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15/12/23

第百三十六章 神様は乗り越えられる試練しか与えない(1)

Image by Olia Gozha

第百三十六章

「神様は乗り越えられる試練しか与えない」(1)

 Godwill not let you be tempted beyond what you can bear

(1)

 26歳でアメリカから帰国したとき、私は

「無職で、貯金なし、資格なし、彼女なし、何にもなし」

  の状態に陥った。アメリカから名古屋の塾や予備校で雇ってもらおうと送った7つの履歴書は返事が来なかった。お金はアメリカで使い果たした。彼女をつくるヒマなどなかった。生きていくことで精一杯だったのだ。

  When I came home fromAmerica, I had no job, no saving, no certificate and no girlfriend.  Nothing really.  From America, I had sent 7 resumes but noresponse. 

  それで、実家の近くのアパートの一室で塾を始めるしかなくなった。人口1万人ちょっとの三重県の片田舎なので、都落ちと言うか「負け組み」とさえ言えない状況だった。

  Ihad no choice but to start my own school in a small apartment house near myparents’ house.  I was a loser.

 

  そこから塾を軌道に乗せて、英検1級に合格し、名古屋の塾に勤務を始めるまでの10年間は、銀行の融資を受けるため親戚に頭を下げまくり、英検には何度も落ち、結婚は向こうの親に反対され、散々な目にあった。

  Inorder to get more students, to pass the 1st grade of STEP test andto begin to work for schools in Nagoya, it took me 10 years.  I had to ask my relatives to obtain aloan.  I failed in the English tests manytimes.  My wife’s mother opposed to ourmarriage.

 

(2)

  やっと危機を乗り切れるかと思った40歳の頃に、奥さんと別居となった。ちょうど、バブルがはじけて名古屋の仕事がなくなり、少子化と、大規模塾の進出が重なり、プライベートな生活も仕事も危機に陥った。

  At the age of 40, we wereseparated.  The bubble economy having continued fromaround the end of the Showa period collapsed at that time.  I lost my job in Nagoya and the number ofchildren in Japan had decreased.  A bigschool opened near our town.  My privatelife and business fell into crisis.

  そこで、危機を脱出する方策を考えた。子供たちの大学進学時期と重なりお金が必要だったのだ。取れる対策は2つ。1つは、英語と数学の塾から5科目の塾に転換させること。つまり、横方向への拡大だ。

  Ihad to find the way to escape the crisis. My children went to schools and I needed much money.  There were 2 ways..  The one was to teach not only math andEnglish but also science, Japanese and social studies.

 

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