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15/12/7

1km走って足がつっていた僕が、東海道53次を走ったら、ゴビマラソン250kmまで完走して世界一になった話。

Image by Olia Gozha



その1.「はっ?砂漠を250km走った人がいる?何それ??」


僕のゴビマラソンの物語の原点はここに行き着く。

2014年の5月。

サハラマラソンを完走した人が行ったサハラマラソントークライブだ。


当時僕はまだランナーでもなかったし、

マラソンで一番長い距離が42.195kmだと思ってたくらい。


当時の僕は嫌なことを言われたりする会社から逃げ出すために、

いまよりもっと自由で贅沢な人生を夢見て

ビジネスや自己啓発セミナーに通っていた。


しかし、そういった知識の学びで行き着くところは、

「コンフォートゾーンを飛び出すこと」

「やったことのないことに挑戦する勇気」

「実際に行動する勇気」

になる。


やることがわかった後は、実行するかどうか。

言われてみれば当たり前だが、結局はそうなる。


だけど。


だけどっ!


やったことないことって、怖いっ!


うまくいかなかったらどうしよう!


人から嫌われたらどうしよう!


やる方法はたくさん知ったけれど。

結局いつも怖くて踏み出せない。

行動できない。


そんな自分にいきつき、そして怖さに負けて行動できない。

そして変わらない毎日が続いていた。


(僕は変わりたい。でも怖い。)


(じゃあ、どうすれば恐怖を乗り越える勇気が持てるのか?)

(どうすれば根拠のない自信をもつことができるのか?)


僕は心を強くする方法を探し求めていた。


そんな中、もうセミナー巡りはこれでおしまいにしよう。

当時よく知らなかったけれど、

なんだか盛り上がってるアンソニーロビンズのセミナーに参加した。



そこでこんな言葉を教わった。

「恐怖を感じる時は足や体が震えるだろ?恐怖は体で感じるんだ。」

「だから、心を強くするには、体を鍛えるんだ!」


よくわからないけど、確かに恐怖は体で感じるなぁ。


その頃イグゼロさんのセミナーで夢を叶えるには知識やノウハウだけじゃなく、4つの元型(王様、魔法使い、戦士、恋人)全部のエネルギーを

高めていく必要があると教わっていた。


そのセミナー以来、戦士を鍛えることでできることとして、

(まあ、歩くだけなら。)

と近所を10分間歩くことを始めていた。


そこへ来てアンソニーの言葉だった。


だから、その10分歩くことから、走ることを始めた。


とは言っても、高校生以来もう何年も走ったこともない。

始めて1km走ったときには足がつった。


それでも。


(恐怖に打ち勝つ勇気が欲しい。)

その思いで続けていった。


1km走れるようになったら、次は1.1km走った。

1.1km走れたら、次は1.2km走った。


本当にちょっとずつ、距離を伸ばしていった。


でも、その度に、

(出来た!)

小さな小さな気持ちだけど、

嬉しさと、そして自信とが積み上がっていった。



そんなことを始めた矢先に、そのサハラマラソントークライブだった。


自己啓発や成功法則っていうのは、

本に書いてある考え方とかノウハウのことだった。

だけど、なぜか体を鍛えることにリンクする出来事が

そんな風につながっていった。


そして。


今目の前に、砂漠を250km走った男たちがいた。

有名人でもなく、既に大きな結果を収めている成功者でもない。

一人の男たち。


でも。


(人間って、砂漠を250km自分の足で走れる生き物なのか?!)


カッコよかった。

ただ、男として、人として、自分にできないことを成し遂げてきたことに

かっこよさを覚え、ただ、憧れた。


(僕にはとうていできるとは思えないけど・・・

(でも、もし、もしもできたら・・・かっこいいなぁ。。)


憧れとは、できないから憧れる。

でも、もしもできたらかっこいい。


ただ、そう感じる。


振り返ってみれば、そのサハラマラソンのトークライブで

僕は胸に小さな火種を受け取っていたのだ。


ただ、そのときはその火種の存在に気づくよしもなく、

懇親会でいつもの通り美味しいビールを飲みながら楽しく過ごし、

そしていつもの日常に戻っていった。





その2.「僕たちのイベントに出てみませんか?」



次の出来事は中目黒のプライベートダイニングだった。


ひなのちゃんが開いてくれた「嫌われる勇気の読書会」。


「嫌われる勇気」は僕の人生に強烈なインパクトを与えたベスト10に入る本。


より理解を深めるために参加した読書会でした。


そんな中、この前のサハラトークライブでフィニッシャーとして話していた

おとしさんもひなのちゃんの友達だったつながりで参加していた。


憧れの人に再会できて、僕はまた嬉しかった。


読書会では非常に有意義な学びのシェアができ、密度の濃い時間を過ごせた。


そしてその帰り道、おとしさんがこんな話をした。


「サハラマラソンの感動を日本でも体験できるように、

僕たちがステージレースというイベントを作るんです。

今度出てみませんか?」


「うーーーん、興味はあるけど、そんな長い距離走れないし。。」


「走れなくても、歩きでも参加できるイベントなんで。

よかったら来てくださいね。」


(ふーん、あの憧れのサハラマラソンの感動を日本でも味わえるのか・・)


その日はそんな話だけで終わった。



そしてまた別の日。


そのステージレースの練習会というのをやるという。

距離は25kmくらい?

しかも、スタート地点は地元の茅ヶ崎だ。


(うーむー。25kmなんて走ったことない。

なんとか7kmはこの前走れたけれど。

不安だけど、せっかくの機会だしなぁ。。)


よくわからないまま、参加することにした。


始まってみたら今日は歩きでいいという。

ちょっと安心した。



歩きと思って舐めていたけれど、

茅ヶ崎から鎌倉までたどり着いたときには結構疲れた。


でも小町通りを食べ歩きしながら楽しめたし、

一緒に歩いているペロちゃん、山さん、ヤニーナちゃん、タカさんとも

いつの間にか仲良くなっていた。


鎌倉の先の峠を超え、途中から飛び入りでサクラも加わり、

足も痛いけれど、なんだかんだ楽しく夕方には野島キャンプ場についた。


なんと27kmを歩いたのだった。

(うぁ~・・・僕にもできたんだぁ。。)


ちょっと無理かもしれないと思っていた距離を

歩きだったけれど、達成したことが嬉しかった。


その日の夜は熱いバーベキューと熱い話で過ごした。

忘れられない日となった。



そんな練習会で達成できたことが後押しをしてくれて、

ついにあの「東海道五十三次ウルトラマラニック」に

参加することに決めたのだった。





その3.(もうダメだ。。)


(27km歩けたんだ。大丈夫だったし。

だから、もう少し距離が伸びてもいけるだろう。)


東海道五十三次ウルトラマラニック(略して東海道UM)のステージ1は

日本橋から戸塚までの43kmだった。



(うわー、フルマラソンなんても走ったことないのに、

その距離超えてるやん。)


そんなことできるのか?

でももしできたらすごいなぁ。


不安と楽しみが入り混じった気持ちでスタートした。

当然ウォークでの参加だった。


参加メンバーに見知った顔も多く、楽しくおしゃべりしながら進んでいった。


東京のど真ん中から歩き始め、品川、川崎、横浜へと。

7月の日中。飲んでも飲んでも汗となり喉が渇く。

猛烈に暑い日だった。


それでも、朝8時からスタートして日が暮れるまで歩き続けた。


そしてついに、戸塚駅までたどり着いた。

人生で始めてフルマラソンの距離を超えた経験をした。


当然ながら、足が結構痛くなっていた。

足首を上下する筋肉やスジ、足首が痛かった。


今思えば、筋肉を既に使い切ってストロークエンドに達し、

既に関節で歩いてダメージを蓄積していたということになる。

当時はそんなこと知る由もなかったけれど。


ビバークではランでの参加者とも出会えた。

藤井さんや伊賀さん、森光さんや吉村さん。そしてトップのよっしー。


みんなロストしたとか話していたけど、その中でも森光さんは60km走った

けどロストのせいでリタイヤしたんだと笑って話していたことに驚愕。


(1日60km走る??そ、そんなことできるのか?

 しかも笑って流してるし!器が大きいなぁ!)


今までの自分の知ってる限界とは別次元に生きてる人が

そこにはたくさんいた。


小さな世界の無意味な思い込みが、だんだんと晴れていく感じがした。


そしてそのまま二日目。


いくらか回復しているものの、痛みは残っていた。


それでも順調に歩き進め、遊行寺の坂を下り、藤沢宿を過ぎ、

辻堂、茅ヶ崎と地元の見知った道を歩いていった。


だけど暑い!


足の裏も燃えるように熱くて痛くなっていった。


平塚エイドについた時には、かなりくたびれていて、

(もう一人じゃ歩けない。仲間の力を借りよう。)

長居して後続を待っていた。



そこに登場したのが山さん。


練習会から一緒に参加していた仲間だったので心強かった。


足の裏が痛いながらもなんとか出発。


痛いと思いながら歩き続けた。

まめができたと話したら、山さんが絆創膏を分けてくれた。

助かった。


大磯を過ぎ、二宮を過ぎ、ひたすら歩き続ける。

歩道を歩いてるけど、斜めになっている箇所はまっすぐ歩けなくなっていた。

足首で自分の体重を支える力も残ってなかった。


お地蔵様があるちょっとした場所で大の字になって休憩した。

そこへよっしーがちょうど通りかかり、おしゃべりした。

トップを走る実力者のよっしーでも二日目は辛いようだった。


なんとか国府津のBCPまでたどり着いた。

足首は曲がらないし、体重も支えられない。

だいぶ苦しくなっていた。


そこから残り6kmだった。


なんとか足を引きずって歩き続けた。


(残り6kmと思うから辛いんだ。もう38kmも歩いてきたじゃないか。)

でもそう考えても辛かった。


(辛い顔するから苦しくなるんだ。

笑顔になれば気持ちも痛みも前向きになるはず!)

無理やり口角を上げて笑顔を作ってみた。

でも、痛いし、苦しかった。


(あとは、あとは、どうすれば、どうすればいいんだ・・・)


考え方?笑顔?ばかじゃないか?

ちゃんちゃらおかしい。

肉体も精神も使い切った。もう何も残ってない。


足が痛い。


苦しい。


やめたい。


どうにもならず涙が出てきた。


酒匂川の橋を超えたところで、山さんに休憩を申し出た。



(もう、ダメだ。。。)




僕は歩道に大の字になって天を仰いだ。

泣き顔は見られないように帽子で隠しながら。


ここまで来たのに、もう一歩も歩けない。


あと3kmなのに、もう進めない。


ここまで来たのに、リタイアなのか。。


緊張の糸も切れて、諦めの涙が頬を伝っていったその時に。


「どれ、見せてみな。」


同じ距離を一緒に歩いてきた山さんが

僕の足をマッサージし、ストレッチしてくれた。


自分だって極限の状態であろうにも関わらず。


「あ・・ありがとうぅぅ。。」

涙声になりながら、ただただ感謝した。


足の痛みが取れたわけじゃないけれど。

その心の震えが、何か体を動かすエネルギーの源泉と繋がった。


再び立ち上がり、ゴールを目指して歩き始めた。


まともには歩けなかった。

ゴールまでは行けないかもしれない。


でも、一歩だけなら歩ける。もう一歩だけなら歩ける。


一歩二歩、一歩二歩。

ただ、目の前の一歩を踏み出すことだけに集中した。


母親と小さな子供が手をつないでてくてく歩く。

おばあちゃんが杖をつきながらヨボヨボ歩く。


僕の歩みはそれ以上に遅かった。


山さんは途中途中振り返りながら待ってくれた。

そんな気持ちもありがたく、そして頼っていた。


お祭りの真っ只中、必死の形相で一歩二歩、一歩二歩。


そしてついに。


小田原駅のゴールにたどり着いた。



「やっったぁぁぁ!!」


苦しみの涙は、今度は喜びの涙になっていた。


苦しかったぶん、やりきったことが嬉しかった。


魂が震えた感動、衝撃、喜びというものを味わった瞬間だった。


ただ一方で、

(こんなつらいこと、もう二度とやるもんか!)

そう思ったのも事実。



しかし、そこで杉ちゃんが言ったんだ。


「人間、辛かったところは、次回必ず強くなってるんだよ。」


・・・


帰宅後、歩くこともままならない状態。

両足湿布だらけ。


足がカッカして熱くて痛くて眠れない。

寝返りうつたびに痛みで目がさめた。

筋肉痛は1週間続いた。



ようやく痛みも和らいできた頃、粛々と胸に残る言葉を思い出した。


(・・・人間、辛かったところは、次回必ず強くなってるんだよ・・・)


(本当に強くなってるのかなぁ?)

(こんなに痛いのに、次回はもっと余裕になってるのかなぁ?)


(もし、そうなれるのなら、いいなぁ。)


このままやめてしまうのが楽。

でも、この距離に痛みと苦しみの記憶が残る。トラウマになる。


もし次もやって、余裕ができていたら、いいなぁ。

そんな自分も見てみたいなぁ。


そんな思いで、ステージ3、4にも挑戦することにしたのでした。




その4.セミナーコンテスト


この東海道UMを始める前のこと。

セミナー講師になりたいと思って挑戦したことがあった。


それが通称セミナー講師の甲子園。

日本パーソナルブランド協会が主催するセミナーコンテストだ。


その頃の僕は自分自身がうつ病になり、そこから立ち直ってきた経験、

自分のなかに自信を持ち、軸を育ててきた経験を人に役立てたいと思っていた。


そして今回この東海道UMの経験をセミナーに盛り込むことにした。

僕自身の中で心を震わせた経験から言えること。


感動した経験。

できた!という喜び。

ゴールまでは一歩一歩の積み重ねということ。


そういう話をするためには、

もっともっと大きな挑戦、さらなる成長する経験をしなくては。


そんな思いもまた、東海道UMにまた挑戦する後押しとなっていた。


だからこそ、セミナーする度に距離も増え、体重も減り、

自信もエネルギーも高めることができていった。


その結果、第24回セミナーコンテスト東京大会では、

第2位になることができたのだと思う。







その5.何度も限界。涙の数だけ強くなる。


ステージ3は箱根超え。

1日目で痛くなるのはもうわかっていたけれど、想像範囲内だった。


ステージ4は60km最長ステージ。

富士山を見ながら長い道を歩き続けた。


夜明けから歩き始めて、すっかり暗くなるまで歩き続けた。

足の裏は燃えるように熱かった。


それでも駿府城までのラスト3kmは花ちゃんと合流してから、

なんとランニングでゴールまで走った。



自分でもなぜそんなことができたのか、当時は不思議なことだった。

テンションが高まっていたことか?とも思っていたけれど。


歩き筋は使い切っていたけれど、

走り筋は使っていなかったことが、それができた理由だった。


ただ、普段も5kmは走る練習を続けていたし、

その下地はできいたということだ。



そんなラストスパートを走ったおかげで、

「次はランで出られるね!」

なんて軽口を言われることになった。


(ウォークの部ではなく、ランの部で?)

(こんな僕ができるのか?)


その場では(そんなの無理だよ~)という言葉を飲み込んで、

否定もせずにやり過ごした。


否定した瞬間に、やらないことが決まってしまう。

言葉が人生をつくるということを感じ始めた時だった。


最後まで迷ったけれど、大きな挑戦として、ランで挑戦することにした。



ステージ5は駿府城から金谷駅。


初めてのラン。


ずっと息苦しいと思って走っていた。


できないかもしれない。

でも、ゆっくりの速度ならなんとか走ることができた。

初めてのランは野口さんが一緒に走ってくれた。

一人じゃきっとくじけていたけれど、隣で走る仲間がいたから頑張れた。


36kmをランで走りきり、金谷駅までの長い長い上り坂も走りきり、なんとかゴール!



ゴールではやりきった思いで泣き叫んだ。またもや感動だった。


本当は1日目だけでもランで走り切ったら、

二日目は無理せずウォークで出発しようと思っていた。


だけど、それをビバークで話したところ、「もちろん二日目もランだよね!」

と声をかけられ、周りに流されることで、不安ながらもランで走ることにした。


ステージ6は金谷駅から浜松城。

スタート直後の猛烈な上りと石畳にやられ、

さらにその後のお茶畠の上り坂もやられっぱなし。

きつすぎるだろ。


この二日目も野口さんが一緒に走ってくれた。途中からやすさんとも合流し、一緒に走った。


この日は関門が設定されていて、天龍川を17時に渡り終えることだった。


時間はギリギリ。橋の手前では余裕があると思っていたら、

橋が長く、渡り終えたときには時間ギリギリだった。


すっかり日は落ちて真っ暗な中、なんとか浜松城にたどり着いた。

ゴールではペロちゃんが迎えてくれた。



走りきり、限界を超えたこのステージに、

そして頑張った自分自身に感動して泣いた。



その6.痛みの限界とその先の奇跡


このステージでひざを痛めてしまい、

次のステージ7、8は再びウォークで参戦。


ステージ7は浜松城から豊橋。

ステージ8は豊橋から鳴海駅まで。


浜松城からの旅は池町さんおすすめのうなぎ屋にも入れて、

始めて余裕のあるマラニックを楽しめた気がした。


ビバークでは近くの酵素風呂に入ったし、

えっちゃん&ゆうもん結婚式もあったし、

松田さんの裸足ランニング講座もあり、充実したビバークだった。


翌朝はアーリースタートを使っての再び60km。

アーリースタートでは最初のエイド開設が間に合わず、

コンビニで自主休憩となったが、そこで気がついた。


(エイドでは補給食や水分を補給してるだけじゃないんだ。

 仲間からの心からの応援が、やっぱり走り続けるエネルギーになってるんだ。)


御油宿を過ぎてからの長い上りを歩いているとき。

ピキッときて、飛び跳ねた。


いきなり膝の痛みがマックスに。


(まずい。まだまだゴールは遠いのに。。)


一緒に歩いていた仲間に血糖値を上げて脳をだますと体が動くことを教わり、

甘めのドリンクやコンビニでのスイーツを摂取。


コンビニで購入した氷を膝に当てつつ、

なんとか藤川宿までたどり着いた。


そこでは2つのコペルニクスと出会った。


一つ目は修造さんが吐いたセリフ。

「今から氷を当ててるなんて。。」


(そうだよな。かわいそうだろ、俺。)

(もうゴールまでは無理かもしれませんって言われるのかな。)


「良かったですね!」

(へっ?!)


「やっぱり泣きながらゴールするくらいじゃないと楽しめないですよ!」

「何もなくゴールしたって感動できないんです。

 だからこの困難をのりこえることで感動できますよ!」


(こんなに痛いのに、何言ってんだ、こいつ)


そんなことを感じたのが正直なところ。

でも本当にこの痛みを抱えながらでは、

ペースも落ちてるし、時間内のゴールが絶望的だ。。


そして2つ目のコペルニクス。

とえちゃんが、マッサージしてくれると言ってくれて。

その当時は何者か知らなかったけれど、体のプロフェッショナルだった。


痛みをのある場所ではなく、凝り固まったところが筋肉を引っ張っていて、

張った筋肉が骨と擦れて痛くなるんだと教えてくれた。

そして、凝り固まった箇所をほぐしてくれた。

(超痛かったけれど。(笑))


(どうせ無理だろ・・・えっ?)


歩き出したとたんに、さっきまでの刺すような痛みが

なくなっていることに気がついた。


(ウソだろ・・・こんなに急激に変わるものなのか?)


そのおかげでペースを持ち直し、歩き進めていった。


それでも距離は長く、日は暮れ始めていた。


ゴールはできるかもしれない。

でも、終電に間に合わなくなりそうだ。。


痛みを抱えながら、松林を抜けて知立CPにたどり着いた。

終電に間に合うために、ここからワープするしかないのか?


いや、ここまでつないできたんだ。途中リタイヤはないだろう。

でもこの歩きのペースじゃやっぱり間に合わない。


どうしたら・・・?


そんな迷いの中にいたときに、エイドで待ってくれていたなおみちゃんが

「頑張ってね」とギュッとハグをしてくれた。


「!!」


嬉しかった。

諦めかけていた僕の中に、何か知らないスイッチが入った。


終電に間に合わせるためには、走るしかない!


ちょうどそこに前回ステージのバディ、やすさんが合流した。

彼は今回もランで走っていた。

僕も走り出して追いかけた。


だけどやっぱり刺すような膝の痛みがあり、

また歩いたりしてしまう。


それでも諦めずに走ったり、歩いたり、

さっきのことを思い出したりしているうちに、

膝の痛みが感じられなくなってきた。


(なんの奇跡かわからないけれど・・・)

(この魔法が解ける前に、ゴールまで走ろう!)


再び走り始め、そしてやすさんの背中を追って走り続けた。


わからない奇跡の連続だったけれども。

なんとかゴールできそうだ!


たどり着く前から、感動が溢れ出していた。


そしてついに!


やすさんと走り続けて鳴海駅までたどり着いた!


半べそになりながら、ゴールでペロちゃんの胸に飛び込んだ!


またもや限界を超え、感動し、泣きたいだけ泣いた。


毎回毎回ゴールでは感動しているけれど、

さらに感動したゴールだった。






その7.東海道53次の先につながっていたもの。


そしてついに最終ステージの9、10、11。

鳴海駅から坂の下。

坂の下から大津。

大津から京都三条大橋までのパレード。


船スタートしたステージ9。

走り初めはなんと16時。

ゴールする頃には24時前で、始めてオーバーナイトステージを味わった。


そして次の大津まで。

途中お祭りもあり、おしるこも食べて楽しんだものの。


やはり二日目。

疲労もピーク。


草津CPに着く頃には、痛みもピークで歩くこと度々。

足首が再び動かなくなっていた。


痛くて、悔しくて、自然と涙が出た。


それでも最後のエイドからは痛み止めも飲み、

後悔のないように走り始めた。


川沿いの長い上り道を乗り越えて、ついにゴールできた。


長い道のりも今日で最後。

明日はパレードで23kmしかない。

ついにここまでこれたことを感慨深く思っていた。


11月末ともなった夜のビバークはとてつもなく寒く、

みんなと語り合う焚き火から離れられなかった。


そして最終日はパレード。

琵琶湖のほとりからスタートし、一山超えて京都の三条大橋まで。


23kmなんて短い距離だと思って気楽にしていたけれど、

2日間走った足は結構なダメージが残っていて、思った以上にしんどかった。


それでも最後には三条大橋までゴールした。

意外にあっけないゴールだったけれど、

その後京都タワーのホテル宴会場で開かれた表彰式が

とてもキチンとしたもので、そのギャップに驚いた。


長い旅を振り返るようなことがたくさんあって、

嬉しさも寂しさも感動も全部いっぺんに押し寄せてきて、

とても感動的な表彰式だった。




そして。


この東海道ウルトラマラニックからの大きなプレゼントとして

一人はランでトップだったヨッシーに。

そして、もう一人は僕に。


第3回モンゴリアゴビデザートマラソンの招待券がプレゼントされた!


あのサハラマラソンのトークライブであこがれた

砂漠マラソン250kmへの招待状。


そん時点では砂漠を6日間で250km橋切る力も自信もなかったけれど。

そこには行かない選択肢はなかった。

挑戦とか恐怖とか勇気とかはなかった。


このマラニックで出会った仲間みんなの応援を感じていたし、

こうして流されて、その流れに乗って挑戦することが自然だった。





その8.ゴビマラソンのスタートに立つまでの物語


ゴビマラソンの旅程はなんと11日間。

金曜日が出発で、土曜、日曜日から一週間。

そして翌月曜日が帰国日。



普通のサラリーマンである僕にとって

これだけ長期の休みを取るということは、普通の状態ではない。



幸い、会社は夏休みが選択性なので、

お盆ではなく、そこにあてることができた。


しかし、夏期休暇を3日間+年休2日間を繋げて

一週間休むのが通常のやり方だ。


案の定、上司からツッコミがはいった。


「お前はなんでこんなに休むんだ?」


「この時期忙しくなる予定も見えているのに、

 普通の人より2日も多く休むなんて非常識。」


「ただでさえみんなの足を引っ張ってるのに、自分のことばっかり考えてるな。」



そんなこと言われて嫌な気しかしなかったけれど、

ゴビマラソンを走ることは去年の11月から決まっていたことだ。


僕が選んだことだ。


休みの間、職場のみんなに助けてもらうことも事実だし、

そう思われても仕方がない。


他人に迷惑かけてでも行く。


僕が選んだことだから、その責任は受け止める。

だから、そういった言葉も全て受け止めた。



その上で僕は言った。


「僕が走るのは、挑戦することで自信をつけるためなんです。


自信をつけて自立した人生を生きるためです。


過去に他人に依存して生きることで自分の人生を見失ったことがある。

うつになったことがある。


もうそうなることは嫌なんです。


僕が選んだこのことについて批判があるなら

それは受け止める覚悟はできています。


それでも僕は走ります。」



そんなようなことを口走ったと思う。



普段小心者で上司に口答えなどできない僕だったけど、

強い想いが言葉になって出てきた。


自分でもびっくりしたくらいだった。




許可を貰えなくても休んで行くしかないと思っていたけれど、

一応許可をもらえることとなった。



僕が休んでいる間も会社は動いてる。

誰かが代わってやってくれる事実。


上司の話は正直嫌な気持ちでしたが、

その点やはりありがたいことでした。





さて。



休みについてはクリアできたところで、

旅費の30万円。


安くはない金額だったけれど、

これは貯金から出すことでクリアできた。


3年間出なかったボーナスも今年は頂けたことにもありがたかった。





あとは250kmを走りきる体。



東海道ウルトラマラニックでは2日間で100kmという距離も体験はした。


けれど、毎回毎回その2日間だけで満身創痍。


足は湿布だらけだった僕。



6日間250km走りきるために、さらなる進化成長が必要でした。



超えなければならないハードルに段階的に挑戦する。


そのために、レースに申し込む。



3月の古河マラソン。

初めてのフルマラソンでした。


サブ4を目指して練習し、月間100km、150km、200kmも

初めて達成した。

そして初めてのフルマラソン、念願のサブ4を達成できた。





そして5月の野辺山ウルトラマラソン。

初めての100kmマラソン。


250kmの走るためには100kmは走れなければ!


なんとしてもクリアしたいハードルでした。

制限時間14時間。


調べていくほどに、ハードルの高い大会ということに気がつき始めたものの、もう遅い。



(ここをクリアしてなんとか自信をつけたいんだ!)



修造さんに事前にもらったアドバイス

「できるだけ休憩時間を短く」

のアドバイスを胸に、

遅くても歩かず、走り続けました。


途中手持ちのラップ表からの予定時間も割り込み、

(もうダメかもしれない・・・)

そんな不安を抱えながら、最後の馬込峠に差し掛かった。


この急斜面だけはさすがに走れず、歩きながら登る。

「このペースで完走間に合いますかね?」

歩きながら近くの人に話しかける。


「ちょっと無理かもしれないな」

「厳しいなぁ」


あまり良い返事はもらえない。

(やっぱりダメなのか。。。)


そんな時。

次に話しかけたランナーはなんと10回も完走している

ベテラン野辺山ランナーだった。


「今の時点でここにいるなら、完走できるよ」


(よし!また望みは残っているんだ!頑張るぞ!)



希望を取り戻し、下りを大事に走りきり、

その結果、なんとか14時間以内に完走できた。





そして7月の北丹沢トレイル。


これは翌月富士山往復マラニックをクリアするために、山岳トレイルのハードルとして申込みました。



天気は豪雨となり、コースも変わったものの、

なんとかクリアして富士山往復マラニックへの自信として繋げました。






そして7/31、8/1の富士山往復マラニック。


実は昨年マラソンを始める前に初めて須走口から富士登山を経験しました。


その時の辛かったこと!


完全に登山を舐めていた僕は大変な思いをして登頂し、

泣きそうになりながら下山しました。



それだけに富士山往復マラニックへの挑戦は緊張していました。



海抜0m~3776mまで。

距離も112kmある。

制限時間は24時間。


寝ないで走ることも初めてでした。



それでも。


そのハードルをクリアして250km走れる自信と経験を得たい。



少ない情報をかき集めてラップ表を見つけ、それを頼りに走り続けました。



滝のような汗でクラクラしたときも、

永遠と続く上り坂を小さな一歩でもいいから推し進めた時も、

ただ、「ここをクリアしたい。ゴビマラソン250km走りきる力をつけたい。」

という思いで足を進めていきました。



なぜ走るのか?

ゴビマラソンを完走したいからだ。


ウルトラマラソンを走りきるためには、

走力以上に精神力で走る事になる。

それがつまり、「なぜ、走るのか?」だ。


僕には明確な目的があった。

だから走りきることができたのだと思う。





そして。




富士山往復マラニックからゴビマラソンまで間が空きすぎてダレることを恐れた僕は、その時点でも申し込みが間に合うレースに申し込んだ。



それが木更津トライアスロンだった。

未知の世界を乗り越える勇気を鍛える。


足のつかない海で1.5km泳ぐことは僕にとって怖いことだった。


それでもウエットスーツを着て、乱戦となるスイムで

蹴られたり、乗られたりだったけれど泳ぎきることができた。


その後の自転車40kmもラン10kmも無事に乗り切り、

完走することができた。




(ただ、気づけばトライアスロンがゴビ出発の1週間前だったことは直前になって焦ったけれど。)




そんな風にして。



「僕にはとてもできそうにない」と感じていた砂漠250kmマラソンという存在に対して、目指して歩き続け、しがみついて登り始め、近づき続けた。


いつの間にか

「これができたなら、できるかもしれない」

「ここまでやったんだから、やりきれるはずだ」

そんな風に想像できるサイズ感に変わっていた。



そんな風に自分にできることを全てやり、当日を迎えることになった。





その9.「ここがモンゴルかぁ」


期待と不安を持ち合わせて到着した成田空港。

レース中に荷物を入れるSSERから送られてきた黄色のドラムバッグを担いで

チェックインカウンターに並んでいると、同じバッグを持った人が現れた。


今回の選手、多田さんとの出会いだった。


こういうレースの経験があるのか、聞いていたら、

サハラマラソンはおろか、アタカママラソン、そして南極マラソン

まで走ったというツワモノ。


砂漠マラソンに出るくらいの人というのは、どこか変わった人だと

思っていたけれど、いきなりすごい人と出会ったなぁと感じました。


それからしばらく並んでいると、金髪の女性も同じバックを持って登場。

(うんうん、やっぱり普通じゃない人いっぱいいるよな♪)

いがちゃんとの出会いでした。


他にも数人、黄色のバッグを担いでいる人たちと出会い、

(こういう人たちと一緒に出るんだなぁ)とワクワクしました。



機内の時間は思ったより長く、

(モンゴルって意外と遠いなぁ)

と感じていました。

機内の温度もちょっと肌寒かったかな。



6時間が過ぎ、高度を下げていく機体。


窓の外には低い山々と草原が入り混じったような広い世界が見えてきた。


そしてその山々の直ぐ近く、とある場所から建物のエリアが始まっている。

どうやら首都ウランバートルのエリアのようだ。


建物密集エリアから少しまばらになったくらいの場所が空港。

長い飛行機の旅が終わりました。


空港から出て、モンゴルの空の下に出た時に、

「ここがモンゴルかぁ〜」

初めて来た土地から漠々とした広さと肌寒さ、

乾燥した空気と埃っぽさを感じた。


ホテルまでの送迎バスに乗るガイドさんが、細い体で重たい荷物を

軽々と持ち上げる姿に違和感を感じながら、モンゴルの旅は始まった。


バスから見える景色は、ちょっといけば直ぐに低い山々が見えた。

道路は広く、きちんと舗装されていた。


しばらく30分ほどでウランバートル市街地に入っていった。


市街地に入ると道路も混み始め、車たちがギリギリで走っている。

クラクションも時々聞こえる。


思った以上にビルやマンションが多い。


でも、どことなく違和感を感じる。


マンション、アパートらしき建物なのに窓に明かりが灯っていない。

住んでいないのか、消灯しているのかわからないけれど、

街灯も少なく、なんとなく暗い感じがした。


僕が知ってる日本の街が明るすぎるだけなのだけれど。


45分ほどでフラワーホテルに到着。


今回の参加者全員と、そしてSSERスタッフと改めて顔を合わせる。


空港で換金できなかったモンゴル通貨トゥグリクに両替。

10000円が160000トゥグリクとなった。


その後ホテルの日本食レストランで食べた定食が20000トゥグリクで1250円。

近所のスーパーで、500mlのビールが2000トゥグリクで、およそ125円。

物価はそんな感じだった。


部屋はかなり広く、リビングとベットルームが分かれてあった。

日本のビジネスホテルが狭すぎるだけなのかもしれない。

空間が広いということは、優雅な気持ちになれるものだ。


到着したモンゴル2日目は市内でフリー。

地球の歩き方も買ってきてなかったし、一人で観光するのも心細いので、

多田さん、いがちゃん、みさっちゃん、僕の4人で市内観光に出かけた。


モンゴル広場で巨大なチンギスハーン像を見る。


国の真ん中にあるということは、やはりモンゴル国民にとって、

モンゴルの名を世界に知らしめた偉大な存在なんだな。

モンゴル国民の誇りとなる存在なんだなと感じた。



近くを歩いていたモンゴル人のおじさんに、4人で集合写真をとってもらった。

言葉は英語もまったく通じな国だけど、いなかのおじさんのように、

とっても気さくなんだな。


その後も歩いてノミンデパートへ。


小綺麗なデパートは食料、衣料、化粧品、電化製品、

生活用品からお土産までなんでも揃っていた。


スポーツ用品店では日本でも同じいのアシックスやナイキ、コロンビアなどのブランドもあったが、それらの価格は同じ。とりわけ安さは感じなかった。


(モンゴル人でこんなところで買い物するのはかなりの裕福層なんだろうな。)

外国人観光客も多かった。


ただ、最上階にあったお土産売り場は、種類も豊富で面白かった。

旅行者にはオススメだ。

買ったものは結局定番のチョコレートだったけれど。


その後近くのザハ(市場)に向けて歩いて行ったのだけれど、実は今では

ザハはなくなり、跡地でスーパーマーケットとなっていたことがわかった。


そこの惣菜売り場で骨つきの羊の肉と、昼からビールを購入。

お肉は見た目とは裏腹に、臭みもなく、あっさりしていて美味しく完食。

近くのベンチで堪能しました。


食後は1時間ほど離れたモンゴル最大のナラントールザハを観光。

スリ注意の看板にビビりながらもモンゴルの文化を覗き見る。

おそらくディズニーランドぐらいの広さはあった。


(混沌としてるなぁ)



靴屋から洋服、生地、おもちゃ、お菓子、工具、自転車、ストーブ、

ゲルに使う暑い生地やロープ、ビリヤード場などなど、

カテゴリーに際限もなく、混沌としていながら、活気もあった。


ここではまだ、モノを購入し、増やすことが豊かさだと感じるのかもしれない。


1日歩き回って疲れた後は歩いた仲間とホテルで部屋飲み。

解散したところで一人移動だったよっしーからの電話が鳴り、

一緒にスーパーまで買い出しにいき、その日を終えた。





10.(ここが・・・そうか・・・)


3日目はレースのスタート会場まで移動の日。


朝食を食べ終えた後はレースの説明会。


荷物チェック、メディカルチェックを受ける。

1日1200kcalの補給食も持ち、コンパスもレインコートも、

スネークポンプも防寒具も持ってる。問題なくパス。


そこで初めてモンゴル人選手たちとも出会った。

言葉はまったく通じなかったけれど、若い人たちだなぁと感じた。


僕が20代の頃なんて、こんなウルトラマラソンの存在なんて

ひとかけらも知りもしなかったのに。


昼食にお弁当をいただいた後は、出発時間に遅れてきたバスに乗り込む。

観光バスではなく、どこかのスクールバスを借りてきたらしい。


目的地までは5時間ほどかかるようだ。


出発して1時間ほどすると、ウランバートルの市街地も抜けた。


建物もちらほら残っているものの、初めて草原にたたずむゲルも見つけた。

(本当にゲルで生活してるんだなぁ。)

煙突から煙もあがっており、そこに人が本当に生活していることが伺えた。


ゲルって、移動式の住居で、どこかに立てたらそこが家。

土地はみんなと共有しているものであるし、無限に広い。


広い土地や立派な家を所有することが、人間の経済力を表している

と感じてしまう日本人とはまったく違うのだろうな。


では、モンゴルの遊牧民にとって、どうなることが幸せなのか?

何を目指して生きているのか?


そこのところはよくわからない。


これだけモノもお金も豊かな日本人でも、不満をみつけてしまうのだから。


ただ、日々そう生きることの中にある小さな「よかったなぁ」をみつけられる感性を持ちつづけられているのなら、それで十分なのかもしれない。


もしかしたら、ヤギやヒツジや馬や牛の数に、

そういうものを感じているのかもしれないけれど。



そんなことを振り返りながら、バスの旅は続いていく。



そして1時間おきくらいに、小さなスーパーマーケットのような場所

を選んで休憩として止まってくれた。


ドライブインというほど整備されたものではない。

なにせ、トレイがないのだから。


青空トイレが基本らしい。


時々は掘っ立て小屋のようなトイレもあったが、掘った穴の上に、床に穴があいているだけのようなもの。


日本のトレイが清潔で臭くないということは、

お金もかけて整った設備なんだと気づかされた。


そこに誰かがトイレをするためにお金を払うわけでもないのに、

そういう設備があるって、すごい。


街を過ぎてしまえばあとはただの草原。

低い山々がずっと見える。


これを見て感じたのが、よくチンギスハンは迷子にならなかったなということ。


目標物、目印になるものが何もない。


今の僕らは、地図がなければ目的地にたどり着けない。

それがなければ行くだけ行って、帰ってくることもできない。


さらには、今はスマホのGPSで調べないと住所だけではたどり着けなくもなっている。


だけど今から800年も昔の時代に、馬だけで西はヨーロッパ、南は中国までを移動したわけだ。


余りにも広すぎるし、目印となる目立った山もないのに、何百、何千kmという距離と方向、世界を把握していたということは、どういう感覚なのだろう?


そんな歴史や世界のことにも思いを馳せたりもした。


変わらない景色をずっと見ていて、とにかく高い木が生えていない。

だから木材がとれない。


そして川だってほとんどない。


100km移動して一本あるかどうかくらい。


そういう何もない世界を満たそうとして、

チンギスハンは世界を手に入れたかったのだろうか?



日本には木々も豊かな川もたくさんある。

そう考えると資源に恵まれていることを実感した。


でも一方で、狭い土地一坪に何十万円も払う価値を感じてしまう日本人のおかしさにも気がついた。


命を育む場所の環境がこれほど違えば、価値観も考え方も変わるのは当たり前だな。



3時間も経てばもうずっと同じ景色。

うっすら背の低い草は生えてるものの、基本は砂漠。荒野というのかな。


そして時折見えるゲルに住む遊牧民族。


本当に他は何もない。



最後の休憩は、ただの荒野のど真ん中だった。


男性はトイレに困らないけれど、女性はどうしていたのかなぁ。


遊牧民がゲルをはっていて、その近くに馬も繋がれていた。

モンゴルの女の子、エルデンバットが馬を抑えて手招きしてくれた。


(こうやって馬を押させて撫でるんだよ)

そんなことを身振り手振りで教えてくれた。

馬の扱いに慣れているのかな?


近くに寄って撫でてみる。ほっこりした気持ちになった。



バスの目的地はバヤンゴビ。

レースのスタート地点となる場所だ。


バヤンゴビと言われてもパンフレットにそう書いてあっただけで、

どこなのかはさっぱりわからない。


ただ、ゴビ砂漠と言われるエリアはウランバートルから南の方角にあるということだけは地図を見て知っていたけれど、それ以外は謎だった。


道路から外れて荒野にある轍の道に入り、そこからも30分以上は走ったかな。


18時が過ぎて夕日に染まってきた景色の中、バヤンゴビへついに到着した。


(そうか、ここがバヤンゴビだったのか。。)



バヤンゴビは荒野の真ん中にあるツーリストキャンプ地だった。

ゲルが40張りくらいあったかな。

そのゲルに泊まれるという。


初めてのゲル。

ゲルという言葉は中学で習ったけれど、

本当にゲルを知ったのは今日この時だったと気付かされた。


16畳くらいの広さの丸い部屋に、真ん中にテーブルと

まきストーブが置かれている。

4つのベットが置かれて、4人で寝る部屋となった。


他には何もない。とてもシンプルだった。

ゲルの骨組みとなる部分はオレンジ色のペンキに模様が書いてあり、

キレイだった。



外では地平線に沈みゆく夕日が眩しかった。

どこまでも夕日を遮るものはない。

そんな景色にいちいち感動する。


夕食は中央部の大きなゲルでモンゴル料理をいただいた。


食事中にサッと雨が降ったのだが、それがまた

感動的な景色を作って僕らのレースの始まりを歓迎してくれた。


クッキリとした大きな虹が二重になって大地に現れてくれた。



虹の根元がはっきり見える。

どこから虹が生えて、どこまでいってるのか。


このモンゴルの地平線まで見える大地の上では端から端までみることができた。


僕のゴビマラソンもはっきりしている。

バヤンゴビからスタートし、250km走りきってバヤンゴビに戻ってくる。

始まったばかりのゴビマラソンに重ね合わせて見ていたりした。


そしてなんと、このバヤンゴビにはシャワーがあった。

ちょっと温度は低く、ぬるかったけれど、荒野の真ん中で

シャワーを浴びることができるのは嬉しかった。


寝る前に夜空を見上げた時に、半分になった月と盛大な星空が見えた。


(いよいよ明日からゴビマラソンが始まる。無事に走りきれますように・・・)










その11.ETAP1「も〜!またロストした〜!」


まだ暗い6:30に起床して朝食をいただく。

7:00からレース前のブリーフィング。


配られていた地図(というより、経度、緯度、CAP、距離が書かれた表)

を使ってコースの説明をする。


初日は走り方、距離感、世界観を体感するまでの36km。

そんなに長くはない。


いきなり川を渡るらしい。

ブッシュ、ピスト、知らない言葉がポロポロと出るけど、なんとかなるだろう。


まだ薄暗いスタートゲートに並び、写真を撮る。



(ほんとうに始まるんだ。)


緊張と不安と楽しみが入り混じった気持ち。

(ワクワクとドキドキってこういうことだな。)


そしてついにスタート!

何もない方角に向かって走ること自体初めて。


足もとから道がなくなっている。

なんとも直径30cmくらいのデコボコしたエリアを高揚した気持ちで走る。


300mほど進むとほんとうに川が出てきた。



川といっても小川くらい。

川幅2mくらいのもの。


だからといって、簡単に飛び越えられるか?というと戸惑うくらい。

しばらく川沿いに走って狭くなってる渡河ポイントを探す。


そのうちに、自身のあるモンゴルの選手はダイナミックに飛び越える人も何人か出てきた。


飛び石のある場所を見つけ、そこを渡る。

川渡りがあるこんなレースは初めてだ。


再びピストに戻り、左手に切り立った山を見ながら走る。


バリースを見つけた。

少し山側に矢印が向いていた。


(ということは、少し山を登りながら走るのか?)

前を走っていた選手も山を登っていく。


僕らにとって道案内はこのバリースだけが頼りだ。

疑っても仕方がない。素直にその向きに走っていった。


ところが。


結構険しいし、500mくらい進んでも次のバリースが出てこない。


ふと眼下を見渡すと、山へそれず、ピスト通りに走ってる選手が何人もいた。

先をいっていた選手も山を降り始めている。


(うーむ、どうやら間違いなのかもしれない。)


山登りの道は諦めて、下のピストに合流した。


ダイナミックに登り始めてた朝日に向かって走った。



日差しが眩しく、帽子を目深にかぶり直した。


森屋さんやいがちゃん、岸井さんに追いつきながら走る。


途中鋭角カーブのところはオフィシャルが道を案内してくれていた。


左手の山を回り込むように、東向きから今度は北に向かって走る。


少し上り坂。

もう前の選手は見えなくなっていた。



(やべ。ちょっと不安だな。迷子になっちゃうかも。)


ふと横を見ると、左手には僕の影が一緒に走ってくれていた。



僕の影。僕に日が当たっていれば、影の部分だってできる。

そしてその影はいつだって一緒だ。二人で一つ。


ずるい部分、弱虫な部分、カッコ悪い部分、人には見られたくない部分。

そんな自分の中の影。


それがこんなゴビの砂漠を走ることになっても一緒にいるなんてね。


いつものパートナーと一緒と心強かった。


坂を登りきり、少し下りになってきたとき。

遠くに緑色のテントと選手達が見えた。


エイドは6kmごとにあると言っていた。

ようやく最初のエイドにたどり着いたってことだ。


ところが驚いたことに、前を走る選手たちはほとんど休憩していない。


フルマラソンみたいなタイムを争うことが目的のレースなら、立ち止まらないことはわかるけど。

今回のようなウルトラマラソンなのにエイドで補給の休憩をしないことにびっくりした。


(まあ、僕は、僕だ。)


しっかりと立ち止まって補給する。

驚いたことにコーラもあった。


思わず最初のA−1エイドからコーラをいただく。

そしてチョコやバナナなど補給食もしっかりいただいた。


ほどなく出発し、ゆるくカーブした先だった。


モンゴルの選手たちがバリーズを見て、地図と見比べている。

なにやら先まで走ってから戻ってきたみたいだった。


一緒に地図とにらめっこ。

どうやらバリースの表示が間違っていたようだった。

少し迷ったけれど、ピスト沿いに先にすすむことにした。


ほどなく次のバリースに到着。

そこにはピストの方向とは90度違う道なき草原の真ん中を指していた。


(オフピストってこういうことか。。)



なんの当てもない方向に向かって走り始める。

僕の人生の中で、こんな風に道なき道を走るなんて初めてだった。


CAP90を指していた。およそ太陽が昇る方向であっている。


前をいく3人のグループとはちょっと角度が違っていたけれど、

僕は僕の正しいと感じる方角に向かって走っていった。


しかし。。。


行けども行けども、次のバリースが見当たらない。

もうそろそろあってもいい頃なのに。


遠くになにやら建物が見える。


(あれが次のエイドなのかもしれない!)


そこに向かって走っていった。

しかし、結局はただの空き家だった。


(うーん、完全にロストだなぁ。。)


荒野のど真ん中で、次のバリースもどこにも見つけられず、

手がかりはなにもない。


どうしたらいいか普通に困った。



しばらくうろついていた時に、遠くに何か見えた。

緑のテント。それがなにを意味するのかはわからなかった。


しかし、しばらく見ていたら車らしきものがテントに向かって走っていた。


(ここらで車が走ってるなんて、ゴビマラソンの関係車両にちがいない!)


それが確信となって、テントと車の方向に向かって走り始めた。


車もこちらに向かって走ってきた。


ほどなく合流し、テントはA−2エイドだったということがわかった。


ちょっとハラハラしたけど、なんとかオンコースに戻ることができた。


そして僕はしっかりバナナとコーラをおかわりしながらいただいたが、やはり他のモンゴル人選手はコップ一杯の水分補給だけで走り出していった。


(補給もしないで走るなんてすごいなぁ。)


再びピスト沿いのコースを走り出していった先に、昨日馬を触らせてくれた

モンゴルの女の子エルデンバットが足を痛そうに引きずっていた。


どうやら足をくじいたらしい。

ずいぶん痛そうだ。


テーピングを背負っていたので、それを出すことにした。

ところがハサミを入れていなかったから、テーピングが全然切れない。


一緒にいた白色系のモンゴル人男性に頼んだら、超怪力で引きちぎってくれた。

(明日からハサミは必須だなぁ。)

それでなんとか応急処置をして、僕たちは再びスタートした。


しばらく一緒に走っていたけれど、上り坂で彼は歩き始めたので

走り続けた僕が先行し、その間に差がついた。


遠くでは馬が群れをなして悠々と草を食んでいた。


ふと気づくと、ここいらには目に見える限りでは川がない。


(そうか・・・

馬は、命は、水がない荒野でも生きて行くことができるのか。)


(水がなくても、それを恐れる必要もないんだ。)


(食料がないと・・・水がないと・・・お金がないと生きていけない。

 そんなのは思い込みの世界なのかもしれない。)


そんなことを感じながら馬の群れのそばを通り過ぎる。

馬には感謝の印にバイバイと手を振った。


ようやくA−3エイドに到着。

ここでもいつもの通り、しっかり補給をとる。


再スタートし、しばらく行くとオフピストの方向をさしたバリースが。


その先を見ると人が走っているのが見えたし、

さらにその先は山の頂上を指していた。


朝のミーティングで話していた「ここ登るの?」と言っていた山のことにちがいない。

その時は「登るまで振り返るな」と言われたっけな。



緩やかだけどしっかりした登りが始まった。

遠くには黄色いザックカバーを揺らして走る選手が見えていた。

みさっちゃんだ。


少しずつ縮まっている感じもしたが、すぐには追いつけない。


そして山に近づくにつれて、足首がチクチクした。

どうやら草の実が靴下を通して刺さるようだ。


(ゲイターつければ良かったなぁ。明日からつけようっと。)


そんなことを考えながら、急すぎる斜面は歩いて登って、

ようやく山の美しい稜線まで出た。


ここから頂上までもう少し。

頂上にはテントが見える。A−4のエイドだ。



先に到着したモンゴルの選手たちは、相変わらず休憩もせず

タッチ&ゴーで出て行く。


車の轍ではない、一本のピストをトレースして頂上に到着。

直前には当たり前のように馬の骨が横たわっていた。


そこで初めて後ろを振り返る。


(うわあぁ・・・)


夢のような美しい世界。

ため息が出るような広大で美しい風景が僕を迎えてくれた。


エイドではなんと小さなおにぎりが準備されていた。

カレー味のおにぎりをいただく。


(おいしいなぁ。)


風が強く、帽子が飛ばされそうだった。

日が少しでも陰ると寒かった。


エイドでは前を走っていたみさっちゃんに追いつき、

そこから一緒にスタートした。


登りとは反対側のピストのない美しい稜線を下り、しばらく行くと・・・


モンゴルの女の子ジャガルが足を抑えてうずくまっていた。

足がつっているようだった。


(やっぱり、補給しなかったからでしょ〜)


A−4までですでに24km。

補給無しで走り続けるには厳しい距離になっているはず。


ザックから塩タブレットやカロリーメイト、ブドウ糖などを取り出し、渡す。

そして水を飲ませた。


再び出発し、しばらく行くと、今度はモンゴルの男の子トモロイが

足をつってうずくまっていた。


(またか〜、補給しないからだよ〜)


同じように塩タブレット、糖分、カロリーメイトを渡し、水を飲ませる。


(モンゴル人選手は、長距離は初めての経験なのかな?)


そんなことを考えながら再び走り始めた。

白いモンゴル人男性ジャドグムバと再び並走していた。


コースを示す黄色いテープとうっすらとついている車の轍をトレースして

走ってきていたけれど、いつの間にかその先がなくなっていた。


バリースも見えない。ピストもない。


(うーん、またロストかぁ〜。やっちまった。)


振り返ると他にも何人かついてきていた。

地図とコンパスをにらめっこする。


なんとなく、CAPの示された方向を見る。

ゲルか、何かはあるけれど、はっきりは見えない。

とにかく、方向だけを頼りに少し進むことにした。


しばらく進むと違う方向からそこに向かって走る選手も見えた。

やっぱりあれがエイドだったんだ。


近づくにつれ、白い車の30km地点のA−5だということがわかった。

(だからゲルと見間違えたのか。)


アミノ酸や塩タブレット、チョコなどで補給し、

念のためハイドレにも水を追加した。


後からきたモンゴル人選手たちは、今度はそれなりに食べていた。

どうやらさっきのことで学んだらしい。


さて、そこからは先はゴールだけだ。


触ったら痛そうな尖った背の高い枯れ草の中の一本道のピストを走る。

一つ目のバリースを過ぎて、進むと・・・


(うーん・・・また次のバリースがないよ・・・)


またロストした。


地図とにらめっこして、CAPの方角的には遠くに見える山。

そういえば、きょうのコースのゴールはバヤンゴビに戻るコース。

あの山が最初に回った山なんだろう。


ふと、後ろを振り向くとみんなついてきていた。


気を取り直して走りだそうした時に、


(グキッ・・・痛ッ!)


ネズミだかなんだかが掘った穴に足を取られ、足をくじいた!


(やばっ・・・)


おそるおそる足首をまわしてみると、キリキリと痛んだ。

それでも真上から足を踏みしめる分には大丈夫な範囲だ。


(ふぅ〜あぶな。これくらいで済んでよかった。)


その後もどんどん山に向かって走る。

キョロキョロとバリースを探しながら走ってみたけれど、全く見当たらない。

相当ずれてしまっているんだろう。


久ぶりのピストも越えて走る。


遠くには電線も見えている。

バヤンゴビにつながっている電線だろうから、方向的にはあってそうだ。


ふと見渡すと向かう先にラクダがたむろっていた。



(もう驚くまい。ここまでくるとなんでもありだな。)


(野良ラクダか?)


ぼんやりと考えながら近づいていったら、

ロープなど所々に結ばれているので、遊牧民の飼い主がいるんだろう。

ただのラクダの放し飼いだ。笑


それにしても近づいてくる。

というより、僕がまっすぐそちらに向かっているからなんだけれど。


(興奮してこっちに走って向かってきたらどうしよう。)


ちょっとビビって、30mほどは距離をとって迂回して通り過ぎることにした。


ラクダゾーンを通り過ぎて、また次のピストに合流するところで、

別な道から走ってきたモンゴルの選手、エルデネチェルンと出会った。


話を聞くと(って、モンゴル語がしゃべれるわけではないけれど。)

バリースを辿ってきたオンコースできたらしい。


どうやらコースに戻ったようで安心した。


そこからはピストをたどり、淡々と走っていった。

足がつっていたトモロイもすでに追いついてきて、念のためクリフバーを分け合って3人で食べた。


最後の2kmというのに、終わりが見えてからが長い。


遊牧民が飼っている黒い犬が遠くからワンワン鳴き、こちらを追っかけてくるそぶりを見せていた。


ちょっと怖いけど、そう思う余裕もなくなっていたので、まあ、とにかく走る。


遠くにバヤンゴビが見えてきた。

うねるピストを走っていくと、朝のミーティングで言っていた

再びの川渡りポイントに到着。


うーん、この疲れ切った状態で川渡りか・・・


先に勢いよく飛んで渡ったトモロイは、精一杯のジャンプで飛び越えた矢先、両足がつって倒れこんだ。


笑えるけれど、そうなるのはよく分かる。

僕もつりそうだ。


その直後に僕も意を決してジャンプ!

なんとかとびこえることができた。


トモロイのところへ行き、足のふくらはぎをストレッチするように

つま先を上体川へ伸ばしてやった。


ひとまず収まったようなので、僕は再び走り出した。

300mくらいか。もう陽光にきらめくゴールゲートは見えている。


順調に走り、ゴールしようという直前!

さきほど両足をつっていたトモロイが全速力で駆け込んできた!


(なぬっ!そこまで復活したのか!)


ゴール直前でさされるというオチ。

なんだかレースらしい。


ロストはしたものの、ともかく初日を無事にゴールすることができた。


ゴールではヨッシーが出迎えてくれた。

なんと2位だったらしい。


(あのヨッシーが負けるとは、1位は誰だったんだ?)


1位は赤い服を着たモンゴル人選手のアーメイ。


いつの時代も、どこの国でも、赤いやつは強いやつだ。笑


そしてもう一つ驚いたことがあった。


この僕が5位だったということ。


(ええっ?この僕がそんな上位にいるの?!)


衝撃的だった。

今までマラソンレースといえば、制限時間内に完走できるか否かの

境目でしかいなかった。


当然表彰台とか、トップ争いとか、そんなことには縁もなかったのだけれど。


(それなら、生まれて初めてだけれど、

 勝つためのレースというものに挑戦しよう!)


(よーし、明日からはもう救済は無しだ!)


そんなことをひっそりと思ったのだった。



レースを終えてバヤンゴビのゲルに戻る。


シャワーを浴びて着替え、着ていたものも水で洗濯して外に干す。



レース後、レストランのゲルでは昼食も準備してくれていた。

モンゴル焼きそば。ヤギの肉の味と塩味のシンプルな味で美味しかった。


食事後でもまだ14時くらい。

そこから昼寝するにも、本を読むにもおしゃべりするにも自由時間。


僕はモンゴルの大地を少し散歩してみることにした。

近くには当たり前のように馬や羊が放牧されている。


なんとなく山の方向に足が向いたが、先にヨッシーが登っていた。

二人で石の上に腰を下ろして、モンゴルの景色の美しさを語り合う。


山の上から見渡す景色。

雲が、空と大地の境目からこちらに向かってくるのが見える。



(世界はこんなに奥行きがあったんだな。。)


低い山を除けば、どこを向いても地平線が見えた。


そして飛び越えた小川は上から見ると美しうねりを見せ、

陽光にきらめいていた。


1kmも先には砂漠の丘陵が見えている。


地平線、空、雲、小川、草原、岩、砂、暑い日差しと冷たい風。

言葉に表せないけど、夢のような美しさだった。


しばらく堪能した後はゲルに戻り、翌日のレースの準備。

あたりはまだ明るいが、ほどなく夕食の時間となった。



それから間もなく地平線に沈みゆく美しい夕日を眺め、夜には1/3ほどの月と満点の星空を堪能し、ゴビの大自然の美しさを身体中に味わった。







その12.ETAP2 「これが砂漠だぁ!!」


夜中に寒さのために何度か目が覚めた。

砂漠気候は日中暑くても夜間は0度近くまで

気温が下がるというのは本当らしい。


ゲル内はストーブをつければ暖かいものの、

消えればぐっと気温も下がっていた。


そんな中、出発前の着替えを素早く済ませ、

朝食をとり、そしてまだ薄暗いスタートゲートに並んだ。


2日目の距離は44km。

昨日見えていた砂丘を走るという。


いよいよスタート!

500mほどでオフピスト。

まっすぐ道のない砂漠の方向を指している。


初めての砂漠。砂の世界。

足を踏み入れる。


茅ヶ崎の海辺の砂ほど埋まるわけじゃないが、やはり沈む。少し重い。


早速コースを少し間違えたけれど、よっしーが呼び戻してくれた。


そしてオフィシャルに誘導され、砂丘の尾根を登る。



(・・・・・美しい・・・)


初めてみた砂丘からの景色。



青い空と砂色の大地、どこまでも続く砂漠。

言葉が出てこないほど美しかった。


足元の砂丘の表面に浮き出ている文様にもいちいち感動した。


その景色の良い砂丘の尾根も100mもないくらいで、すぐに下り。

砂漠エリアのコースが始まった。


ふと横から黒いものが割って履いてきた。

なんと黒くて大きな犬。


それが、吠えるわけでもなく、先頭を走る赤いアーメイと青いサインブイン、そしてトモロイの後ろをついて走り始めた。

どうやら一緒に走っていくようだ。


(どっから来たんだ?)

(野良犬なのか?)


そんなことを考えながら走り続けた。


砂漠エリアのコースは登ったり下ったり、丘のような場所のアップダウンが激しかった。

できるだけ薄い草が生えて地面が硬そうな場所を選んで走ったが、気休め程度にしかならない。基本は砂地だ。


低いブッシュ(膝くらいの高さの木)などが茂っていて、そこに黄色のコーステープがかけられており、昨日のように迷うことはなかった。


淡々と走り続けると、遠くにA−1エイドのテントが見えた。

エイドではしっかりと補給をとった。


A−1を出るとピストに戻り、ふかふかの砂地エリアは終わり、走りやすい地面に戻った。





アーメイたちには少しずつ離されていったが、トモロイが少し遅れ始めて、僕と一緒に走ることになった。3番、4番という位置を走っていた。


その後はオフピストもなく、ピストをトレースして走るコース。

迷う場所はどこにもなかった。


遠くにうっすらと低い山が見える以外は、ただただ平らな景色だった。

遠くまで見通せるけれど、遠くまで何もない。


青い空と、美しい草原と、そして目の前のピストとブッシュ。

走っている自分自身と呼吸。


それ以外には何もなかった。

何も考える必要もない。


透明でありのままの美しさを見せるゴビの大自然が

僕自身をも透明にしていった。


隣ではトモロイも走り続け、今日のパートナーとして一緒に走っていくんだと感じた。


A−3エイドに到着し、僕たちはしっかり食べて飲んだ。

昨日足をつったときに食べさせたことを覚えているのか、

今日はトモロイもしっかり補給していた。


後ろを見るとみさっちゃんやジャガルが一緒に走ってきていた。

エイドでは声をかわすことができた。


A−3を出発してしばらくすると牛の大群が!

ピストのど真ん中をまたぐように群れている。



彼らにしてみれば、毎日自由に行き来しているエリアにたまたまピストが通っていて、たまたま僕らが走ってきたという状況だろうけれど。



景色はあまり変わらない。

相変わらず美しく広大な世界が広がっていた。


時折遠くにゲルが見えた。

これだけ広い場所の中で、どうしてあそこを選んだんだろうか。


ふと。

遠くに人影と一匹の影が見えてきた。


トップを走っていたアーメイたちだ。

疲れたのか歩いているようだ。


僕らもスピードは出ないけれど、走り続けているだけに

少しずつその差がつまっていった。


そしてようやく追いついたときに、彼らも再び走り出した。


犬もずっと一緒に走ってきていたようだ。


そこからしばらくしたらもうA—4エイドが見えてきた。


エイド50m手前くらいからアーメイたちは再び歩く。

僕がその横を走り続けて行こうとしたら、手を掴まれ、

「ここからは歩きなよ」

そんなことを言われた。


(うーん?それは自分がもっと歩いて休みたいからじゃないのか?)

そんなことを感じたけれど、まあエイドだ。

少し歩いて呼吸を整えながらテントに入った。


アーメイたちはちょっと飲んだだけでまた走り出した。


(へー、あんまり休憩しないんだなぁ〜)


食べて飲んだ後、僕らも再び後を追いかけ始めた。


少し走ると朝のブリーフィングで言っていた小川にあたった。

言っていた通り、今回のはひとっ飛びで飛び越えられる幅じゃない。


アーメイたちは靴を脱いで靴下を脱いで川にはいる準備をしていた。


僕も靴を脱ごうとして川そばに来た時。

よく見ると水の中ではあるけれど水面から2cmくらいのところまで

地面があるところが見えた。


あそこに一歩だけでも踏めれば向こう岸へ渡れる。


もしかしたらやわらかくて沈むかもしれない。

だけど疲れた体と頭ではそこまで深く考えなかった。

面倒くさかったから。


(とうっ!)


横目でアーメイたちが「あ〜〜〜、やめろやめろ」と言っている。


その浅瀬に向かって足を出す。


(バシャン!)


靴底の厚みギリギリのところから少し染みたものの、

川面から2cmくらいのところにあった地面は沈むことなく、

僕は向こう岸へ渡ることができた。


(よしっ!ラッキー!)


僕は初めてトップを走ることになった。


トップを走ることになったら、今度は犬が僕についてきた。


(この犬はトップと一緒い走るんだなぁ。)


靴を脱ぎはきしている時間はけっこうあるはずだ。

今のうちに逃げろ!


と言ってもスピードは変わらず淡々と走るだけ。

川面が陽光にきらめき、美しかった。




(それにしても、荒野の真ん中んにあるこの小川は

いったいどこから流れてきて何処にいくんだろう?)



しばらく走っているとなんとトモロイが追いついてきた。


(あれ?もう追いついてくるの?はえーなー)


合流して少し走ったくらいのところで、

違う犬がわんわん吠えながら追いかけてきた。


遊牧民の犬なのか、野良犬なのかわからない。


トモロイは

「しっしっ!」

と一生懸命牽制してくれていた。


(犬はまかせた!)


牽制する余力も無かった僕は後ろを振り向かずに走り続けた。


そしてまたしばらくピストを走っているとアーメイたちが追いつき、そして追い越して行った。


ペースが速い。この後に及んでもまだあれだけしっかり走れるとは。


そしてピストを外れてオフピストのボコボコしたエリアを真っ直ぐに

最短距離を行くように走って行った。


僕らも真似して荒野のど真ん中を走り出して追いかけた。

でも、ボコボコしててピストより走りにくい。


(果たしてオフピストのショートカットは本当に速いのかなぁ?)


ひつじや牛の群れと再び交差しながら走り続ける。


遠くにA−5のテントが見え始めた。

アーメイたちは再びオフピストして真っ直ぐにA−5に向かう。


僕らも途中からオフピストして直線距離が短いコースで進んだ。

だけどやっぱり走りにくい。


やっとA−5エイドに到着。

とにかく補給だけはしっかりと。

まだ先は長い。ハイドレにも給水しておいた。


ここからは登りになっていくのか、行く先には山が見えていた。


再び走り出して少ししたら、地面から砂利が浮き出ているエリアにきた。

この浮き出ている砂利というのが、尖っていること。


何も考えずにその上を走ると、足の裏が痛い。


できるだけ石を避けて走った。


そして少ししたあとに、トモロイが

(足が痛いがら、ここから歩くわ!)

そんなことを身振りで伝えて歩き始めた。


僕は了解と伝え、そこからは一人で走り続けた。


上り坂の丘を超え、ブッシュが茂る場所を抜けた。


もう先頭は影も形も見えない。

そんな中、A−6エイドが遠くに見えてきた。


モンゴルは見通しが良いだけに、随分手前からエイドが見える。

だけど見えてから1.5kmは走り続けることになる。

その見えてからの距離が遠く感じるなよな。


A−6のエイドは、ちょっと物資は少なく感じたけれど、

水分も糖分を取ることはできた。


6kmごとに設置されるエイド。

36km地点まで来たということ。


そして次はエイドはなく、44kmのゴールとなる。


まだまだ走り続ける。


遠くに見えていた山はいつのまにか見えなくなっていて、

僕自身が上り坂を走っていた。


分かれ道を右手に向かい、また長い登りの丘を超える。


眼下にはまたゲルが見えた。


ゲルの間を通り抜け、さらにそのピストの向こうに集落が見えた。


ピスト沿いに走り続けていくと、オフピストのバリースを見つけた。

方向はまっすぐ山の方向を目指している。



(集落には行かず、あの山の頂上に向かうのか。急だなぁ。)


ブッシュにつけられた道案内の黄色のテープを辿って走る。

バリースもちゃんと見つけられた。


そして山を登っている黒い人影が見えた。

上り坂は歩いているようだ。少しは追いつけるのか?


追いかけて走るけれど、近づくにつれて斜面がきつくなる。

さすがに追いつけない。


激登りを登りきってゴールかと思いきや、少し平らな部分を進んだ先に

ようやくゴールゲートが見えた。


足場の悪いオフピストの丘を走りつづけ、

足のくじきそうな場所を避けて慎重に足を運び、

なんとか2日目も無事にゴール!



終わってみれば3位というポジションだった。

嬉しかった。


しばらく休憩していると、みさっちゃんと赤パンのジャルガルがゴールした。

そしてその後はヨッシーがゴール。


ヨッシーは砂漠の美しさにはしゃぎすぎたらしい。笑


クタクタになってゴールした後は、今日から始まるテント泊の準備。

当たり前だけれど自分のテントは自分で設営する必要がある。


体がバキバキになってる状態でテントを設営。

これは地味に辛かった。


次々に選手たちがゴールしてくる。

出迎えて、同じく苦しく長い道を旅してきた仲間を讃える。


そしてそれ以外のレース後のまったりタイムを本部のテント前ですごす。



走ってきたコース。

川渡りしたところの話。

コースを塞いでいた牛や馬のこと。


走りきって疲れて空っぽになった頭と体。

格好はジャージとサンダル。

何もカッコつける必要がなかったし、そんな余力もない。


ありのままの自分。ハダカの自分。


お互いがそんな状態で、共通の体験してきたこと、感じたことを話す。


いつもは誰かに評価されたり、批判されたりして

嫌な気分になることはあるけれど。


ここにはそんなものはなかった。

それぞれが自分自身と向き合い、戦い、乗り越えてきた。


みんな同じだった。嬉しかった。笑顔がキラキラしていた。


日差しはあたたかく、気持ちよかった。

何もないゴビ砂漠の世界だけれど、欲しかったものが全てあった。


なんとも贅沢な時間だった。


少し日は傾き始めた。

ほとんどの日本人選手は帰ってきたけれど、

まだ森谷さんが帰ってきていない。


山の下が見渡せる場所へ行き、いがちゃん、よっしー、みさっちゃんと僕で

しばらくの時間眺めていた。


すると遠くにゴマ粒のような黒い2つの影が。

そしてオフィシヤルのトラックが走ってきていた。


心配していたけれど元気そうだ。

近づくにつれてオルグルと森屋さんとで会話を楽しんでいることがわかった。


オルグルは英語もできる上に日本のアニメ、NARUTOが好きで

日本語を学びたいという思いを持っていた。

英語でコミュニケーションが取れるし、

だから森谷さんとの会話が楽しかったんだろう。


夕食後、なんだか寝るのがもったいなくて、よっしーとみさっちゃんと僕で

オフィシャルのゲルに遊びに行った。


山田さんがどうして今このSSERという団体でゴビマラソンを主催するに至ったのか?

興味があったので聞いてみた。


高校生くらいの時に、山登りが好きだった。


学校が終わってからバスと電車で山に向かい、

そこから登ったりしていた少年だったそうだ。


そのうちに移動手段としてスーパーカブを手に入れて、

山に向かうようになったが、走ること自体も楽しくなった。


そんなことをしているうちに、バイクのレースにも参加し始め、

そしてパリダカなどの海外のステージレースまで出るようになった。


それが面白かったのだけれど、日本にはまだそういうものがあまりなかった。

だから自分で遊び場を作るために、作る側になった。


そして砂漠パリダカ、サハラ砂漠はフランス人がやってるから、

ゴビ砂漠は日本人でやろうと思い立ったのがゴビのラリーの始まり。


ところがバイクや車のレースをやっていると

景色が流れることが早すぎてしまう。


せっかく美しい景色の舞台があるのだから、足で走る速度で楽しめるように

マラソンのレースも始めたということだった。


そして。


このマラソンを通じてどんなことを伝えたいのか?

それも聞いてみた。


答えはこうだった。

「昔はいろいろな想いがあって、それを伝えたいと思っていた。

 

 けれど今は自分の言葉を相手に届けるというより、

 各自に少し立ち止まって、本当に大切なことは何なのか?

 ということを振り返ってほしいということかな」


確かに外界からの余計な情報はシャットアウトされて、

大自然の中で自分と対話する時間がたくさんある。


僕にとって大切なこととは?

自分自身。家族。自立心。挑戦。勇気。感動。成長。


なんだか複雑に考えすぎだ。

このゴビマラソンのようにもっとシンプルになればいいのに。

今はこの時を楽しもう。それでいい。



それにしても。


人にはいろんなストーリーがある。


やりたいという思いを大切にして道を切り開いてきた山田さん。

ゼロから1をつくることの大変さは誰もが想像つくだろうけれど。

それを乗り越える力というのが、やりたいかどうか。


やらなければいけないことをやる意志の力ではなく、

やりたいことに向かう想いの力。


静かに語る山田さんの言葉には重みがあった。


(僕はやりたいことに進めているのか?)


僕には問いかけの言葉となり、励みの言葉となった。



テントに入り、痛くなってきた膝にテーピングをして、眠りについた。







その13.ETAP3 「うおーーーーっ!!」


3日目の朝。やっぱり寒い。


起きて寝袋、テントをたたみ、着替えて荷造りも済ませて外に出る。


まだ暗い時間にヘッドライトをつけて朝食をいただく。

椅子もテーブルも足りないので、食べ終わったら交代。


ほどなくブリーフィングも始まりコースの概要が説明される。

今日は登りが続くようなイメージだ。

コースマップ上でもたしかに今日のゴールは最高地点となっていた。


少しずつ日が昇り始め、スタートゲートにいる僕たちの周囲も明るくなってきた。


三日目にもなると同じ体験しているもの同士、仲良くなってくる。

言葉は通じなくてもなんとなく楽しい会話をしている気分になった。



そうこうしている間に、スタート!


最初の下り坂を、ブッシュをよけながら気持ち良く走る。

気づけば一位のポジションを走っていた。

だからなのか、犬が一緒に走っていた。


そう。


昨日の朝から合流した犬はビバークで一緒に寝泊まりし、

朝はみんなと一緒にスタートラインに立っていた。

今日も一緒に走るつもりみたいだ。


500mほど駆け下りて、ピストをまたぎ、また道のないエリアを走る。


黄色のテープを目印に走っていく。

(初日もこれくらいテープをつけてくれていたら迷わなかったのに。)


また1kmくらい走ったところでピストに乗った。


今日の最終ゴール地点はルート上の最高地点。

だから今日はずっと登りだと言っていたけれど、

ピストは気になる程の傾斜はついていなかった。


走り続けてしばらくしたときに、

アーメイ、サインブヤン、エレデンチュルンの3人が追いつき、

そしてサクッと抜かして行った。


相変わらずペースが速い。

そして犬もその先頭グループについていった。


(まあ、僕は僕のレースをするだけだ。)


それからしばらくすると、最初のA−1エイドが見えてきた。


前を走る3人は相変わらずあまり休憩しない。

僕は相変わらず補給する。


その後は3人の後ろを追いかけながら走り続けた。


しばらくすると彼らは歩き始めた。

朝来ていたウインドブレーカーなどを脱いだり。


だけど僕が追いつく頃にはまたは走り出す。


それでもしばらく走り続けて上り坂に差しかかったときに

彼らは再び歩き始めた。


そこで追いつき、追い越そうとしたときにアーメイから

「待て待て待て。ここは歩くところだ。一緒に歩こうぜ。」

と止められたけれど。


僕は遅くても走り続けたかった。

「いや、僕は走るんだ。」

彼らをおいて、走り続けた。




そしてしばらく走っていると、

再びアーメイたちは追いつき、追い越して行った。


走り始めると速い。でも乳酸がたまるのか、ある程度行くと歩き出してしまう。

そんな走り方をする彼らだった。


そんなデットヒートを続けていると、A−2エイドが見えてきた。

彼らはあまり休憩しないし、僕は休憩する。


後ろにはみさっちゃんとジャガルも見えていた。


A−2を出発するとすぐに結構な上り坂に差し掛かった。

最初の峠のようだ。


先を行くアーメイたちは歩いていたけれど、

さすがに走れず、近くまで追いついてから僕も歩き始めた。



余裕ができて景色を楽しむ。

朝日に輝く緑の丘の上で馬の親子が悠々と草を食んでいた。


目の前にはまだ峠の上り坂が続く。

(あと1kmくらいかなぁ)


ふと前を見るとアーメイは足首の包帯を巻き直していた。


(やっぱり彼らも痛めてるところはあるんだな。)


もう3日目だし。

36km、44km走ってきている。

やっぱり誰でも痛くなるわな。


みんなボロボロ。なんだかちょっと安心した。


上り坂が緩くなって、頂上付近に近づいてきた。

(そろそろかな。)


ゆるりと走り出した直後に立派なオボーが見えてきた。

(あ、見たことある!)



修造さんがとっていた写真にうつっていたやつだ。


僕も同じ場所で写真がとれるとは。

なんだか感慨深かった。


登りきった後はまた激しい下りが見えてきた。

ピストは一度右に膨らみ、その後左にカーブしていた。


モンゴル3人組は迷わずショートカットのピストを使わない

コースを選んで下り始めた。


しかも下りの勢いに任せてバタバタとすごい勢いで走っていく。

(それやると足を使い切ってしまうんじゃないか?)


とは言っても他人の心配をしても仕方がない。余計なお世話だ。


僕は膝も痛かったし、それは僕にはできない。

僕は僕の一歩と共に進む。


大きく下った先の草原のど真ん中には高さ5mほどの小さな塔が立っている。

朝のブリーフィングの時に「モンゴルのへそ」を通ると言っていた。

どうやらそれらしい。



ゆっくりと下った先にはアーメイたち3人が再び歩いていた。

ゆっくりと近づき、お互い声をかけて、ゆっくりと追い越した。


ここで再びトップとなり、そして犬もまた僕に付いてくることになった。


モンゴルのへそで一枚撮り、ゆるやかな登りを走り続ける。


アーメイたちは先の道が見えたのか、

遠くでまたオフピストで歩いていた。


ゆるやかな登りを走り続け、丘の上までたどり着くとまた下り。

その先1.5km先にはA−3テントのエイドが見えた。


トップとなっても、たんたんと走り続けるだけだ。

走り方が変わるわけでもない。


エイドでしっかり補給し、再び出発。

出発してすぐの溝を超えて、丘を登る。


そろそろトイレに行きたくなってきたので、

エイドのテントが見えなくなったくらいで立ちションベンをした。


そこからまたしばらく走ると牛の大群が道を塞ぐ形で群れていた。

(また牛だぁ〜)


近づきながら通れる場所を探す。

ピストを通るには、あまりにも牛と近くなりすぎる。


(まあ、ピスト以外が通れないわけじゃないか。)


僕が牛を避けて迂回することにした。


それにしても牛は驚いたり、あまり動いたりもしない。

羊やヤギたちは近づくと「うわ〜」と逃げ出したりするのだけれど。


やっぱり自分たちが大きいから、小さな相手に対しては

あまり心配しないのだろうか。


でも確かに人も器の大きな人は周囲の変化にぶれないし、

器の小さな人は、環境の変化で一喜一憂する。


(もっと大きな人になりたいなぁ。)

小さなことで慌てたり、気にしたりする僕はそんなことを感じた。


日が高くなり始め、気温も上がってきた感じがする。


(ブーン、ブーン・・・)


気がつけば、周りの草っ原から音がする。


(ブーン、ブーン・・・)


バッタが飛ぶ音だ。

とのさまバッタくらいの大きさが、気温の上昇とともにいっぺんに活動を開始していた。


見渡す限りの草原。


特に上り坂は道がまっすぐに空に向かっているように、

空と地平線の境目から僕のところまで遮るものは何もなく道が繋がっていた。



(この先はまたどんな世界なんだろう?)


峠を越えるとようやく次の景色と出会える。


小学校の教科書に書いてあった「あの坂をのぼれば」を思い出す。


ようやく登りきった先には当然また次の道なのだが、

見えなかった分景色ががらりと変わる感じがするのが不思議だ。


全体的には登り続けるコースなので、上り坂が終われば

また平らな道というように繋がっている。


ふと音がすると思ったら、オフィシャルの大きなトラックが走ってきた。

これから本部の設営に向かうにちがいない。


すれ違いざまには応援してくれた。

僕も手をふって応える。


時折犬が後ろから近づきすぎて足に当たってもつれる。

「もうちょっと離れて走ってよ〜」

おしゃべりしながら走るのも悪くない。


何度目かの登りを走っていると、その丘の上に

石原さんがカメラを構えている姿を見た。


どうやら次のエイドが近いらしい。


坂道を登りきり、少し走ると予想通りA−4エイドが現れた。


A−4は毎回ミールステーションとなっていて、軽食が用意されている。

今回もまた山田さんがいてくれて、おにぎりが準備されていた。


走り続けている体としては、少し喉を通りにくいおにぎりではあるけれど、

走るために必要なエネルギーが込められている。

しっかりと味わいながら食べた。


他にもバナナや塩タブレットなどをとり、再び出発。

犬は少し疲れたのか、その時点では追いかけてこなかった。


再び一人旅になった僕。


遠くには白いゲルと牛や馬とゆったりと歩いている遊牧民が生活していた。


近くにお店どころか、川も見当たらないこんな場所でも、悠々と生きている。


それに対して、僕といえば。

ローンに保険に食費に光熱費。交通費にレジャー費。


僕は毎月25万円はないと生活できないと信じてる。


(僕はいったい何にとらわれているんだろう?)


(同じ人間なんだよなぁ。僕にもできるのかもしれない。)


走りながらそんなことを感じたりしていた。


道は一度右にそれて、その先では再び左に大きくそれていた。

モンゴル人選手だったらまっすぐ行きそうな道だ。


僕は、やはりピストの上を走っていくことにした。

走りやすいからだ。


彼らがオフピストして草原をすぐに走っていけるのは、

道の上を走らなければいけないという思い込みがないのかもしれない。


道がないのが当たり前だし、足がある馬や羊のように人もどこでもいける。

同じモンゴル人の遊牧民が道のない草原のどこにでもいる。


ピストを使うのは車やバイクくらいだと。


やはり環境から思い込みというものが作られるのだろう。


しばらく走ると草原のど真ん中に小さな建物が作られていた。


(何かの倉庫?あれはコンクリートでできている?)


なんのために作ったのかわからないけれど、

この大草原の中には似つかわしくない。

不思議なものがあるものだ。


再び長い上り坂にさしかかってきて、空に向かう上り坂が続く。

ピストがクロスして道が変わる。


やっとのことで急な登りを登り切ると、再び新たな景色と平らな道。


少し進むとA−5のエイドが見えてきた。


なぜかA−4で離れた犬がそこには寝そべっていた。


(抜かされたっけ?)


どこかのタイミングでオフィシャルの車について走ってついていったらしい。


補給した後はほどなく出発。

先はまだ長い。


平な道に見えるけど、少しだけ登っている。

しっとりとした上り坂を小股にして走り続けた。


スピードは上がらないけど、足は前に出せる。


(これは僕の道だ。)


(自分が一歩を出し続けられるならそれでいいんだ。)


それでも黙々と走り続けていると奇妙な感覚に襲われた。


ずっと登りのはずなのに、登りにも見えるし、下にも見えた。


広がる草原。

そこには木が生えていない。


木って垂直に向かって伸びるでしょ?


僕は上り坂か下り坂というのは、山の斜面に生えている木のを頼りに

判断していることに気がついた。


この三半規管が拾えないほど傾斜が小さくて、

景色の中に比べるものがない世界。


そこでは人は上り坂か、下り坂かさえわからなくなってしまう。


(つまり人が何かを判断する時というのは、相対的でしかないんだ。)


周りと比べてどうなのか?

比べるものがなければ、意味付けさえできなくなる。


(主観的でいいというけれど、絶対的な感度というのはないものだな。)


色即是空。


そんな曖昧な自分の主観によって一喜一憂してきた僕自身に苦笑した。


子牛が4頭いる近くに小さな石の塔がたっていた。

自然にできたのか?


それをすぎてしばらく走ると遊牧民族のおじさんが子供とバイクに乗って走ってきた。


人懐っこい笑顔を向けてくれる。


「乗ってくか?」

バイクの後ろの荷台を指差して、そんなことを言ってくれた気がする。


「いや、走ってるんだ。ありがとう、大丈夫!」

僕もそんなことを笑顔で伝えた。


言葉は通じなくても、人の親切って伝わる。


そして、きっと、モンゴルの大草原の中に生きる人たちに、

他人を騙して生きようとする人はいないのだろう。

初めから人を信頼して、心の扉を開いた接し方だった。


結構感動した。


(僕はいつから人を疑って生きるようになってしまったのだろう?)


さらけ出せない、弱みを見せない、自己開示できない。

弱みを見せるとそれを逆手にとって責めてくる人がいる。

人を信じていないとそうなる。


遊牧民のおじさんの笑顔が胸に響いた。


遠くに人影が見えたと思ったら、

まだテントも立っていなかったA−6エイドに到着。


屋根はなくても必要な補給がとれれば問題ない。

チョコと塩タブレットをガリガリ食べ、コーラを飲んだ。


エイド直後の上り坂を登っていく。

何度目の峠だろうか?


登りきって始まった次の景色。


山の上に白い岩が浮き出て見えていた。


こっちの山の上にも。あっちの山の上にも。


(そうか。ここかぁ。)


コースの案内文にかいてあった「カルスト台地のような地形」だという意味がここにきてやっとわかった。



秋吉台は行ったことがある。

あそこはさらにたくさんの白い岩が浮き出ていた。


(カルスト地形だったら、秋吉台の方がすごいな。)


僕の手柄でもなんでもないのに、なんだか誇らしい気持ちになった。


今日のゴールは峠を少し越えたところにあると書いてあった。


道が続いてく正面遠くに山が見えてる。


(あの山を登るのかな?あっちの山を登るのかな?)


そんな思いを巡らせながら走り続けた。


山に近づいたところで、一旦激下りになった。

左に道がそれていく。


牛たちがいる。そしてボロボロの小屋がある。


(考えてみれば、移動式住居のゲルを使うのが普通なのに、

定位置に作られている小屋というのは珍しいな。)


(そもそも、みんな定住しないじゃないか。)


(木材も資材もない荒野の真ん中に、誰がなんのために立てたのだろう?)


そんなことを0.5秒くらいで考えながら走っていたらバリースが見え、

そしてまたピストが分かれていた。


一瞬迷ったが、右手に枝分かれしたピストを選び走っていった。


今度はずっしりと重い上り坂が始まった。

さすがにはっきりと上り坂であることがわかる。


(キツイなぁ)


歩きたくなったけれど、歩幅を小さくすれば足は出せる。

僕らしく、遅くても走り続けることを選び、あえぎながら足を出し続けた。


息が苦しい。

(最高標高2500mに近い場所なはずだからな。)


富士山往復マラニックで教わった「吐き切る深呼吸」

を使いながら走り続けてきた。


キツイ登りを走り続けること1.5km。

ようやく最後のエイドA−7に到着。



ちょうどその頃に。

何かが顔にあたる感じがしていたが、

エイドについてはっきりとわかった。


パラパラとテントに雨粒があたる音がしてきた。


(やっぱり雨かぁ。。)


(小雨のままだよな?)


あたりの空模様を伺うと、暗い雲と明るい雲が入り混じっている。


(通り雨みたいなものかなぁ。)


レインコートを出すかどうか迷ったけれど、

うすいウインドブレーカーなら今も着ている。


(少しくらいなら大丈夫だ。)


結局面倒くさかっただけなのだが、レインコートは出さずに出発した。


その途端に、また一段と雨が多くなってきた。


(少しくらいなら大丈夫だ。)


そしてまた少し進むと、小さな塊が降ってきた。


(ヒョウか!)


(少しくらいなら・・・?)


さすがに心配になり、空を見上げた。


なんとなく今の頭上だけが色の濃い雲で、その先はまた明るく見えた。

きっと通り雨。


(大丈夫だ。)


ようやくたどり着いた峠にはオボーがあった。

本当は時計回りに3回回るとお経を読んだと同じ効果がある。


朝のブリーフィングで聞いた時にはやろうと思っていたけれど、

心臓破りの長い上り坂と、ヒョウ混じりの雨でそんな余裕もなくなっていた。


それを超えるといよいよ下りが始まった。


そらが陰ったせいか、なんだか夕方のような錯覚をする。


犬がわんわん吠えるゲルの横を通り抜ける。

再びの別れ道を左へ下る。


ほどよく傾斜がついた下りは、力を抜いても加速していった。


(回復ゾーンだ。)


エイドで食べた補給食がポンピングで身体中に運ばれていくイメージをする。


なんだか調子がよかった。

膝の痛みも今はそんなに出ていない。


弾むようにいいペースで走り続けた。

時計を見ると5分30秒ほど。いい感じ。


自分でもカッコよく走れてるイメージで気持ちよく走り続ける。


下りきり、少し登ったところだった。


(あ、これがうわさの!)


残り1.5kmほどのところのバリースが倒れていた。

馬が通ったのか、なんなのかわからないけれど、

変な向きに向いていた。


それも通り過ぎて、再び下り。


(きたっ!)


ついにゴールゲートが見えた!


走って走って走って!

ついにゴーーール!


「うぉーーーーっ!!」



人生初めて、レースで一番のゴールだった。


(やったぁ!)


嬉しかった。


曇り空ではあったけれど、気分は爽快だった。


(フーッ)

ゴールして歩き始めると、急に足や膝の痛みを思い出すから不思議だ。


荷物を受け取りテント設営しようとしてると、

バヤンバスレン、そしてその後ろにみさっちゃんが帰ってきた!


「おかえり〜!」


ハイタッチとハグでお互いの完走をたたえあう。

感動する瞬間だ。


その次にはヨッシーも帰ってきた。


テント設営も終わり、着替えを済ませてリラックスタイム。



今日もラン後のビールだ!


みさっちゃん、よっしーとゆるゆるとしていると多田さんといがちゃんが帰ってきた。


以外にも昨日まで最速の2トップだった

アーメイとサインブヤンが帰ってこない。


(どうしたのかな?)


いがちゃんにモンゴル人選手のことを聞くと、

エイド7で足の痛みでうずくまっていたらしい。


だからストックを一本貸してあげてきたんだと。


その後しばらくした後に、二人は歩きながら帰ってきた。


(やっぱりどんな強い選手でもダメージあるんだなぁ。)


握手をしただけで伝わってくるモンゴル人の腕力、筋力の強さに

衝撃を受けたけれど、それでも痛みを抱えながら走ってるんだな。


少し安心した。


それにしても寒い。

風も猛烈に強い日だった。


フリースもダウンもカッパも着込んで本部のテント内に避難。


ゴールゲートも強風にあおられて傾いてきていたし、

しまいには倒れてしまった。


その間にもポツリポツリと選手たちは帰ってきた。

その度にヨッシーとみさっちゃんと一緒にゲートまで出迎えに行く。


ゴールするときは誰もが例外なくいい顔をしていた。

同じ道、同じ距離を走ってきた仲間とハイタッチにハグ。

幸せな瞬間だった。


夕食は羊のモンゴルスープ。

塩味だけのシンプルなものだったが、それがとっても美味しかった。

他にもてんぷらなどもあり、こんなところで?と驚かされた。


そして寝る時間。

一度は深い眠りに落ちたと思ったら、夜中に騒がしくなった。


モンゴル人選手のテントがなんだかザワめている。


緊張した声色で仲間を心配しているような会話が聞こえてきた。

そのうちに、「ドクター」という言葉まで聞こえた。


(急な体調不良でも出たのだろうか?)


そんな騒ぎもしばらくしたら落ち着きを取り戻し、

再び僕も眠りについた。


後日、そのときの騒ぎの原因を聞いたときに、

モンゴル人選手の一人が寒さに震えたことが原因だったということだった。


確かに、彼らはテント内でも薄い布団だけだし、

着ているものもジャージとウインドブレーカーくらいだ。


(まあ、それだけ防寒しなかったら寒いよなぁ。)


ともかく、体調不良ではなかったらしい。

翌日も全員走っていたみたいだし、よかった。





その14.ETAP4. 痛みの向こう側


翌朝。

ETAP4は最長の57kmのコース。

スタート時間もいつもより1時間早く、6時スタートの予定。


いつもより1時間早く起床。

真っ暗闇の中で着替えて準備する。

でも暗いことで一つ助かることがある。それがトイレだった。

暗いうちにトイレを済まそうと離れた場所の茂みの影に座る。


なのに。


(なんでお前が来るんだよ!)


なぜか犬が僕のトイレ現場に居合わせることになった。

ちょっと恥ずかしかった。


朝食を済ませ、インフォメーションボードに張り出されたリザルトには

トータルでも僕がトップになったことが書かれていた。


(そっか。アーメイたちが歩いた分で逆転したのかぁ。)


(もしかしたら、総合優勝というのも可能性ができたってことだな。)


(でも先は長いからなぁ。)


膝は日に日に痛くなってきている。

最後まで走り続けることができるのかどうか、全くわからない。


僕にできることは、僕の一歩を出すことだけだ。


残念ながら小雨が降り続くままスタート時間が近づいてきた。

止む気配もないので諦めてカッパを着込む。


他の選手たちもカッパをきていた。



ヘッドライトを装着し、真っ暗闇の中でスタート!

ゴビマラソン最長距離のコースが始まった。


(あれっ?)


昨日足を引きずってゴールしていたモンゴル人選手たちは

元気よくスタート。

あっという間に先頭のアーメイたちに引き離された。


それどころか、女の子のジャガルやエルデンバットも勢いよく前に出る。

昨日まで最後尾を走っていたオルグルも気負いなく前に出ていた。


(・・・みんなこんなに走れるんじゃん!)


僕は5番手くらいか。

引き離されないように、テンションの張ったペースで走る。


だけど。


(むーん。。)


ジャガルやエルデンバットが着ているカッパはどうみても100円ショップで売っているようなポンチョ型のカッパだった。


走りながら風の抵抗を受けてバサバサいっている。

しかし、それでもなお早い。


僕はといえば、レインコートは迷ったあげく、モンベルの軽量タイプ、

トレントフライヤーを大枚叩いて購入したというのに。


(速さは道具じゃないんだなぁ)


少し恥ずかしくなった。


1kmほど走った先でオフピスト。

左手の草原に向かって走っていく。

丘を登り、500mほど進むと新たなピストに合流した。


夜が開け始めて、空が白み始めていた。


雨は小雨になり、このまま止むかと思われたが、今度はまた急に強い雨に戻った。

慌ててフードを被りなおす。


オルグルもエルデンバットもスピードは全然落ちず、追い越せなかったが、

5kmあたりの上り坂で歩き始めたときにゆっくりと追い越すことができた。


そして6kmでA−1エイドに到着。

ここは時間が早いせいかドリンクしかなかったが、

それでも僕はジュースをもらった。


ところが、モンゴル人選手たちは相変わらずほとんど休憩しない。


後ろから来たモンゴル女の子バヤンスレンは走りながら

自分のゼッケン番号を告げるとノンストップで走り去った。


バヤンスレンとジャガルが二人並んで前を走る形となった。


僕も2杯飲むと、彼女らの後ろを追いかけた。


夜はすっかり明けて、朝の明るさになっていたけれど雲はところどころ厚い。

また雨が急に強くなる。


いくつもの丘がつらなる道。

アップダウンのうねりがある上り坂で、歩き出した彼女たちを追い抜く。


その先にはアーメイの姿も見えた。


彼も歩いている。

そのうちに座り込んでしまった。

足が痛むのだろうか。


近くまで追いついた時に、

「エアサロンパス持ってないか?」

と聞かれた。


ビバークで貸したりしていたから、そのことを言っているとわかった。

でも僕はテントの預け荷物に入れていた。


「今は持ってない。テントだ。」

「あー」

伝わったようだった。そしてそれでも僕は走り続ける。


500mくらい前には犬と一緒のサインブヤンの青いユニフォームが見えた。


ゲルの脇にいる大きな犬のそばを通り、これまた急な峠を登り始める。


(今日から下りじゃなかったのかよ〜)


さすがに少し歩いてしまったが、

そのあいだにエレンデチュルンに追い越された。


(まだまだみんな元気なんだな。)


峠を越えるとまた急な下り坂。

膝が差し込むように痛い。


小股にして慎重に下りていくと、A−2エイドが見えてきた。


今度は補給食も置いてあった。

ありがたくチョコや塩タブレットを口に入れ、コーラを飲む。


そのあいだに、アーメイA−2に止まらずあの下りを全力で下っていった。


(足痛いんじゃなかったのか?)


テントを出る時には、後ろにみさっちゃんも見えた。


この頃にはすっかり雨も上がって、雲もなくなっていた。


(なんと、美しい・・)


目の前には両手を小高い丘に囲まれながら、遠くまで見渡せる草原が

朝日に照らされて美しい景色を作っていた。



ピストに沿って走り続ける。

ゲルの近くを通りすぎる時は、またもや犬がワンワン吠えていた。


しばらく進むと見晴らしがいい大草原に向かってオフピスト。

遠くにA−3エイドのテントが見えていた。


エイド手前でエレンデチュルンに追いつき、一緒に走ってエイドに到着。

ここでもしっかり食べておく。まだETAP4は始まったばかりだ。


少し進むとアーメイがまた座っていた。

僕らが近づくと、立ち上がり、3人で一緒に走り始めた。


しばらく一緒に走っていたが、アーメイが歩き始めて離脱。

エレンデチュルンもそのうち離れてしまった。


ピストがないところは黄色いテープがコースマークになる。

見逃さないように走っているけど、やっぱり見失う時がある。


それにオフピストのエリアはとても地面がボコボコしている。

ネズミの穴なのか、見過ごすとつま先やかかとが入ってしまう穴もある。


初日に足をくじいたばかりなので、足を運ぶ先を慎重に選ぶ。

時々、沈み込むような地面もあったが、トレイルと思えば何でもなかった。


草原の両側には低い山があり、その真ん中を抜けていく。

この一瞬だけが今ここであり、その一秒後には過去になる。

この景色もすぐに記憶に変わってしまう。


(大切に走らなければ。)


多少のうねりはあり、低い丘を超えてカーブしたところで

次のA−4エイドが見えてきた。

と同時に、トップのサインブヤンと犬がA—4エイドから出発したのも見えた。


天候はすっかり晴れ上がって、朝の雨が嘘のよう。

A−4エイドではおにぎりをいただき、レインウエアも脱ぎ、ザックにしまい込んだ。


ここでもCAPチェンジ。

また新たな方向のブッシュに向かって走る。

トップの後ろ姿が少し見えていた。


ところでブッシュはまだらに生えている。

そのまま突っ込むとチクチクしてしまうので、その隙間をぬってよけて走る。


そして少し上り坂を登ったところでピストに合流した。


少し走ると羊の大群が出会った。



牛じゃなければそんなに怖くない。

普通に走っていくと、羊のほうがわーっと逃げていった。


ピストになって安心していたけれど、少し走るととがった砂利が浮き出ているエリアに差し掛かってきた。

たびたび出会うエリアなのだけれど、相変わらず踏むと痛い。


ピストが走りやすいのだけれど、それをさけて路肩のオフピストのエリアを選んで走る。


しばらく走ると遠くに白いテントが見えた。

相変わらず見通しが良いので、どこまでも見えてしまう。


(あれがエイドかなぁ。)


なんて思っていたら、ピストが左のほうへそれていった。


(あ、違ったのか。汗)


そしてA−5エイドに到着。

30kmを走ったところだから、道の半分。

まだまだこれから。


しっかりと補給してさらりと出発。

遠くには先頭の後ろ姿と一匹の姿が見える。


(1kmくらいの差があるのかな。)


ここら周囲には低い山も見えず、広大な平原がどこまでつづいていた。


ピストを走っていくと、なんとも走りにくい表面の場所がある。

まるで戦車でも通ったあとのように、キャタピラの形をしているのだ。


走りにくいにし、地面が尖っているのでこれまた足が痛い。

(なんでこんな形してるのだろう?)


石ころゾーンも嫌だけど、このキャタピラゾーンも嫌になった。

だから路肩のオフピストエリアを走るんだけど、

オフピストエリアもボコボコしてるので、それも嫌になったら戻る。


登ったり、降りたりの繰り返しで走っていった。


(道は平らだけど、本当に降っているのかなぁ?)


ふと腕時計の心拍計を覗いてみると、140bpm台だった。

いつもゆっくり走る時でも150bpm台だったから、ペースが遅すぎるのか、

心肺には負担がかかっていないということは、やはり下りなのだろうか?


(まあ、走り続けられるペースで走るだけだ。)


走り続け、A−6エイドに到着。

同じように補給し、再び走る。


ピストは北に向かって続いている。

途中長くて大きな上りもあった。



(下り坂のコースのはずなのになぁ。)

そんなぼやきも頭の中でよぎったけれど、

先頭はそこで歩いたのか、少し縮まった気もするが、依然として遠い。


ようやく、A−7エイドに到着。

42km。残り13kmだ。補給して出発する。


アップダウンが続くコースを走り、キャタピラピストを走り、

牛の大群ゾーンを牛を避けながら走る。


自由に走り回っていた馬が、足を止めてこちらをじっと見てたりした。


膝もだいぶ痛くなってきた。苦しくなってきた。


だけど一方でこうも思った。


(痛みよ、苦しみよ、このゴビマラソンの夢のような景色と時間を

忘れないように体に刻み込むんだ!)


楽しかったことは以外とすぐに忘れてしまう。

辛かったことは忘れない。

だからこそ、忘れないような苦しさもありがたかった。


本日ラストのA−8のエイドに到着し、補給して出発。


大きく下ったと思ったら、また大きくて長い丘上りが始まった。

目の前には大きな山が見える。


(あの山を越えるのか?)


峠なのか、かなり急だ。そして長い。

歩幅をさらに小さくして、ゆっくり登る。


ゴールに近い場所のはずだけれど、疲れた体にこれはきつい。


少し平らになったと思ったら、ゲルが一見。

家畜が草を食べ尽くしたあとなのか、そこら一帯は草がなかった。


(家畜が砂漠をつくるって、意外と本当かも?)


そんなことを考えているうちに、左手の大きな山を回り込んで

再び急な上り坂が始まる。


足場はガレているし、上りも急。

道は空に向かってうねりながら伸びていく。


右手の山の斜面にはたくさんの羊や馬たちが放牧されて歩いていた。


あえぎながらも峠の頂上まで近づいた時に、遊牧民が馬に乗って近づいてきた。

ニコニコしながら気さくに声をかけてくれる。


僕「走ってるんだよ!」

遊「頂上までもう少しだよ!」


そんなやりとりがあった気がする。


言葉は通じなくても気にせず言葉をかけてくれるし、

なんとなく通じあう気がする。

人を信頼した笑顔の力に感動するばかりだ。


ついに激上りの峠を登りきった先には、

遠くに本部のテントとゴールゲートが見えた!



しかし今度は激下り!


衝撃が強いと膝に差し込むように痛む。

とても軽快に下りを走ることはできなかった。

おそるおそる小股で走る感じで、あまり格好良くはない。


ゴールが見えてからの距離は相変わらず遠く感じる。

下りきり、そしてまたゴール直前は激上り。

なんとか走りきり、ついにゴールした!


(やったぁ。)


それでも、この最長距離のETAP4を

無事に2位の順位でゴールできることになった。


先にゴールしたサインブヤンはテントを立て始めていた。

犬は寝そべってゆっくりしていた。


(やったぞ。走りきった。)


少し椅子に座り、ただ湧き上がる感動を噛み締めていた。


広大な景色とポカポカの太陽が心地よかった。


テント設営をしているとみさっちゃんとバヤンバスレンも帰ってきた。



あとで話を聞くと、上り坂を走ろうとするとバヤンバスレンが手を握り、走らせなかったという。その割にはゴール直前は自分が走って前に出るという。

なんともずるく、面白いモンゴル人の文化だった。


その次にはよっしーも帰ってきた。

思わずビデオ撮影。


よく晴れていたので、着替えも洗濯することにした。

水ですすだあと、近くのブッシュにかけて干した。


また時間をあけて、宮崎さんも帰ってきた。

「気持ちよかった〜」と言ってゴールする余裕がかっこいい。



よっしー、みさっちゃんがそろったところでいつものようにビールで乾杯!

走りきった後にビールというのは、至福の時。



つまみとして、オフィシャルから作り途中のお好み焼きを分けていただいた。

まさかゴビ砂漠の真ん中でお好み焼きが食べられるとは思わなかった。

とても美味しかった。


そして道中のそれぞれの旅を語りあう。


この同じ体験をした上で、共通の体験を語り合う

ということはなんと楽しいことだろう。


きっと、わかる、わかってもらえるという

共感するポイントが多いからだと思う。


その後にはアーメイと色白のジャドグムバが歩いてのゴール。



岸井さん、エルデネチュルンと続き、



多田さんがジャガルと手をつないで一緒にゴール。



その次にはいがちゃんとオルグルが腕を組んでゴールした。



そしてその後に足を引きずりながら走ってきた東さんがゴール。



ゴールした途端に涙が溢れ出してきていた。


「はぁぁ、涙が止まらない。。」そう言う東さんの涙がよく分かる。


痛くてつらかったこと。そんな自分と戦い、乗り越えてゴールしたこと。

東さんの涙に誘われて、僕もまた涙が溢れ出してきた。

感動のゴールシーンだった。


昨日の嵐に吹かれ、ボロボロになったゴールゲート。

テント素材の丈夫な生地なのに、モンゴルの遮るもののない風の強さを感じた。


その後も津村さん、木村さん、伊藤ちゃんと続々と帰ってきた。







それにしてもみんなすごい。

この連日続くレース中で、足が痛くてリタイヤという人がいない。


そもそもここまでのレースに申し込んできている時点で、

気持ちから違うのかもしれない。


夕食後にテントに戻り、痛みがましてきた膝にさらなるテーピングを施した。


この最長距離だった日を無事に終えてホッとしているけれど、

それでも明日だって40kmを超える距離がある。

そして幸いにもまだ総合で1位を維持していた。


(総合優勝も夢じゃないかもしれない。)


(明日も無事に走りきれれば、の話だ。)


(頼む、もってくれよ。。)


膝をさすり、しっかりとストレッチをして眠りについた。

 




その15.ETAP5 うわぁぁ・・・


ブルルルルル・・・


いつものごとく、発電機の音で目覚ましとなり、起床する。


相変わらず朝は寒い。

スタート直前までは上下カッパも着込んで冷やさないようにした。


翌朝はまた気持ちよく晴れた。

遠くには2日目に見たような砂漠ゾーンが見えていた。



今日は再び砂漠を超えるコースらしい。


ゴビマラソンも残り少なくなってきた。

疲れた体とは裏腹に、気力は充実していた。



朝日が登り始めた頃、5日目がスタートする。

ゴールまでは41kmだ。



最初の下り、みんな勢いよく出る。


オルグルもエルデンバットも前を走って駆け下りていく。


(初日にくじいた足は、もうそんなに治ったの?!)


1.5kmほど走ったところで右の草原に向かってオフピスト。

山の裾野を上る感じになった。けっこう長い上りだ。


そこではみさっちゃんにも追い抜かれるが、そこから我慢の走りで遅れながらも追いかけて行った。


長い上り坂を超えたと思ったら、下りの先にはまた丘が見えていた。

いくつもの丘がつらなっているような美しい地形だった。



谷底には大きなクレパスもあり、なんともダイナミックだ。


最初のA−1エイドは何もなく、ほとんどスルーパス。

(水は背負ってるし、朝食も食べてるから大丈夫だろう。)


何度も坂を上ったり下りたりしながら進んでいくと、視界に砂漠エリアが入ってきた。


(砂漠か。。)


二日目にも走った砂漠エリア。

同じようなイメージをしながら足を踏み入れたその時。



(重いっ!)


前回よりずっと砂に埋まりやすく、足が重くなった。


しかも、砂丘の高さが高い!

そこを上ったり下りたりしなきゃコースマークの黄色のテープが見えない。

二日目よりずっときついコースになっていた。


(ハァハァ・・・)


あえぎながら砂丘を上り、降りる。

するとまた新たな丘が見える。


砂丘の上りはさすがに走れない。

砂で滑りながらもなんども上り下りする。


前を走っていたサインブヤンやエルデンバットはもはや見えなくなっていた。


少しずつ走り続け、ようやく砂丘も終わりが見えてきた。



ブッシュゾーンを超え、小さな小川を渡ると草原の始まる場所にようやくA−2に到着。


補給食も飲み物もしっかりあり、12kmぶりに糖分を補給できた。


そこからは久しぶりにピストに戻り、しばらくは安心して進む。



その後は再びオフピスト。

遠くには丘を上るサインブヤンとエルデンバットの姿がチラリと見えた。


(あっちの方向か。)


遠くの丘を目指して真っ直ぐ進みはじめた。

地面は相変わらずデコボコして走りにくい。


時々低いクレパスのような場所もあった。


(バイクでこんなところ走ってたら吹っ飛ぶのもよく分かる。)

(第一、こんなに近くまで行かないとわからないじゃないか!)


僕は足で走るスピードだからなんともないが、100km/h以上のスピードで走って、

急にクレパスと出会ってもブレーキなんか間に合わない。


ラリーをする人が落ちたり、飛んだりして事故する意味がようやくわかった。


そんなことを考えながら走っていたら、次のバリースが出てこない。

(またやっちまったか。。)

ロストしているようだった。


ともかく目の前の丘を目指して走り続ける。

登れば何か見えてくるだろう。


登りきったところで、なんとかピストを見つけ、戻ることができた。

下ったところでA−3エイドが見つかった。


そこでエルデンチュルンと一緒になった。


エイドを出てからすぐに彼が先行した。

僕は僕のペースで追いかけているけれど、少しずつ話される。


もう何度も彼らと走ってきたけれど、

モンゴル人選手は基本的に果敢な挑戦者だ。


後半バテるから前半取っておこうなんていうものは皆無で、

みんな最初から全力を尽くして走り続ける。

そして結果的に走り尽くしてバテたらそこからは歩く。


そんな風に前傾姿勢でいつも走っている。

その出し惜しみのなさには敬意を感じた。


前にはエルデンバットの背中も見えてきた。


たしかまだ18歳だという彼女。

その若さで250kmのアドベンチャーレースに参加するなんて、

一体どんなストーリーがあったのだろう?


だけど18歳で砂漠を250km走る経験というのは、間違いなく彼女の力になるだろうな。


そんなことを考えながら走っていたら、

彼女のペースが落ちたのかようやく差が縮まってきた。


上り坂でようやく追いつき、一声挨拶して追い抜いた。

エルデネチュルンも同じくらいで追いついた。


そしてその先には青ジャージのサインブヤンの姿も見えてきた。

少し歩いたりもしているようだった。

ようやく追いつき、少し並走した後に彼はまた歩き出したのでそこで追い抜いた。


ピストが右に左にうねうねしながら上りが続いていた。

その丘の中腹に、A−4エイドが見えてきた。


遠回りのようだけれど、僕は走りやすいピストをトレースして走った。


すると後ろからサインブヤンとエルデネチュルンが

エイドに向かってまっすぐに走って、追い抜いていった。


走り始めると彼らは速い。あっと今に追いて行かれた。


上りをゆっくり走りながら、なんとかエイドに到着。

サインブヤンとエルデネチュルンと一緒に食べる格好になった。


「うどん食べる?」


ミールステーションであるA−4では軽食を準備してくれているけれど、

今回はカップメンだった。

しょうゆ味のスープが塩分を必要としている体にしみた。


休憩しているとエルデンバットも到着した。

座るいすもなくなっているので、サインブヤン、エルデネチュルン

に次いで僕も出発することにした。


出発してもすぐに上りの続きから。

けっこう傾斜はきつい。


前の二人は歩いていたけれど、僕はゆっくりでも小股にして走って上る。


ちょっとずつちょっとずつ差が縮まり、

そしてゆっくりゆっくり追い越して行った。


彼らを追い越してもまだ上りは続いたけれど、

僕にできることは僕の一歩を出し続けること。

小さくても一歩は一歩だ。




丘を越えたらゆるやかな下り。



(痛いなぁ。)


ゆるやかだけれども、膝の痛みに響いていた。


(でももう少し。今日を無事に乗り切れば、明日は23kmなんだから。)


ピストに牛が広がっているエリアを走り抜け、また少し上りの丘を越える。

分かれ道のところでゲルの近くの大きな犬がワンワン吠えていた。


空に向かって伸びる道。大きな丘だ。

上りも急で苦しくなる。

青い空に緑の草原の丘。それでも景色は美しかった。



その丘を超えて下りになったところでようやくA−5のエイドが見えてきた。

到着して、先頭との差を聞いたらなんと1時間も差があるという。


いつもは後半ばてて追いついたりできるけれど、

アーメイは今日は絶好調らしい。


それでも僕は僕のレースをするだけだ。

再びエイドを出発して、続きの大きな上りを上る。

今日はアップダウンが激しい。


そしてようやく登りきった先には、また急な下りが待っていた。


(またこれかぁ。)


急な下りは本当に膝の痛みにつらい。

おそるおそる一歩を出してゆっくりと下っていく。


少し平になったところでやっとリラックスして走り出せた。


ピストに沿って走っていくと、

遊牧民の親子が二人並んで腰を下ろしてこちらを見ていた。

軽く手を振り、あいさつをする。嬉しい瞬間だ。


それが過ぎるとまた大きな丘が見えてきた。

今日は上りと下りが多い。



距離が短いなんて安心していたけれど、

ものすごく変化に富んだタフなコースだ。

苦しい。


だけど。


(つらさよ、苦しみよ、僕が今ゴビを走っていることを体に刻み込んでくれ!)


時間がたっても思い出せることというのは、たいてい苦しかったことだ。

だからこそ、今の膝の痛みも、上りの苦しさも、

貴重なものにも感じることができた。


大きな丘を超え、下った先に最後のA−6エイドを見つけることができた。

なぜか、ピストから少し登った段差の上にあった。


最終日も近づき、ほとんどのエイドで売り切れていたコーラがここで飲めた。

それが嬉しかった。


そこから先も傾斜の急な上りと下りが続いた。

ひどくなる膝の痛みに歩きたくなる気持ちを抑えながら走り続ける。


上りの砂地には犬の足跡も見つけることができた。


やわらかくて走りにくい上りのピストを上りきったところで、

やっと遠くにゴールゲートが見えてきた。


最後まで走る。走りきる。


そしてついに、ゴール!



(やった・・・やったぞ!走りきったぞ!!)


道中の膝の痛みと苦しさを乗り越えてきた分、

緊張の糸が切れて気持ちが溢れた。


「おああぁぁ・・・ああぁぅぅ・・・」


最終日ではなく、なぜETAP5なのかわからない。

けれど溢れ出る気持ちにまかせて、ただただ泣いていた。


そんな姿を見れて恥ずかしい気持ちもあるけれど、

こうして魂が震えるほどの感動を味わえる機会はそうはない。


貴重な機会を存分に味わうように、泣きたいだけ泣いた。


しばらくして落ち着いた時に、アーメイが着替え終わってこちらにきた。

お互いの健闘を称え合い、肩を叩き合った。


足が痛みを癒すようにしばらく座っていたが、

いつものように地味にテントを立て始める。


そのうちに、みさっちゃんもよっしーも帰ってきた。





他のみんなのゴールを待ちながら、今日も3人でビールで乾杯。


続々と仲間達も帰ってきた。










みんな満身創痍だ。


ETAP5も走り終え、メインのレースは終わった。

明日もあるけれど、23kmの短い距離だ。


夕食を終え、モンゴルの地平線に沈みゆく夕日をみんなで眺めていた。



雲ひとつない地平線から、オレンジ色の光が僕たちを照らし続けていた。



(この瞬間がいつまでも続いてくれたらいいのに。)


あまりにも美しい夕日と、一緒に走った仲間達と過ごす時間。



言葉にならない充足感に満たされ、静かな感動に浸っていた。


そして。


この夢のような時間が終わりに近づいていることを感じていた。



その日の夜。

トイレに起きた時のこと。


目の前の遠くの山の上のすぐそばから星の光が見える。


そのまま空に視線を移した時に、息を飲んだ。


(完璧な星空だぁ。。)


その日は月が出ていない夜。

けれどもうっすらと明るいのは、星の明かりのせいだろうか?


マンガでしか見たことなかった天の川。

本物を初めて見た。


(天の川って、本当に天の川だったんだなぁ。)


オリオン座の中にも明るい星が連なっていることなんて知らなかった。


地上に明かりがないことで、星をここまで見ることができるなんて。


モンゴルの景色の美しさは堪能してきたけれど、

こんなに完璧な星空まで味わえるとは、なんて幸せなんだろう。


みんなを起こしたいくらい感動したけれど、さすがにそれは遠慮した。


寒い中、しばらく見とれていた。


(この夢のような時間が終わってしまうなんて・・・)


(だけど。ここにとらわれてはいけない。きっかり終わらせなきゃ。)


こんな想いも、寒さも、暑さも、苦しさも、

魂に刻み込んで持って帰れるように

全身全霊で今を感じとろうとしていた。


まさに、今を生きていた。




その15.ETAP6 250kmの旅の果て

 

最終日。

相変わらず夜明けとともに発電機が動きだす。


最終日の着替えを済ませ、膝にはサポーターをつけて準備完了。


オフィシャルが作ってくれる最後の朝食をいただく。


ようやく最後の日となった。

安堵感と寂しさが入り混じる。


外に出てしばらくすると朝焼けが始まった。

昨日の夕日と同じように雲ひとつない空の色が

濃紺から紫に、青に、水色に、オレンジに、どんどん変わり続ける。


そして、赤い太陽が見え始めた。



今日までの合計タイムはなんとか1位をキープしていた。

今日も同じくらいのペースで走りきることができれば、優勝できそうだ。


歩かなければの話だけれど。


膝は十分に痛かった。

最後の最後までとっておいた痛み止めを使うことにした。


今日は速い組と遅い組を1時間差をつけて出発する

ウェーブスタートをすることになっていた。




アーメイとサインブヤン、みさっちゃん、よっしー、僕は後ろからのスタート。


最初の組のスタートを見送ったあと、ゲルで暖をとりながら

山田さんの話を聞いていた。


モンゴル人は、靴が当たった時に、握手して「ごめんなさい」と言うらしい。

なぜなら、靴を当てるという行為が、戦闘開始の合図でもあるから、

「そのつもりはないですよ」ということを伝えるための習慣だって。


他にも日本でのデザインの仕事の話など山田さんの多様なお仕事の話を聞けた。

ゴビの何もない世界にいる中で、世界の最先端のデザインのアイデアをひらめくという、

なんとも面白い話だった。


時間となり、ついにラストステージETAP6のスタート。


まずは大きな丘を下っていく。

アーメイもサインブヤンも全開のスピードで駆け下りていく。

あっという間に見えなくなった。


僕は膝に響くので小股でそろりそろりと降りていく。


その間にみさっちゃんもよっしーも前に出ていった。


(うはっ、やっぱりみんな速い!)


少し差が開いてしまったけれど、その後のペースは落ち着き、

なんとか視界に入る距離であとを追った。


谷間の上下にうねるピストを走る。

砂が深くて走りづらい。


そうこうしているうちに、A−1エイドに到着。

そこでは東さんや伊藤ちゃん、森谷さんに会い、ハイタッチしてあいさつ。


その後はトモロイに追いつき、しばらく一緒に走った。

雨が降った時だけ川になる涸れ川は、砂地となっていた。

深い砂をかき分けて走っていく。



(重いっ!以外と変化に富んてるなぁ!)


ピストに戻り、草の上と砂のピストを行ったり来たりしながら走る。


そしてバリースに従い、右手に多いくオフピストする。

遠くにはよっしーの姿が見えていた。


草原を進むコースとなり、ここでトモロイとはお別れ。



一人で走ることになる。


再びピストに戻った先に、A−2エイドが見えてきた。

そこでは白パンの津村さんが爽やかに写真をとってくれた。


山に向かってまっすぐなピストを走っていく。



遊牧民が興味深げにこちらを見ていた。

そこで赤い木村さんとピンクのいがちゃんに追いついた。


神の池を左手に通り過ぎ、オフピストのコースを走っていたら、

その次にはなんと再び砂丘!



最終日の短いコースだと油断していたけれど、かなりタフなコースに仕上がっていた。


やっとの思いで砂地を抜けて、再びピストを走っていったところで

A−3エイドに到着。最後のエイドだ。

ちょうど多田さんに追いついた。


その後はピストを走っていく。

(この景色も見納めかぁ)

おおきな山を右手に見ながら走る。


前にはよっしーの姿が小さく見えていた。


今日のゴールは1日目と同じバヤンゴビ。

だから、ゴール近くになれば、あの目の前のとがった山が見えるはず。


どっちの方向から近づいているのかわからないけれど、きっとその瞬間は来る。



そしてあるピストのY字路に来た時に気がついた。

(ここは1日目で通ったところだ!)


とがった山の周遊ピストに乗った。

石が浮き出て走りにくいピストだ。


終わりが近づいてくる。


再び願った。

(痛みよ、苦しさよ、この記憶を体に刻み込んでくれ!)


ピストを外れ、ボコボコした地面のエリアが始まる。

そして遠くにバヤンゴビの門とゴールゲートが見えてきた。



バリースが20mおきくらいに設置されて、まるで滑走路の誘導灯のようだ。

その先に、初日に渡った小川。

渡石を踏み、ゴールまで最後の300m。


(最後だ!)


できる限りのスピードを上げてラストスパート。

ゴールゲートでみんな応援してくれている。


(終わりが見える!)


呼吸の音で他に何も聞こえなくなる。


(全速力で走らなきゃ!)


頭の中も真っ白になりながら走った。


そしてついにゴール!!!


(パン、パン!)

クラッカーも鳴らしてくれた。


(やった!やった!やったーーーー!)



無事に250kmを走り終えた!



みさっちゃん、よっしーと抱き合いながら、

お互いの健闘とやりきった感動を分かち合った。

最高の瞬間だった。


インタビューを受けながら何をしゃべったか覚えていない。

しばらく呆然としていた。


感動冷めやらぬまま、いったん着替えに戻った後ひとまずシャワーを浴びた。


何人かのゴールの出迎えはできなかったけれど、

みんな続々とゴールしてきた。


「おめでとう!」

祝福の言葉を伝え、健闘を讃えて抱き合った。

その言葉しか出てこなかった。


ゴールゲートの横に、一緒に旅してきた犬が休んでいた。

最後の挨拶をしようと話しかけたのだが、そっぽを向いてこちらを見ない。

どうやらお別れの時を感じているみたいだった。



(ありがとうな。)


全員のゴールが終わり、その後バヤンゴビのレストランのゲルで食事と表彰式。


総合のリザルトとして、

よっしーが3位、みさっちゃんが2位、僕が1位となった。



レースで1位いなるという経験は初めてで、単純に嬉しかった。


このゴビマラソンに出るまでの挑戦してきた試練が、僕を育ててくれたのか。


ゴビマラソンという目標があったからこそ、試練を乗り越えられたとも感じる。


そして何より、僕をここまで導き、励ましてくれた仲間たち。


同じく、理解して応戦してくれた家族。


すべてのおかげでここにたどり着くことができた。



日差しの暑さも、風の冷たさも、景色の美しさも、上りの苦しさも、

仲間たちと語り合った楽しさも、膝の痛みも、

ゴビを目指して練習してきた全部のレースや時間や体験も。


全部全部含めて胸から溢れ出る思いになって。

それが僕の魂を震わせ、感動でいっぱいになっていた。


この思いを言葉にするとなかなかうまい言葉にならない。


でも思い浮かぶ言葉といえば、

心からの「ありがとう」

これに尽きる。


人は極限までの感動をしたときには感謝しか無くなる。


もう何も足りないなんて思わない。

ただただ、感謝の意をすべてに返したいだけになる。


そんなことを体中で感じた。


その後はまたバスでウランバートルに戻った。


万感の思いを胸に持ちながらの帰りのバス。

また必死に走ってきた一歩一歩もすぐに思い出にかわっていくのだろう。


ホテルに着いた時にはすっかり夜になっていた。


モンゴルの選手たちはそこからそれぞれの家に帰宅するようだった。


別れの時は寂しいものだ。

何人かと写真をとって、お礼と別れを告げた。






終章 手渡したい想い


ゴビマラソンを走り終えて、胸に残っている感動の想いは形を変えてきた。


それが、

「こんなにいい想いができたんだから、分かち合わなきゃ」

ということだった。


僕のこの旅も振り返ってみれば、

サハラマラソンのトークライブから始まったもの。


誰かがやってくれなければ、僕はこの世界を知ることもなかったし、

こんなに感動する経験をすることもなかった。


だから。


(今度は僕がやる番だ。)


漠然とそう思った。


よっしーとみさっちゃんにも声をかけて、

一緒にゴビマラソンの報告会をやることにした。


この報告会もまたゴビマラソンに次ぐ大きな挑戦ともなっていた。


それから1ヶ月間はゴビマラソン報告会の準備にすべてを注ぎ、

当日は40名を超える仲間たちに集まってもらえた。


僕たちが経験した美しい世界や、抱えていた想いや、感動したことを

3人それぞれの言葉で語った。


「感動が伝わってきました!」


「いつかゴビマラソン行ってみたいです!」


そんな感想をいただき、感謝と感動を伝えることができたと感じた。



僕が受け取った砂漠マラソン250kmへのバトンを

次の人に手渡すことができたのだと、ようやく安心することができた。


それを終えてからようやく他にもっと伝えたかったことを、

このレポートに書き綴ることができた。


時間は経ってしまったけれど、これでようやく完成までこぎつけた。


ただ、エネルギー量から言えば、ゴビマラソン報告会が最大だった気がする。


なぜなら。


感動や体験は、時間とともに記憶や思い出に変わっていくから。


体で感じて涙が出るほど感動することは、

その瞬間の「今ここ」にしかない。


時間がたってしまうと、「いい思い出」になってしまう。

思い出してもあの時感じた魂を震わせて溢れ出た涙は出て来ない。


だからこそ、まだ身体中の細胞にゴビマラソンの記憶が残っている間に、

開催した報告会が、新鮮で感情のエネルギーが高鳴っている状態でできた

最高のエネルギーのギフトになったはず。


この時点から報告会を振り返り、そんなことも感じた。


さて、僕もいつまでも思い出に浸っている場合ではない。

次の旅に出発しようと思う。


ここまで読んでくれてありがとう。


あなたにも魂を震わせる感動と出会うことを祈っています。



井上祐也


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