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15/12/7

第百十五章 私は『京大ラッキーセブン』

Image by Olia Gozha

第百十五章

私は『京大ラッキーセブン』


  私が四日市高校に合格できたのは、両親が平和な家庭生活を与えてくれたからだ。名古屋大学は、さすがに5日前に入院したから受験中に倒れると思った。しかし、その年は教育学部のボーダーが低かったし最後まで倒れずにすんだ。

  英検1級も通訳ガイドの国家試験も、バブルで塾がうまくいってネイティブの指導を受けるお金も時間の余裕があったから合格できた。今ならムリだ。A子ちゃんが来てくれなかったら京大を受けようなんて思わなかった。文系なのに数学Ⅲを勉強しようと思わなかった。

  アメリカでタイプを習って帰国したら、ちょうどパソコンの普及が始まった。キーボードを打てる私はラッキーだった。バブルでなかったら銀行から融資を受けて完済することは出来なかっただろう。

  そして、何より健康で還暦を迎えられそうだ。子供たちも健康で、離婚してもグレもせずまっとうに仕事をしている。本当に運がいい。子供の頃は、日本は高度経済成長のど真ん中。仕事を始めたら、バブルのど真ん中だった。

  アメリカで出会った人たちも、本当に良くしてくれて良い人たちばかりだった。信じられないような幸運だったと思う。これだけ多くの人に支えられたからこそ、

「子供たちをまっとうに生きれるように支えてやりたい」

 と思えたのだろう。私個人の努力などわずかなもの。ほとんどは、時代の波に乗せてもらった気がする。


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