無事、日本にたどり着いた、もいける娘。
着いて間もなしに始まった代々木ゼミナール(以後、代ゼミ)帰国大学受
験コースは、所沢にある我が妹宅から代々木まで、8月の終わり頃まで
のほぼ6週間、毎日通うことになります。
帰国子女枠大学受験は、帰国子女が珍しかった一昔と違い、端が思う
ほど生易しいものではない。文系の試験科目は、英語、ドイツ語、フラン
ス語の中から一科目選択する外国語(論文も含む)、国語(高3程度)、
日本語での小論文、そして最後が面接です。
もいける娘が通った代ゼミでは、受験国語、受験英語の基礎知識、現代
文基礎読解、小論文表現法、テーマ別小論文研究とその演習等等。彼女
のコースは9時から12時半まで。他に午後のコースもありますが、我が
家は金欠病のため、午前中のみ(^^;)代ゼミではコースの仕上げに面接
演習もあります。
後日、娘が言うことには、「代ゼミのコースを取らなかったら、恐らく自分は
受験にパスしなかっただろう」
受験のノーハウは勿論ですが、世界中から帰国して集まる受験生の熱気に
当てられる。気合が入るという意味で、これはかなりプレッシャになると同時
にやる気を起させる環境に自らを投じることになります。
小論文は毎日のように書かされていましたが、この頃の彼女はむしろそれを
楽しんでいたように見受けられました。書くことによって、自分の考えをある
程度、まとめることができます。
参考がてら、もいける娘の受講したコース、月曜日から金曜日9時から12時
20分までの6週間で25万円なり。これでも一番安いコースです。
しかし、日本の大学受験のなんたるかを知らない受験生にとっては、代ゼミの
コースは多くのことを教えてくれたのではないかと思います。
日本の大学受験準備については、もいける娘の場合、運がよかったこともあり
ます。ひとつには、我が妹が東京近辺に住んでいて、しかも代々木まで毎日な
んとか通える範囲に住居があったこと。
そして、受験結果がきちんと出る秋までの4ヶ月間、下宿代わりとして食費のみ
でそこに投宿できたこと。これがなかったら・・・・夢実現への道のりは更に困難
をきたしていたことでしょう。
当時はメッセンジャーで二人、小論文の課題について話したりすることも多く、
思わず知らず、わたしまでもが、学生気分になり熱くなったりしていました。
そういう中でも、相変わらず下のような粗忽をしっかりやってはいたもいける娘
ではあります。
母の日記
もいける娘、長年の夢をかなえての日本行き(本人に言わせれば帰国なのだ
そうな^^;)、今日でちょうど一月になります。この2日間、メッセに名前が見ら
れず、どうしたのかと思っていましたら、やっとこちら時間の午前10時ころ
(日本時間午後6時)あがってまいりました。
こら、逃げるな、と思っておりましたら、なんのことはない、日曜日だというのに、
本日はゼミでテストだったとか。
それで、問題はテストでなくて、その後に起こったとなのです。
ゼミで知り合った友達と都内の早稲田大学校舎を見学にいったのだそうです。
見学中トイレに入り、その後ぐるりと学園内を回って帰宅して、気がついた!
「これまでの勉強をしっかり整理したノート、トイレに置いてきたーーーー!」
・・・・・・・・
ここまでこのわたしに似ていたとは、なぐさめの言葉もありません。
で、どうなったかと言いますと、彼女のおばにあたる、わたしの妹がその大学
の緊急連絡先となる警備員に電話し、探してもらったとか・・・真夏のこの暑い
なか、ソコツものの見学者のために、あちこちのトイレを探し回り、警備員さん
もごくろうさまなことであります。
メッセで彼女と話している間に、警備員さんからノートが見つかったと電話が
入りました。
まったく、まちがってそのW大学に入学したら、あんたのことです、きっとそう
いうことを度々やらかして、警備員さんのお世話になるに違いない。
明日、ノート受け取りに行くときは、ちゃんとお礼の箱菓子、持って行くので
ありますよ、と忠言。受験前からそんなことやってて、どうするのやら・・・
さて、大学の彼女の感想はと言うと、
「うん。すごく広かった。人がほとんどいなかったし」
当たり前だす、今日は日曜日だ・・・あぁ、先が思いやられそう。