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15/12/25

つれづれに書いてみる。

Image by Olia Gozha

つれづれに書いてみる


以前Storys.jpに書こうとする時、なんだか構えちゃうんだよなあ、と思い、投稿するのが気が引けていた。あんまり大上段に構えなくてもいいのは分かっていたんだけど、何となく書きにくいなあと思って。ブログだったら書けるのに。「2年間勤めた会社を辞めた」とか、何か振り返るの重くてさ。。


一方で、自分の経歴ってかなり特殊で、きちんと理解してもらえない価値観とか気持ちはだんだんと募っていた。どこかで、考えを整理する必要があるなあと思った。ので、何か書いてみるよ。


大学時代の思い出


自分は、4年制大学の文系学部に通っていて、週6で卓球部の練習をしながら、3年目からは教育学専攻のゼミもやり、教職課程も履修し(両親が文系でとれる資格をとっておけと執拗に勧めてきた)と、あんまり今後のキャリアについて深く考える暇が無かった


卓球部の先輩達は、人間的にも尊敬出来る人達ばかりだったが、皆大手の企業に就職していった。私の同期達も同様である。


また、ゼミのある子(ながたつ)は、ほとんどの大手企業の内定を総なめにする勢いで、最終的に某商社に内定を決めた。これまで受けた就活のエントリーシートなどを年鑑みたいにして製本して見せてくれたけど、やべえなって思った。


学生時代、国際関係の団体でも活動していたし、交友関係が広く、誰に対しても親切に接していたから、当然だなって思った。あと、愛校心の塊だった。私は彼に凄く気に入られていたけど、大学の塾歌が三番まで唱えないことをマジギレされていた


大学にいた頃は、大学を出て、みんな普通に大企業に勤めて徐々に色々な役職を任されながら人間的に成長していくのだと思っていたのが、2011年の3月。今はだいぶ違う方向に進んでしまっている


教職課程をとってたわりには、卒業出来るかどうか結構ギリギリで、経済学部、商学部に行ってた卓球部の友達と3人で卒業出来ているか、三田キャンパスの掲示板見に行った。

そもそも掲示板には掲示されてなくて、ITC(パソコンが沢山並んでる部屋)で、ホームページで確認して、自分の学籍番号を見つけて、「あったー!!笑」って3人で爆笑して、係の人に怒られたのが、3月10日。


卒業が確定して、やること何にも無いから笑、翌日、三田キャンパスにでもふらっと散歩しにいったら、何かすげえ地震が昼に起きて、帰れなくなったのが、3月11日。非常食の乾パンと水が学内の建物に並べられてて、不謹慎にも非日常感にわくわくし、世の中ががらりと変わっていくことをその時は気づかなかった。


卒業式はUstreamで配信され、野球部のキャプテンが表彰されるのを狭い画面で眺めた。晴れた日に外を歩いていたら、「マスクしないと放射能が飛んでくる」って子供が騒いでいた。家の前の道路にガソリンスタンドへ向かう渋滞が並んでいて、「早く動いてよー怒」と女の運転手がキレていた。12日に家に帰ろうとした日、電車で若い女性が「済みません、電車がほとんど動いていない状況で。。」と、勤務先への連絡をしていた。何となく時間が濃くて、じっとしているだけでも色々考え事をして疲れた。


当時の状況は、mixiで意見交換した。理工学部の子が放射線被曝に関する知識から、まず問題ないだろうという見解を述べて、マジイケメンだって言われてた。今、放射線の勉強しているけど、あんなに上手く説明出来るか分からない笑


色んなものが自粛モードだったけど、予定してた高校同期の飲み会と、卒業証書授与は行われた。くしくも、3月24日は私の誕生日で、三田でゼミの先生から卒業証書を渡してもらった。ゼミの教授は「きちんとした形でなくて申し訳ないけど」と言っていたけど、その気遣いが嬉しかった。当たり前のことが当たり前に行われることが幸せだなと思った。


日吉で卓球部の子と飲んだ。何故かヤナキンスカイウォーカーもいた。アーケードゲームの壁のすり抜けバグを見つけるアルバイトをやってるって言ってた。


お前誕生日だからプレゼントだと言って、卓球部の同期から、熟女AVのDVDと、マカの小びんと、確か赤いTENGAをもらった。


ところが、プレゼントの1つはその場で消費することになった笑。同期が「中卓パンチビール(小さいおちょこに入れた赤いカクテルをジョッキに沈めて飲むビール)だ!」と言って、その場でマカの瓶ごとビールの中に沈め、自分はその場で一気飲みさせられたからだ。あの後、2時間後くらいに前立腺周りの神経が過敏になり過ぎて足の置き場が無かった笑 今となってはとてもいい思い出だ。


その後、東戸塚のゼミのながたつの家で既に始まってたパーティーに向かう。ドアを開けると、ゼミの同期、後輩が何かアーチを組んでて、訳も分からずその間をくぐったら、「卒業」証書と、テレビでおなじみの顔パイが恐ろしい質と運動エネルギーで飛んで来た。私を酒のさかなにしてみんな爆笑していたが、私は正直何が起こってるのかよく分からなかった笑 たなりえは元気にしているだろうか



3.11の鬱憤を何かのイベントで晴らしたい気持ちがどこかであったのかなあ。

今でもFacebookでその動画を振り返って、OB会でネタにされているので、良かったと思う。



こんな感じで、途中は紆余曲折があったけれど、幸せな学生生活を送ってきた。それなりに真面目に学生生活を送ってきたし、多少人と変わっていても努力をすれば社会人として成長出来るかなと思っていた。


でも、就職してからの自分は、独特な人間関係や人付き合い、そして「社会人って黒いな」って思うタイミングがあって、だんだんと後ろ向きになっていった。


それから、どんな風にキャリアを試行錯誤しようか考えたかは次の機会に。

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Image by Jukka Aalho

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