ユーモアがあって、フレンドリーで、美しくて、気高い。

一年生にとって四年生の、しかも主将というのは、神様みたいなものですが、それ抜きにしても私はA先輩に非常にメロメロ、キラキラ、ウルウルといった感じでした。(笑)


というわけで、私は先輩と主将にも挨拶をさせてもらい、朝練の見学もさせてもらい、

大学入学前の3月の春合宿から、一足先に体育会に参加させてもらうことになりました。



(イメージに合う画像がなかったのでお粗末な手描き(笑))


あとで知ったのですが、それは春の大学対抗リーグ戦の選考合宿でした。

3日間のスコアを見て、上位5人のレギュラー選手を決定する。

私は平均80台半ばのスコアで回り、なんとレギュラー5人目の枠に入ったのでした。



それは試練の始まりでした。


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