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15/12/23

高木教育センターのありふれた日々(14)

Image by Olia Gozha

高木教育センターのありふれた日々(14)

第百三十一章「どなたか、ご存知でしょうか?」

第百三十二章「言い訳」

第百三十三章「求めよ、さらば与えられん。尋ねよ、さらば見出さんA

第百三十四章「2つのトルゥース」(1)

第百三十五章「2つのトルゥース」(2)

第百三十六章「2つのトルゥース」(3)

第百三十七章「2つのトルゥース」(4)

第百三十八章「神様は乗り越えられる試練しか与えない」(1)

第百三十九章「神様は乗り越えられる試練しか与えない」(2)

第百四十章 「人にしてもらいたいと思うことは何でも人にしなさい」

 

 

 

 

 

第百三十一章

「どなたか、ご存知でしょうか?」

  あなたは尊敬する人がいるだろうか。身近な方でも、歴史上の人物でもいい。一般的には評価の定まった歴史上の人の方が尊敬されやすい。私も、織田信長や坂本竜馬などを扱った歴史小説はたくさん読んだ。

  Do you have a person you respect?  Your acquaintanceor a person in history is O.K.  Ingeneral, a person in history is better because what he or she did is highlyappreciated already.  I read many bookswritten about 信長 and 竜馬.

  しかし、高校で「世界史」「日本史」を学んだ時から1つ疑問が生まれた。「信長公記」や「竜馬がゆく」は貴重な書物、すぐれた小説だろうが、読まれる期間も発行部数も聖書には及ばない。

  But I had a question when I studied the world history and Japanesehistory.  We have a lot of good historybooks but much more copies of the bible are sold for a much longer time.

  信長は極東の島国の統一の途上で倒れた。チンギス・ハンの仕事は何十倍の地理的規模だ。竜馬を知っている西洋人はほとんどいない。ところが、イエス様はどうだろう。世界的なベスト・セラーはいつも聖書だと聞いたことがある。

  Nobunage was killed on the way to unite thiscountry.  Genghis Khan made a much bigger country.  Just a few Europeans know Ryoma.  Then how about Jesus?  The bible sell the best in any age.

  彼は何をしたのか。戦争もしない。大発明をしたわけでもない。ただ、語っただけだ。それが、どうして西洋の文明の基礎になったと言われるのだろう。どうして、多くの国の人たちを今も導くのだろう。

  What did he do?  No war, no invention.  Just talking. However they say the bible is the base of European civilization.  Why?

  もう1つの疑問は、「生物」を学んだ時のこと。DNAの螺旋構造は分かるものの、「どうしてリン酸と塩基が勝手に動いて構造物になるのか?」

  

  ものが動くのだから、何物かが力を加えないと無理。それも、きちんとした設計図に基づいた力。

「どこから誰がそのようなことを?」

 

   Another question is from timewhen I was studying biology.  I know thestructure of DNA.  However why or whatmakes such a structure?  It moves.  What moves it?

  

  私は迷信は信じない。数学が大好きなオタク系の人間かもしれない。しかし、イエス様の言行録である「聖書」がどのベスト・セラーより読まれ続けるのはなぜなんだ。命は物質とどこが根本的に違うのか。

  この疑問は解消されない。

  だから、

「もしかしたら、神様が存在するのかもしれない」

  という可能性を否定できずにいる。

  I don’t believe in superstion.  I love math. But logical thinking doesn’t give us the answer to the question.  Why does the bible sell the best.  What is the difference between life andmaterial.

 

  こればかりは、検索をかけても答えがでません。

 

第百三十二章

 「言い訳」

  私が

「クラブは自由化すべき」

 と発言すると、

「先生はクラブをやったことがないから価値がわからない」

 という子がいる。

 私が

「恋愛より勉強を優先すべきだ」

 と言うと

「先生は女嫌いだから異性の良さが分からない」

 という子がいる。

 私は何と思われても構わないが、拳法の腕前を知っている子は私がクラブをやっていたことが分かる。ブログに書いている「ラブ・ストーリー」を読んでいる子は、私が女子に近寄らない青春時代を過ごしたのではないことを知っている。

  人は自分に都合が良いように結論を出す。

 

「高木先生は勉強ばかりしていて、クラブ活動も、恋愛もしたことがないから」

 それが、彼らにとって都合の良い言い訳なのだろう。事実とは違うが。

 

私は平均的な中学生や大学生より熱心にクラブ活動に励んだと思う。トラウマになって女嫌いになるくらいの恋愛もした。その結果、

「難関校に合格したければ、クラブや恋愛より勉強を優先すべき」

  と教えているわけだ。何も知らずに語っても、共感などしてもらえない。

 

 若い頃は自分の夢を追うことで忙しかった。しかし、子供が産まれたら変わった。子供を育てること、子供の夢を応援してやることが自分の夢を追うことより大切になった。塾生の夢の実現が仕事になった。

 

 このスタンスがなければ、塾講師などやっていられない。しかし、性格に問題のある子は

「先生は、勉強以外は何も分からない」

 と決め付けて、アドバイスに耳を貸さない。それだけの子だから、仕方ない。

 

第百三十三章

求めよ、さらば与えられん。尋ねよ、さらば見出さんA

 

中3少年、教諭暴行で逮捕 けんかの仲裁に激怒 兵庫・たつの市

 12月19日(土) 2015年    

 

 教諭に殴る蹴るの暴行を加え、けがをさせたとして、兵庫県警たつの署は18日、傷害容疑でたつの市立中3年の少年(15)を逮捕した。同署によると、少年が別の男子生徒ともみ合いになっていたのを教諭が止めようとして暴行を受けた。少年は「仲裁に入られて腹が立った」と供述しているという。

 

   学園ドラマというと「スクール・ウォーズ」の昔から「ドラゴン桜」まで、スポーツであろうが東大受験であろうが、とにかく“落ちこぼれ”が主役でないとヒットしない。Storys でも「ビリギャル」とか「バカヤン」のように“落ちこぼれ”が主役のものしか支持されない。

  なぜなんだろう?

 

 現実を知らないはずはない。どの学校にも、暴力で他人を病院送りにした子、しかねない子はいたはずだ。たとえ立ち直ったとしても、落ちこぼれた子が普通の子になっただけ。

  塾業界にも、「暴走族講師」とか「ヤンキー先生」のようなパフォーマンス講師が多い。マスコミも、目立つ講師ばかり称賛して儲かる仕組みだ。

  落ちこぼれから立ち直って普通の生徒になったとしても、その子は誰かを救うのだろうか。私の指導させてもらっている子たちは、誰も注目しない。しかし、彼らや彼女らは地味に頑張って勉強している。

  彼らは「プロジェクトX」や「下町ロケット」のような企業家、技術者や「Dr.コトー」の医者になっていく。そして、苦しんでいる多くの患者を救っていく。こちらのグループの方が落ちこぼれグループの成功物語より感動的だ。

  これは、どういうことかというと

「学園ドラマは、バカを扱うとヒットする。大人ドラマはマジメなのがヒットする」

  とマスコミ関係者が思い込んでいるという事実。

  

  しかし、本当にそうなのだろうか?

 

  経験値の低い、無知な学生の頃はバカをやっている不良を面白がっても、大人になると誰が自分たちを守り、救ってくれるのか分かってくる。暴力団やヤクザとは関わりたくなくなる。

  賢い子たちは、中学生や高校生の頃から分かっている事実だ。

 

  人はなりたいものになる。

 

  学園ドラマでヤンキーを称賛すると、

「ボクもああなりたい」

  と思う子もでてくる。そして、ヤクザになるため“修行”を始める。

  私は20歳の頃に、

「英語のスペシャリストになりたい」

  と思った。

  とりあえず、「英語検定1級」だった。当時、英検1級は三重県で毎年1名か2名しか合格しなかった。私は、四日市高校で50番くらいだったから同年代の中で考えても無謀な目標だった。

 

  しかし、

「トンネルは掘り続けたら、いつは貫通する」

  と思った。

 

  大学では昼間は語学センター、夜はECCに通って2年。卒業後は、NHKやリンガフォンで2年。アメリカで教師をして1年。帰国して、英検1級の過去問を5周やった。結局、30歳で合格した。

 

「ほう、10年あれば無謀な願いもかなうってか」

 

 それで、検証してみたかった。中学校では5科目を担当する先生は違う先生だ。

「担当できるのは1科目しか無理」

 という常識がある。それで、これを覆してみようと思った。

 最初の2年間は塾生にお願いして、地元中学で実施される中間期末テストを集めて「ニューコース」を見ながら解答を作った。1万枚ほどやって

「もう大丈夫かも」

 と思った。県立高校の過去問を使って5科目の講習会を始めたのが3年目。それを5年ほど続けたら地元のトップクラスの子が集まってくれて、

「東大、ラ・サールの問題をやりたい」

 というので、5科目を指導し始めたら10年ほど経過した。

 

「なるほど、10年でモノになる」

 そこで、

「じゃ、あと10年で「数Ⅲ」をやろうか」

 と思った。これは文系だった自分には無謀だと思われた。だから、黙ってコッソリ始めた。誰かに言うと

「無理に決まっているだろう」

 とネガティブ発言を聞かされるハメになる。

 

 まず、「オリジナル」を使って数ⅠA、数ⅡBまでやることにした。2周やってセンター試験を受け始めた。10年続ける予定だった。最初は25%しか正解できなかった。その後、「1対1」「チェック&リピート」を2周やって、Z会の「京大即応」を始め、河合と駿台の「京大模試」を受け始めた。センターの数学は8割、京大二次は7割くらいになった頃に10年近く経った。

 

「なるほど。私程度の才能でも10年もやると無謀なことも可能になるわけだ」

 

 と、納得した。

 

 私のは、信念ではなくて信仰です。今、目の前に「成功哲学」という本がある。

 ナポレオン・ヒルの書いた超ロングセラーなのでご存知の方も多いと思う。アメリカにいる時に紹介されて読んだ。ウェイン・ダイアーの「自分のための人生」は30年間私の座右の書となっている。

  なぜ、こういう書物が日本で書かれないでキリスト教圏で生まれるのか。それは、

 

求めよ、さらば与えられん。尋ねよ、さらば見出さん。

門を叩け、さらば開かれん   新訳聖書「マタイによる福音書」より

 

 全ては「聖書」の思想を人生や経営に当てはめて書いてあるわけで、信仰がないと実践に移すパワーが漲らない。

 

  私はクリスチャンだが、塾では信仰の話はしない。日本には信仰の自由があるし、宗教というと変な人だと思われがち。

「私の息子(娘)を洗脳する気か!」

  と、抗議されかねない。

 

 私の経験によると、99%の生徒は

「高木先生は生まれつき賢いから」

 と言って、私の言うことに耳を傾けてくれない。でも、ごく一部の耳を傾けてくれる生徒には「10年の法則」を教える。それが、どれほど彼らの背中を押すかお分かりだろうか。

  私の塾生は、京大医学部、阪大医学部、名大医学部などの旧帝に次々と合格していった。こんな三重県の片田舎の小さな個人塾なのに。

 

 こういう世界に「ビリギャル」の入り込む隙間はない。

「中学生、高校生に本物の生き方を見せてもヒットしない」

 というのは間違った思い込みで、生徒をなめているとしか思えない。

 

 しかし、私は声高には言わない。イエス様の言われたことは全て正しいのだけれど、結果は十字架上の磔だった。

  私は塾講師だから、塾生を「合格」に導くのが仕事だ。自分で英語検定1級、通訳ガイドの国家試験、国連英検A級、ビジネス英検A級に合格してみせた。ノウハウを知っている。

  文系でも、数学Ⅲを指導できるまで数学を身につけた。センター試験を10回、京大二次を7回受けて合格するためのノウハウを知っている。

 

 そして、それを教えた生徒は難関旧帝に合格していった。

  ところが、その肝心要のノウハウを口にすると

 

「何を威張っとんのんや!」

「そんなのは生まれつき」

「あんたの方法が誰にも当てはまるわけないやん」

「ただ恵まれていただけ」

 

  と罵詈雑言が飛んできた。イエス様だけではない。正しいことを言った坂本竜馬は暗殺された。上記の記事の教師も、正しい行為をしようとしたら暴行を受けた。私は殺されたくないし、暴行を受けたくもない。

 

「人は、自分がなりたい者になる」

 

 と話したら、念仏のように

「ボクは四日市高校生になりたい」

 と念仏のように唱えていた子もいる。“求めよ、さらば与えられん”なのに、全然求めていない。念仏を唱えるのではなくて、問題をやりまくることを求めると言う。この程度の理解では救われない。

 

  それで、本当は信仰の持ち方や効用を話したいのだ。それがないと「10年計画」は相手に伝わらない。しかし、ほとんどの子は

「信仰と成績になんの関係があるんですか?」

  というレベル。

 

 通常授業でも、最高のヒントを出しても

「授業と関係のないことを言わないで下さい」

 と言われてしまう状態。

 

  迂闊に語っても、罵詈雑言が飛んでくるか、まったく理解されない。だから、私は相手を選んで合格の秘訣を話してやることにしている。

 

  英検2級くらいまで頑張った子にしか、1級合格の秘訣は語れない。四日市高校に合格できるくらい頑張った子にしか難関合格の秘訣は理解できない。ABCしか知らない子に1級の話をしても無意味だし、中学レベルの方程式があやしい子に微分積分を語っても身につかない。

 

  ましてや、教師に暴力で反抗する子など論外。“落ちこぼれ”を称賛するドラマなど論外。でも、正論が通じる人はなぜか少数派で嫌われる。私のように。

 

第百三十四章

「2つのトルゥース」(1)

  この世には2つの真理がある。

  In my view, there are 2types of truth.

 

1つは、1+1=2のように誰にも理解できる客観的な真理。つまり、サイエンス。水準が上がると、誰にでもとは言えなくなるが、一応誰にでも道は開けている。

The one is I say scientific truth.  !+1=2 Everyone can understand it.  Inadvanced math, it must be difficult to understand it.  However it is still open to everybody.

 

もう1つはの真理は、レリジョン。つまり、体験型の真理だ。「子供は可愛い」という言葉は小学生にも分かるが、その意味するところは自分が親になってみないと本当には理解できない。

The other is religion.  We can say we have to experience and makesure it is true.  People say our childrenare precious but we can understand what it really means after having our ownchildren.

 

私は山岡荘八さんや司馬遼太郎さんの歴史小説をたくさん読ませてもらった。とても刺激を受けた。しかし、織田信長や坂本竜馬の気持ちが本当に分かったと思えない。

信長は、自分の弟を殺し、長島や比叡山で大量虐殺をしている。自らの手で人を殺した気持ちを小説を読むだけで分かるはずがない。

I’ve read many books written about Japanesehistory.  However I don’t think Iunderstood great people.  Some warriorskilled a lot of people.  It is impossiblehow they felt.

 

 

証明の方法も異なる。

The way how to prove it is also different.

 

  サイエンスは、皆さんが学校で習った「合同の証明」のように誰もが理解できるノウハウがある。

  Wehave a clear method to prove it in science.

 

ところが,

But some people criticize when we say

 

「人は考えたとおりの人になる」

  People will be those whom they really wantto be.

 

 と、言うと異論が出る。私は自分で実行してみて「真理」だと納得しているが、合同の証明のように他人に解説できない。いくら

「絶対に無理だと思った英検1級に合格できた」

「文系なのに数Ⅲを指導できるようになった」

 と、体験を語っても自分で成功体験のある生徒しか同意してくれない。試したことがない生徒は

「先生、なんかの宗教にかぶれてんの?」

 といった反応しか戻ってこない。

  Imyself believe this is right through my experience, however some of my studentsdon’t accept it.  Even if I could passsome difficult English tests or could master advanced math using thisphilosophy or belief, only good students understand what I mean. 

 Some students say

“Are you brainwashed bysome sect of cult?”

 

そのとおり。私はクリスチャンで、

Yes. I am a Christian.

 

「叩けよ、さらば開かれん」(新約聖書、マタイ伝、山上の垂訓)

Knock, and it shall be openedunto you.

 

 を信じている。

 

第百三十五章

「2つのトルゥース」(2)

 

  受験指導をしているとハッキリ分かるのだが、難関高校、難関大学に合格していく子たちは「信念」のようなものを持っていることが多い。

「やれば、絶対にできる」

 という固い信念だ。どんなに成績が落ちても、客観的状況が絶望的でも諦めない。

  My good students have somebelief or faith, which let them study hard enough to pass the entrance exam togood universities.  However bad situationthey are in, they never give up their dream.

 

  これは、受験勉強だけに通用する話ではない。イエス様は受験生に語りかけたわけではない。私は塾経営をしている経営者だ。アメリカに住んでいる時に「思考は現実化する」(ナポレオン・ヒル)を進められて読んだことがある。イエスの山上の垂訓を経営に応用したような気がした。

  I’mnot writing about the preparation to good universities.  Jesus is not talking to only examinees.  I’m running my own school.  My American friend recommended to read Think and Grow Rich. It is written using Jesus' words in the Sermon onthe Mount

 

 では、この本を読んだ人は全て大富豪になったか。答は「ノー」だ。この本が歴史的名著で世界で7000万部も売れたベストセラーであることは知っているが、読むだけではダメなのだ。

  Myquestion is “Did everyone who read this book become rich?”  The answer is no.  Then why? My answer is that they didn’t make enough efforts.  The principle is right, though.

 

  サイエンスではないので、「実際に行動に移してみる」「その結果を確かめる」ことが欠かせない。英語名は「Think and grow rich」だが、本当に豊かになれるか否かはほとんど実行力で決まる。

  This is not science andwe need to put this belief into practice to prove it.  In short, this is not theory but practice.

  私が

「英単語は6000語覚え、数学は2000題解く」

  と、基本的なデータを塾生に教えると

「そんなことしたら、クラブの時間がなくなる」

「人生、勉強だけではない」

  と、異論が出まくる。私の経験から分かることは、実行して信念の有効性を知っている子は

「できない」

  と言わないこと。一見、無謀や無茶と思えても

「やってみなはれ」

  となる。やりもしないで、ゴチャゴチャ言う子には、一生「成功哲学」は理解できない。

  Numbers show examineeshave to memorize more than 2000 English words and solve 2000 math problems topass the entrance exams to good universities.  When I tell this to my students, some of themsay

“We will lose time to playtennis in club activity.”

 This is ridiculous.  What ispriority?

 Students who like excuses won’t understand the important view of life.

 

  だから、受験指導をする場合、教科内容もさることながら「信念」を体系化した「信仰」を教えないと一流になれない気がする。難関高校、難関大学に合格するには有効な武器になるからだ。

 So when we teach students, we should helpthem to understand the power of faith to pass the entrance exam to top schools. It could be a great help.

 

  ところが、どんなに工夫して語っても学年上位の子しか理解というか同意してもらえない。これが、長年の受験指導から分かった現実だ。ナポレオン・ヒルの名言と言われるものを書き出してみると、

  However my experience let me know only goodstudents want to hear my story about faith.

 

「君にそんなことができるはずはないよ」と、あなたに言ったのは誰ですか?その人は、あなたの限界を定める資格を持つほど、大きな成功を収めたというのでしょうか?Who told you that you could not do it?  Is the person qualified to say such a thingwith a great success?

失敗や逆境の中には、全てそれ相応かそれ以上の、大きな利益の種子が含まれている。人間に挫折や失敗はつきものである。問題は、そこから教訓と成功の糧を引き出せるか否かである。Every single failure has an equivalent seedof success.  The important thing is tolearn the lesson from the failure.

もし偉大なことができないのならば、小さなことを偉大なやり方でやりなさい。目標も計画もなしに成功はありえない。あなたが失敗する理由は、一日延ばしの習慣にある。 If youcannot a great thing, you should do it in a great way.

心の中に限界を設けない限り、人生に限界なんか存在しない。人生の歩みは自分自身の心から始まり、自分自身の心で終わるのです。We have no limit if we don’t have it in our mind.

  私は絶望しているかというと、そうではない。ナポレオン・ヒルの本は歴史的名著でも、いつの時代もナンバーワンのベストセラーは「聖書」なのだ。聖書は不思議な書物で、ビジネスでも、家族関係でも、恋愛でも、なんにでも有効な言葉にあふれている。

  Idon’t despair.  The bible tells theimportant things to people.  A lot ofuseful things are in the book.

 

  この本が売れる。クリスチャンが大勢いる。これは、何を意味するのか。ネガティブに生きる人も多いけれど、ポジティブに生きる人もいるわけだ。塾生もそうで、ネガティブな生徒もいるしポジティブな子もいる。

  The bible is always bestseller.  There are a lot of Christians.  What does this mean?  Many people are living in a positivethinking.

 

  私が検証した「10年計画」は一部の塾生の子の背中を押しているのは確かだし、今最後の「10年計画」の実行中だ。これも、人に話すと「無謀だ」と言われるのが確実なので、人には話さない。

  Those who are living in a negative thinkinggive me negative view if I tell my philosophy. So I try to talk only with positive people.

 

 

 

 

第百三十六章

「2つのトルゥース」(3)

 

  私はイエス様やナポレオン・ヒルが「実証してみなさい」という言葉に従ってきた。行動が伴わない学者が一番嫌い。

  I’ve tried to follow thewords of Jesus.  I don’t like the personof words.

ヤコブの手紙 2章
14節―26節「行いを伴う信仰」

聖書2:14 わたしの兄弟たち、自分は信仰を持っていると言う者がいても、行いが伴わなければ、何の役に立つでしょうか。そのような信仰が、彼を救うことができるでしょうか。 15 もし、兄弟あるいは姉妹が、着る物もなく、その日の食べ物にも事欠いているとき、16 あなたがたのだれかが、彼らに、「安心して行きなさい。温まりなさい。満腹するまで食べなさい」と言うだけで、体に必要なものを何一つ与えないなら、何の役に立つでしょう。 17 信仰もこれと同じです。行いが伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだものです。

 James 2:14-26New Living Translation (NLT)Faith without Good Deeds Is Dead

14 What good is it, dear brothers and sisters, if you sayyou have faith but don’t show it by your actions? Can that kind of faith saveanyone? 15 Suppose you see a brother or sister who has no foodor clothing, 16 and you say, “Good-bye and have a good day;stay warm and eat well”—but then you don’t give that person any food orclothing. What good does that do?

17 So you see, faith by itself isn’t enough. Unless itproduces good deeds, it is dead and useless.

 生徒の方はよく

「私は精一杯やりました!」

  と、言う。

も、よく聞くと

「宿題を精一杯やりました」

  という意味だと分かって愕然とする。そんなことを精一杯やったと言わない。誰でもやっていることだから。

  Someof my students say

“I did my best.”

  Then I ask what theydid.  They say they did homework.  It doesn’t mean you did your best becauseeverybody does it.

私は高校時代、クラブを諦め「食べて、寝て、風呂に入る」以外は全て勉強に当てた。その結果、受験日の5日まえに神経衰弱で倒れて入院騒ぎを起こした。とても人に勧めたり、威張れることではない。しかし、精一杯やるという一例にはなる。

  Istudied except when I eat, sleep and take a bath.  It sent me to a hospital.  Ridiculous I know.  However it is one case you did your best.

 

「自分はやる気があるんだ」

 という生徒がいても、行いが伴わなければ何にもならない。「体験型の真実」というのは、限界まで行動に移した人にしか理解できない真実なのだ。

 It is easy to say I did my best.  But is it really your best?  Maybe not. Do you know your limit?

 

  A子ちゃんは、母親が生命保険を解約してまで自分の学費を捻出しようとしてくれたことで

「どんな手を使ってでも必ず合格して期待に応える」

 と頑張った。火事場の場の馬鹿力というやつだろう。私はそういう「精一杯やった」子をたくさん見てきた。

  When A knew that her mother canceled her insurance plan to prepare forher tuition fee, what she did surprised me. I say she did her best. 

 

「クラブを楽しみ、好きな子と会話を楽しみ、生徒会活動を頑張り、文化祭や体育祭を一生懸命やり、残りの時間で精一杯勉強しました。バランスが大切だと教わりましたから」

 

 “My teacher said it was important for us to study, playtennis, work for students’ body and do other things.”

 

  私は、こんな他人の作り上げた「理想の学生像」をなぞっているだけの子で、難関高校や難関大学に合格した子を知らない。

   Idon’t think the students who just obey what teachers said can pass the entranceexams to good schools.

 

第百三十七章

「2つのトルゥース」(4)

 

  ここに39通の「不合格通知」と「合格通知」がある。英語の資格試験を受けていた頃の記念品だ。センター試験の10枚の受験票と、7枚の京大二次試験の受験票も記念にとってある。

  私の場合、英語の資格試験は20歳で決意して、英検1級に合格する30歳までの10年間のことだ。その間に、大学を卒業し、社会人となり、結婚し、子供が生まれた。

  状況が激変した。経済的に苦境に陥ったり、仕事が忙しくて勉強する時間がなくなったり、

「中学生を指導するのに1級は要らない」

  とも思った。

 

“求めよ、さらば与えられん”

 

 この“求めよ”は、そういう意味だ。1回や2回試験に落ちたから諦めましたでは、求めたことにならない。こんなことは、私が書くまでもないことだ。腕の良い料理人であれ、数学の権威であれ、私など足元にも及ばない時間とエネルギーをかけてその道を極める努力をされている。

  エネルギー保存の法則をご存知だと思う。臨界点までエネルギーを注ぎ続けたらドアが開くのは真理である。これは、信念であり、サイエンスの真理でもある。信じるに足る。

  できるだけ多くの人に夢を実現してもらいたいものだ。私など文才もないし、小さな行為のために説得力は身近な生徒の子だけしか無理。でも、聖書もあれば、ナポレオン・ヒルの成功哲学もある。

  希望はある。

 

  学歴がないなら、「-賞」なんて山ほどある。オーディションもある。遅すぎることなどない。私は50代で高校生と一緒に京大を7回受けました。何の賞もないなら、ブログや動画で発表して直接読者や視聴者に訴えればいい。

 

  信長や竜馬の時代に学校はなかった。アメリカにはクラブ活動の制度などなかった。成績上位の子は、受験科目以外は捨てて内職をする子が多い。

  あなたを取り囲んでいる制度、常識を疑うべき。そんな評価はどうでもいい。馬鹿げたアイディアでかまわない。勇気を持ってチャレンジしてください。信念の力が分かるはずです。

 

第百三十八章

「神様は乗り越えられる試練しか与えない」(1)

 Godwill not let you be tempted beyond what you can bear

(1)

 26歳でアメリカから帰国したとき、私は

「無職で、貯金なし、資格なし、彼女なし、何にもなし」

  の状態に陥った。アメリカから名古屋の塾や予備校で雇ってもらおうと送った7つの履歴書は返事が来なかった。お金はアメリカで使い果たした。彼女をつくるヒマなどなかった。生きていくことで精一杯だったのだ。

  When I came home fromAmerica, I had no job, no saving, no certificate and no girlfriend.  Nothing really.  From America, I had sent 7 resumes but noresponse. 

  それで、実家の近くのアパートの一室で塾を始めるしかなくなった。人口1万人ちょっとの三重県の片田舎なので、都落ちと言うか「負け組み」とさえ言えない状況だった。

  Ihad no choice but to start my own school in a small apartment house near myparents’ house.  I was a loser.

 

  そこから塾を軌道に乗せて、英検1級に合格し、名古屋の塾に勤務を始めるまでの10年間は、銀行の融資を受けるため親戚に頭を下げまくり、英検には何度も落ち、結婚は向こうの親に反対され、散々な目にあった。

  Inorder to get more students, to pass the 1st grade of STEP test andto begin to work for schools in Nagoya, it took me 10 years.  I had to ask my relatives to obtain aloan.  I failed in the English tests manytimes.  My wife’s mother opposed to ourmarriage.

 

(2)

  やっと危機を乗り切れるかと思った40歳の頃に、奥さんと別居となった。ちょうど、バブルがはじけて名古屋の仕事がなくなり、少子化と、大規模塾の進出が重なり、プライベートな生活も仕事も危機に陥った。

  At the age of 40, we wereseparated.  The bubble economy having continued fromaround the end of the Showa period collapsed at that time.  I lost my job in Nagoya and the number ofchildren in Japan had decreased.  A bigschool opened near our town.  My privatelife and business fell into crisis.

  そこで、危機を脱出する方策を考えた。子供たちの大学進学時期と重なりお金が必要だったのだ。取れる対策は2つ。1つは、英語と数学の塾から5科目の塾に転換させること。つまり、横方向への拡大だ。

  Ihad to find the way to escape the crisis. My children went to schools and I needed much money.  There were 2 ways..  The one was to teach not only math andEnglish but also science, Japanese and social studies.

 

第百三十九章

「神様は乗り越えられる試練しか与えない」(2)

 

もう1つは、指導する学年を高校生に広げること。つまり、縦方向への拡大だ。

両方やることにした。

The other was to teach senior high schoolstudents.  I started both of them.

 

 それは、中学校の理科・社会・国語と、高校の英語・数学をマスターすることが必要ということを意味した。10年間センター試験を連続して受けた。京大は7回受けた。文系だったので「数Ⅲ」の独学は大変だった。

  So I had to study hard.  I took センター試験 10times.  I took the entrance exam to theUniversity of Kyoto 7 times.  It was hardto study math especially.

 

(3)

  ところが、それでも不況は収まらず少子化は進み続けた。そこで、通信生を募集することにした。マスコミを使えるわけがないので、普及しだしたSNSを利用することにした。Youtube に動画を投稿し、アメブロを書き始め、storys に投稿し続けた。

  We were still in recession andthe number of students was decreasing.  So I decided to start the correspondent courseI didn’t have enough money to use mass media. SNS was spreading.  I began tocontribute to Youtube and started blog.

 

  動画は34万回再生、ブログは「受験生ランキング1位」となった。しかし、それでも子供の教育資金の返済をすると生活ができないほど追い詰められた。万事休すかと思ったら、塾生の子たちが「京大医学部」「阪大医学部」「名大医学部」などに合格し始めた。

  Mypictures were played back 340000 times  Ameba blog examinees ranking has beenNo1.  However it was still difficult topay back for the loan of my children’s tuition fee. I was almost over. Atthat time, my good students passed the entrance exams to very good studentslike 京大医学部、阪大医学部、名大医学部

 

  ふと気づいてみたら、英検1級・通訳ガイドの国家試験・国連英検A級・ビジネス英検A級に合格し、中学レベルは5科目指導が可能になり、高校数学と英語が指導できる講師になっていた。塾は、北海道から九州まで通信生がいる地元の優秀な生徒が集まってくれる塾になっていた。

  I could passed someEnglish tests and had some correspondent course students from Hokkaido toKyushu.

 

 よく

「どうしたら、そんなに勉強が続けられるの?」

 と聞かれる。やりたくてやってきたわけではない。危機的状況に陥らなかったら

「名古屋大学教育学部卒業の、英語講師」

  で一生を終えていたはずだ。ネットなど無関係のジジイになっていたはずだ。高校生に混じって京大を受けるなんて狂気の沙汰と思っていたことだろう。

  Mystudents sometimes ask me

“Why can you continue tostudy so long?”

 This is just a coincidence.  Somecrises helped me.  Without such crises, Imight be just an English teacher.  I wasnot good at SNS.  Taking the entranceexam to the University of Kyoto must not have been mine.

 

 では、

「ピンチは忌むべきものか」

 と尋ねられたら、なんとも言えない。避けたいものではあるが、ピンチがなかったらこれほど真剣に人生を生きていなかったのは間違いない。

  Then

“Are all the crises bad?”

 I cannot say yes or no.  Withoutsuch crises, I could not confront my life so seriously.

 

新約聖書のコリントの信徒への手紙一(コリント人への第一の手紙)の10章13節

あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。  

Notemptation has overtaken you but such as is common to man; and God is faithful,who will not allow you to be tempted beyond what you are able, but with thetemptation will provide the way of escape also, that you may be able to endureit.

 

  私はバツイチだし、特に何かに成功したわけでもない。とても胸を張って語れるような人生を送っているわけではない。ただ、クリスチャンでよかったと思っている。もし、イエス様の言葉を知らなかったら、ヤケ酒で身を持ち崩したかもしれない。DV夫になっていたかもしれない。

  Igot divorced.  I’m not successful.  My life cannot be a model to anyone.  However it must be good to be aChristian.  If I don’t know thescriptures, I might have become DV man.

 

第百四十章

「人にしてもらいたいと思うことは何でも人にしなさい」

出典「新約聖書」-マタイによる福音書(マタイ伝)第七章http://imgp-a.dena.ne.jp/exp1/20090123/110/155350829_1.jpg

「新約聖書」-マタイによる福音書(マタイ伝)第七章
私は塾で授業をする時に、

  つぎつぎの閉鎖が相次ぐ塾業界だけれど、30年以上にわたり支持されてきた。同じ業界の人から、その秘訣を尋ねられることもある。それは、自分がクリスチャンだったからかもしれない。

「目先の利益より塾生の方の満足感を優先してきた」

 と言うと、きれいごとに聞こえるだろうか。

 

 合格判定テストのコンピューターやソフトのデータ収集は大金がかかった。それで、投入する資金が回収できるか誰にも分からない。英検1級などの資格試験も、勉強のためにも受験料もお金がかかった。センター試験を10回受けると、18万円。京大受験は受験料、交通費、宿泊代をふくめて7回で50万円くらいかかった。

「京大合格の英語力、数学力が本当に必要か。

 疑問に思わないわけではなかった。

 

 でも、踏み切った時は

「人にしてもらいたいと思うことは何でも人にしなさい」

  という聖書の言葉が背中を押すのだ。私は北勢中学校時代、本当に自分の学力中が知りたかった。合格可能性が知りたかった。四日市高校時代は、解けない数学の問題を前に呆然としていた。

「誰か、解き方を教えてくれ!」

 という切実な思いがあった。だから、塾生の方が望んでいることは、すぐに分かった。それを実現するには思いだけでは足りない。行動に移さないと、信仰と言えないのだ。たとえ、困難な事態が起こっても、神様は乗り越えられない試練は与えられない。何とかなる。そう思ってきた。

  私の友人の塾経営者は、私が勉強に使うお金をゴルフ、ギャンブル、飲み代、愛人に使っていた。そんな塾経営者に負けるわけがないと確信していた。

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