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15/12/15

リアルな「ガウディ計画」の話 〜技術屋を目指して編〜

Image by Olia Gozha

 今からもう20年近く前の話ですが、2015年の連続ドラマ「下町ロケット 第2部ガウディ計画」のストーリーに近い状況をリアルに経験したことがあるので書いてみます。関係した企業、病院などに了解を得ているワケではないので、そういった部分に関してや、企業名、製品名、個人などが特定できるような部分はすべて伏せさせて頂きます。ご了承ください。


 私は子供の頃から飛行機やロケットに興味があり、また親父が空港職員的な仕事をしていたこともあり飛行機をどちらかというと身近に感じることができる立場にいたので、初めはパイロットになりたいと思うどこにでもいるような子供した。

 それが何時の頃からかははっきりしないのですが、飛行機を飛ばすということよりも「飛行機を作りたいという気持ちの方が強くなり、高校卒業時には漠然と「航空機の設計に携わりたい」と思うようになっていました。どこでどう変わってきたのか本当に思い出せないんですよね、思い当たるものが。とにかく、なぜか飛行機の設計がしたいという気持ちが強く、大学進学は航空工学が学べるところへ!という希望はあったんですが、、、他にも希望者は多くて、私が大学受験をした当時に航空工学が学べる大学など非常に少なく、中学高校と部活をすることにだけを生きがいとしていた様な不真面目学生が受かるわけもなく、3流私大の当時流行っていた機械システム学科というところになんとか入学。

 そこから航空工学を勉強するぞ!!と、内に秘めたる志だけは大きく、でも実際には自力で勉強することにも限界があり、「こりゃ〜ダメだ」とさっさと諦めていました。(結果的にその道には進まないんですが)


 そんな自分に将来進むべき道を示してくれた出来事が2つあります。

 1つは、通っていた大学の学長先生の言葉です。この学長先生に教えられたことは沢山あるんですが、

 印象に残っているのは

学長先生「技術や知識は後の代に伝えてこそ意味がある。その人だけしか使えない技術や知識は学者の自己満足でしかない。」

学長先生「成功したことから学ぶことは少ないが、失敗したことからは多くのことを学ぶことができる。失敗を恐れずに何にでも挑戦してください。」

 この2つの言葉です。

 将来自分が仕事をするということに関して、全く明確なビジョンを持っていなかった私に対して、なんでもいいので技術職に就きたいと思う気持ちを植え付けてくれた言葉になります。

 またこの学長先生はちょっと変わった方で、実験などで学生が失敗することを特に止めるようなことはしない方でした。例えば、学長先生に実験の計画書や実施したい試験内容などを説明するとします。今までの経験上明らかにその実験や試験が失敗すると予想がつくような場合でも、危険を伴わない、設備などを壊さないという予測が立つと「わかりました、じゃあやってみよう!」ととりあえず試験をさせてくれます。結果は、、、当然失敗、さっそく反省会を開き何が問題であったのかをみんなで話し合います。そういった時にも余程見当違いの方向に進まない限り意見を意見を言われるようなことはなく、学生の話し合いに耳を傾けるだけ。学生が煮詰まったり、見当違いの方向に進み始めると、初めてヒントになるような書籍のことや、学術論文などを教えてくれます。そんヒントを元に学生は再度失敗原因の調査をし反省会を実施。やっと何が原因で、どこをどうすれば結果が得られたかにたどり着く。そして新たな試験や実験の計画を実施することになるんです。

 教える側からすれば、結果が出ないような失敗実験はなるべく避けて進める方が楽だと思うのですが、辛抱強く、学生が自分達で考える、どこに問題があったかを調べる方法をたくさんの可能性の中から選択して検討する。そういった技術やにとっては当たり前とも言うべきことを、直接言葉にするのではなく態度で教えてくれた学長先生でした。


 ついでに、技術職につこうと思った教えではないのですが、この学長教授からはもう1つ技術職についた以降で私にとってとても重要だと思う言葉を授けられています。それは、

「技術屋で仕事をしていきたいならば、自分が作った製品に対して完成した時に3つ以上の問題点を見つけるようにしなさい。それが出来なくなったら現場の技術者としての仕事は辞めた方が良い。」

 この言葉も後々私の大きな影響を与えることになるのですが、それはまた後ほど記述することにします。


 さて私が技術職につこうと考えたもう1つの理由は、自分自身と親父にふりかかったことです。

 私自身は生まれついて両足に障害があるにも関わらず、他の人と同じようにスポーツなどをしていたという状況だったので、日常生活の中で「病院へ行く」ということは特に特別なことでもなく、ある意味日常的なことだったんですが、親父も足に問題があることがわかり、手術をし日常生活では杖が必需品という生活を余儀なくされていました。また、親父の場合結構高齢になってからの手術だったため、リハビリにもかなり苦労をしており、そういう苦労を間近で見てきていたことが漠然と医療機器、特にリハビリ用の機材や患者さんの生活サポートをするような機器を作ってみたいという気持ちにつながっていました。


 この2つのことが、私に「医療機器関連の研究開発業務に就きたい」という、飛行機の設計に代わる新たな目標となりました。まぁ、如何せん通っているのが3流私大だったので「医療機器関連の工場勤務でも可能!そこで真面目に働いて、そのうち開発業務の方へ移動しよう!」という安パイの目標も持っていましたが、、、。


 こうやって、私はいつの頃からか持っていた技術職の仕事に就こうという目標にさらに向かっていくことになるのですが、最初の航空関係の技術職から医療関係の技術職に若干の修正はされましたが、、、。


以下 続く

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